評論家や専門家等、エンタメの目利き&ツウが
いまみるべき1本を毎日お届け!
文学、ジャズ…知的映画セレクション
高崎 俊夫
フリー編集者、映画評論家
蓮實重彦著「日本映画のために」刊行記念特集
25/9/20(土)~25/10/10(金)
シネマヴェーラ渋谷
蓮實重彦の『日本映画のために』(岩波書店)の刊行にあわせて組まれた特集で、上映作品は、小津安二郎、溝口健二、山中貞雄の戦前の名作から、黒沢清、青山真治、三宅唱、小森はるかのレアな小品までバラエティに富んだ29作品のプログラムが揃っている。 いずれも本書で言及されている作家、映画が中心だが、ここで注目されるのは澤井信一郎のデビュー作『野菊の墓』(1981)が入っていることである。公開当時は、松田聖子のアイドル映画として喧伝されていたにすぎない『野菊の墓』を、蓮實重彦が「話の特集」の連載コラム「シネマの煽動装置」で絶賛したことが、ゆくりなくも思い出される。蓮實は森田富士郎の絶妙なるキャメラワークに着目し、その新人らしからぬ端正で堅牢な演出力を高く評価していた。当時、このコラムを読んで、東映の封切り館へ赴き、あまりの素晴らしさに驚嘆したのをよく憶えている。今に至るも、『野菊の墓』は澤井信一郎監督の代表作ではあるまいか。 後に、澤井監督から直接、聞いた話であるが、角川映画で第二作目の出世作『Wの悲劇』(1984)を撮ることになったきっかけは、角川春樹のブレーンが、このコラムを読み、春樹に推挽した結果、大抜擢されたのだという。「僕にとっては、人生を決めたみたいな批評で、蓮實さんにはすごく感謝しています」と澤井さんが嬉しそうに語っていたのが強く印象に残っている。 もうひとつ特筆すべきは、内田吐夢の『暴れん坊街道』(1957)、『妖刀物語 花の吉原百人斬り』(1960)が上映されることだ。書き下ろしの「内田吐夢論」が収録されているためであろうが、いずれも内田吐夢の〈古典芸能四部作〉の中の代表作である。 『暴れん坊街道』は、近松門左衛門の世話物「丹波与作待夜の小室節」が原作で、家老の娘・山田五十鈴と佐野周二が恋仲となり、子を生むが──。里親に棄てられ馬子になった息子、浪人となった佐野、姫の乳母となった山田五十鈴が、運命に導かれるようにして再会を果たすことになる。当時、隆盛だった“母もの映画”の骨子を踏襲しながらも、そこから一気に、抜き差しならない、荘重なる悲劇の高みへと見るものを誘う内田吐夢の緻密な演出力には溜め息が出てしまう。 『妖刀物語 花の吉原百人斬り』は、三世河竹新七の『籠釣瓶花街酔醒』が原作で、顔に痣をもった商人・片岡千恵蔵が岡場所あがりの遊女・水谷良重に入れあげた挙げ句、破滅へと疾走する顚末を雄渾な筆使いで描き上げた傑作である。 とりわけ、ラスト、千恵蔵が抑えに抑えていた激情を爆発させ、花魁道中で艶やかな姿を誇示する水谷良重を延々と追いかけて、惨殺するまでを、クレーンを縦横に駆使した長回しでとらえたダイナミックな画面は眩暈をおぼえるほどである。 そういえば、名著『日本映画縦断・三部作』(白川書院)で知られるルポライターの竹中労がライフワークとして内田吐夢論を準備していたのは周知の通りであるが、私が編集していたビデオ業界誌「AVストア」に、急逝する直前、竹中労が「巨人、夢を吐く」という『花の吉原百人斬り』をめぐる絶筆となった美しい映画エッセイを書いてくれたことが懐かしく思い出される。蓮實重彦の「内田吐夢論」がいかなる射程をもつ論考なのか。期待して待つことにしよう。
25/9/4(木)