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お嬢と番犬くん

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ああ、この人はいま、恋をしている。 『お嬢と番犬くん』のジェシーは、ひとりでいるシーンで感じさせてくれる。 ひとり。 つまり、意中の相手を愛おしく見つめるとか、想いを告白するとか、そういうことではない。 たったひとりの、何気ない目線や仕草で、彼は恋の本質を教えてくれるのだ。 恋はひとりでしているもの。 遠くをまぶしそうに見やる、ただそれだけで、初々しい情緒が浮かび上がる。 そうか、これは、彼にとって初めての気持ちなのだ、ということが理屈をこえて伝わってくる。 恋とは言葉や行為ではないのだ、それは、まなざしや振る舞いなのだ、そう教えてくれる。 恋をすると、人はコミュ障になる。 それも、特定の相手にだけコミュ障になるのだ、とジェシーは全身で物語っている。 彼が演じる極道の若頭は、決して不器用なタイプではない。 むしろ器用だ。 頭はいいし、行動力はあるし、物怖じしないし、人望は厚いし、何よりも惹きつける魅力がある。 しかし、組長の孫娘にだけ、コミュ障になる。 正直に生きてきたし、正直に生きている。 彼女を護り、自分の希望を伝え、時に甘えることもある、それができる人なのに、どこかズレている。 それをジェシーは、あからさまな挙動不審ではなく、なにかが食い違うことの淋しさを、どこかがすれ違うことの切なさを、フラットなたたずまいにまぶしながら、表現している。 ぎりぎりの抑制が、あの人物への興味をかき立て、観る側が不思議と愛おしくなる作用をもたらす。 感情とは、不定形なかたちと動きの泡である。 ジェシーは、人間の定まらぬ形状と、コントロールできない右往左往を、あの人物が己の長身を持て余しているかのような奥ゆかしい佇まいから、そっとはみ出させてみせる。 この繊細さ、この華奢さは、わたしたちには食材だけではなく、出汁(だし)を味わうことができる能力を有していることも発見させる。 人間がはらむ不完全さこそを、ジェシーは端正に演じている。 ジェシーの演技は、出汁である。 その出汁は、かたちも動きも予測不能であるにもかかわらず、感情の泡そのものはとても綺麗なものだと知らせている。