僕はこの仕事をずっと続けたいと思っているわけじゃない。そう神尾楓珠は、こともなげに言う。
何か大きな目標があるわけでもないし、絶対に叶えたい夢があるわけでもない。淡々とそう話す彼を見て、もしかしたら向上心がないと言う人もいるかもしれない。
でも、決してドライなわけでも無気力なわけでもない。むしろ彼はとてもはっきりしているのだ、自分の人生にとって何が大切かが。優先順位を自分で理解しているから、ブレないし、迷わない。そんな彼のことを、とてもスマートだと思った。
神尾楓珠、22歳。次々と話題作に呼ばれ続ける売れっ子俳優の、肩肘張らない本音の言葉が今ここに溢れ出す──。
── 『顔だけ先生』もいよいよ最終回です。初の先生役はいかがでしたか。
最初はすごく不安だったんですよ。やっぱり今までずっと生徒役をやってきたので、いきなり先生役ってなっても、ちゃんと先生に見えるかなって。でも、僕の演じる遠藤は良くも悪くも先生らしくない先生だから。あんまり構えすぎず、遠藤という役と向き合うことを大事にすればいいのかなって。そう気持ちを切り替えて撮影に臨みました。
── 確かに。私たちもまだまだ生徒役の方が印象深いから、先生役と聞いて最初はびっくりしました。
生徒役の中には僕と同年代の子もいて。それこそ若林時英とか『3年A組 –今から皆さんは、人質です–』でクラスメイトの役をやって、普段から仲が良かったので、それが今回は先生と生徒っていうのはちょっと不思議な感じでした。
── 生徒役のみなさんとはどんなふうにコミュニケーションをとっていきましたか。
年下の子も多いし、最初はどんなふうに絡んでいったらいいか、ちょっと迷いましたね。でも、『顔だけ先生』の公式TikTokで負けたら罰ゲームという企画をやってて、僕は景井ひなちゃんとボクシングゲームをやったんですけど。そのあたりからいろいろと話すようになって、生徒役のみんなともうまく溶け込めるようになりました。
── 毎回いろんな事件が起きますが、特に印象的だった回はありますか。
第3話で、家計を支えてくれた母親が病気になったから学校を辞めるという生徒の話が出てきて。それはすごく印象的でした。と言うのも、僕自身、楽しく高校生活を送っていて。経済的に苦しいから学校を辞めなきゃいけない生徒がいるっていうことを考えたこともなかったから。こんなふうに家庭の事情で学校を辞めざるを得ない高校生がいるという現実に、なにか考えさせられるものがありました。
無敵だった高校生活。大人になんてなりたくなかった
── 神尾さん自身の高校生活はどんな感じでしたか。
僕はいたって普通でした。ドラマみたいなトラブルは一切なく、毎日が楽しくて。こう振り返ってみても、あの頃は無敵だったなと思います。何をしても、最後は笑って終われるっていう感じで。とにかく楽しければなんでも良かった。あの頃のキラキラ感みたいなものは、もう今の自分にはないなって思います。
── そう思うのは、やっぱり大人になったから?
大人になっちゃいましたね(笑)。それこそ高校のときなんて体力は無限でしたもん。どんなに徹夜をしても辛くないし、次の日、普通に学校で大はしゃぎしてた。すごいですよね。
僕、家から学校が遠くて。片道1時間30分くらいかかるので、毎朝6時くらいには家を出てたんですけど、遅刻した覚えとか全然ないし。前の晩、友達と長電話して寝るのが2時とか3時になっても、普通に起きられてた。あの頃の体力はどこにいったんだろうって思います(笑)。
── 学生時代といえば、悩みはつきものですが。
もちろん悩んだこともありますけど、そんなに大した悩みはなかったですね。友達と喧嘩して、余計な一言を言っちゃったなとか、それくらい。あとは進路かな。進路に関しては結構悩みました。
── 当時はもうお仕事をされていましたよね。
そうですね。ただ最初は大学に行くつもりだったんですよ。で、大学に行ったら、もうこの仕事は辞めようと思っていました。
── そこから大学進学を選ばず、仕事に専念しようと思ったのは、どんな心境の変化があったんでしょうか。
正直に言うと、受験勉強が面倒くさかったんです(笑)。
── 正直すぎる(笑)。
勉強が面倒くさくて、もう大学はいいやって。当時は、今がすごく楽しいからこそ、将来のことを考えると息がつまるような感じがして。大人になんてなりたくなかったし、ずっと子どのままでいたかった。ずっと高校生でいられないなら、このままいなくなっちゃってもいいかなって考えたこともあったぐらいでした。
でも実際問題、ずっと高校生でいられるわけないし。卒業したら、何かしらやらなきゃ生きていけなくなる。それで、じゃあこの仕事を続けるかって。本当に本当のことを言うと、最初は消去法でした。これしかないから、ちゃんとやらなきゃな、くらいの感じで。
このままじゃ絶対に負けると思った
── そこからこの仕事にやりがいを見出せるようになったのは、いつ頃のことでしょう。
20歳になった頃。タイミングで言うと、それこそ『3年A組』がきっかけだったと思います。10代の頃はずっとこの仕事の何が楽しいかが今いちよくわからなくて。言われたことをやるだけだったんですけど、『3年A組』で同世代の人といっぱい出会って、みんな僕よりすごくうまくて。それを目の当たりにしたとき、このままじゃ絶対負けるなって思ったんです。
── その悔しさが、火をつけた?
