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小さくとも内容の豊かな展覧会を紹介

白坂 由里

アートライター

鈴木幹雄写真集 発刊記念写真展 「命の記憶ー沖縄愛楽園1975」

窓越しに見えるクリスマス礼拝、漁や草刈り、盆踊りや宴席でのカチャーシーといった暮らしの風景。沖縄の「本土復帰」まもない今から50年前に、ハンセン病療養所「沖縄愛楽園」で撮られた写真群である。撮影したのは鈴木幹雄。当時はカメラマンだった26歳の青年だ。 きっかけは、通信社のカメラマン時代、取材した演奏家に「沖縄の愛楽園に行き、ハンセン病の差別と偏見を正す写真を撮ってきたまえ」と言われたことだった。逡巡しながらも1975年12月から約1年間に那覇から7回愛楽園に通い、1回で最長20日間、園で生活しながら撮影した。 どんな写真を撮れば「差別と偏見を正す写真」になるのかわからず、初めは高台の公園から園の建物を眺めていた。そのうち朝昼晩に鐘をつく人とお喋りするようになった。花壇の手入れをする人やタバコが同じ人に声をかけたり、かけられたり。それでもまだ遠巻きに見ていたある日、葬式があり、ふと「兄さん、ライ(当時の言葉)の写真を撮りに来たんでしょ。撮りなさい」と手を向けて声をかけてくれた男性がいた。そこから一歩中に入れた気がして、皆と食事や酒を共にするうちに互いにカメラを意識しなくなっていき、一人ひとりを撮った。入所者から自分の写真を撮ってくれと頼まれることもあった。 現在は会津若松市で陶芸家として活動する76歳の鈴木は、展覧会初日のギャラリートークで「当時、フィルムを現像しながら浮かび上がってくる姿に、命の重さが写っているような気がしてこみ上げてくるものがありました。撮ってよかったのか、複雑な気持ちにもなった」と語っていた。 他のハンセン病療養所の記録ではあまり見かけることがないような笑顔の女性たちの写真も胸に残る。鈴木青年を気にかけてくれたおばあのエピソードなど、現在の鈴木の口から名前が出るたびに、一人ひとりの存在への思いも伝わる。写真集『命の記憶―沖縄愛楽園1975』(赤々舎)や主会場である沖縄愛楽園での展覧会もおすすめしたい。

25/7/3(木)

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