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芸術・歴史的に必見の映画、映画展を紹介
岡田 秀則
国立映画アーカイブ主任研究員
世田谷文学館コレクション展 寺山修司展
24/10/5(土)~25/3/30(日)
世田谷文学館
演劇実験室「天井桟敷」を率いた戦後日本演劇界の風雲児、寺山修司の展覧会が、世田谷文学館のコレクション展として行われている。会場に入るとまず、その横紙破りな活動から生まれた資料から展覧会が始まるのは当然のことだ。とはいえ、そのまま「残す」ことのできないのが演劇の運命。この展示が打ち出したのは、「天井桟敷」のヴィジュアルを背負った榎本了壱のアートワークだ。新宿の街を演劇空間に化かしてしまった「人力飛行機ソロモン 新宿篇」の観客向けマップが、拡大されて広い床を占める。この地図を、2025年の新宿と比べて眺めるとまた面白い。 では、映画のコーナーはどれぐらいの比率か、と気にしていたがしっかり扱われていた。東宝撮影所の名監督須川栄三は、「天井桟敷」以前の寺山が脚本を手がけた『みな殺しの歌より 拳銃よさらば!』(1960年)の監督であるが、ここでは須川の旧蔵資料も活かされている。特に、公開翌年に行われた対談記事に見入ってしまった。須川は、古代人が洞窟に描いた牛の絵も、描かれたからはすでに作品だと述べるが、寺山は受け取る人間とコミュニケートされてこそ作品になる、と立場の違いを明瞭にする。商業的な成功失敗を気にせざるを得ない映画人が、作品は受容以前に成立すると言うのに対し、当時歌人・詩人として知られた寺山が、孤独な創造以上にコミュニケーションの価値を不可欠と見なしたこの逆転は興味深い。 また同じ対談だが、寺山には、いわゆる商業映画にはイマジネーションの飛翔を阻む枠があると考えていた節がある。映画はせせこましい場所だと思えたに違いない。それならば、いずれ映画に手を出す時には(実際に出したわけだが)自分の考える「映画」を発明するよりあるまい。その発想の萌芽はこんなに早い頃からあったのだ。 コレクション展なので会期は長かったが、ついに3月30日で終了するのでお見逃しなく。
25/3/12(水)