なんだろう。でも、だからと言って別にこの仕事に執着しているわけじゃないんです。今はこれしかないから、これを頑張ろうという感じで。他に何か面白いことを見つけたら、そっちに気持ちが向くかもしれないし。
── あくまで今目の前のことだけを考えていると。
そうです。というか、たぶん僕は性格的に目の前のことしか集中できないんだと思います。先のこととか全然考えられないし。だからよくどんな俳優になりたいですかって、こういう取材を受けると聞かれるんですけど、全然何もなくて。自分でもどんな人間になっているかなんてわからないし。10年後、この仕事をやっているかどうかさえわからないから。
── 何か俳優として賞を獲りたいとか、この監督の作品に出てみたいとか、そういう野心はあまりないですか。
ないですね。もうキツいなと思ったら、この仕事も辞めるかもしれない。自分でも性格的に合ってないなという自覚はあるんですよ(笑)。たぶん僕は芸能界とか、そういうところでガツガツ上を目指すタイプの人間じゃない。
僕にとって大事なのは仕事より人生。あくまで仕事は人生という大きな枠の中にあるひとつでしかなくて。だから、そこまで仕事にこだわる必要を感じないんです。別に仕事がなくたって、人生を楽しむ方法は他にもいっぱいある。だったら、仕事に振り回されたり、仕事のせいで追いつめられたり、気持ちがすり減ったりするのは違うんじゃないかなっていう考えです。
ネット上の声は、1億2000万分の1の意見。それに傷つく必要はない
── でもそうかもしれないです。この場所がなくなったらどうしようって執着する方が、逆にどんどん自分を追いつめて窮屈にさせている気がします。
僕はそういう考え方が苦手で。だから、変な話なんですけど、この仕事をしていて大きな挫折みたいなのもあんまり感じていなくて。日々失敗したりつまずいたりすることはあるけど、それもまあこんなもんかって、すぐに切り替えるようにしています。だから、あんまり覚えていなくて。
── これだけ人の注目を浴びる仕事をしていると、落ち込んだり、傷つくこともある気がします。
最初はありました。それこそドラマやバラエティに出ると、SNSでいろいろ言われるし。昔はエゴサもしてたんで、そういうふうに悪く言われているのを見てショックを受けたこともありました。でも今はあんまり何にも感じないですね。
── そういうネガティブな声をどうやって受け止めているんですか。
どんなに悪く言われても、結局会ったことのない人の言ってることだから関係ないかなって。日本の人口が1億2000万人として、1億2000万分の1の意見。そういうふうに考える人もいるかな、くらいに思うようにしています。
でも、そういうことだと思うんですよね。みんな、誰かに何か言われてヘコんだり傷ついたりするけど、本当に自分にとって大切な人以外の声ってそこまで気にしなくていいと思う。信頼している人から何か言われたら考えなきゃいけないかもしれないけど、それ以外の声はスルーでいいと思います。それより、もっと自分が楽しくあることを大事にしなきゃなって。
── その考え、すごく大事な気がします。
これは『顔だけ先生』の遠藤をやっていて感じたことなんですけど、周りに流されることはないんですよね。それよりも揺るぎない自分を持つことの方がよっぽど大事で。誰に何を言われても、まず守らなきゃいけないのは自分自身。
僕はとにかく楽しく生きることがベストだから。この仕事をやって、楽しいと思えるならこれからも続けるし、そうじゃないならまた違う道を選べばいい。ここじゃなきゃダメだなんて場所はないと思うので、自分が楽しいと思えることを大切にこれからもやっていきたいです。
撮影/鬼澤礼門、取材・文/横川良明、企画・構成/藤坂美樹、ヘアメイク/大平真輝、スタイリング/寒河江健