「ゆけ!ゆけ!歌舞伎“深ボリ”隊!!」今月の歌舞伎座、あの人に直撃!! 特集
松本幸四郎 『勧進帳』武蔵坊弁慶 「常に、ここから逃げ出したいと思っています」
第31回
緞帳がサーッと上がり、五色の幕から富樫と番卒が出てくる。まだ少しざわついていた客席は一気に静まり、そこからはもう『勧進帳』の世界。歌舞伎の中でもトップクラスの人気演目だ。安宅の関にかけて「またかの関」なんて言われるが、何度見てもそのたびに新鮮で面白く、何度聴いても寄せの合方に心震える。そして虎の尾を踏む男達のドラマに心揺さぶられる。そんな男達を率いて、源義経を毒蛇の口から逃そうと絶体絶命のピンチに立ち向かうのが武蔵坊弁慶だ。
<あらすじ>
兄頼朝と不和となった源義経は、家臣の武蔵坊弁慶らとともに山伏に身をやつし、奥州平泉を目指している。しかし頼朝の命を受け設けられた安宅の関の関守、富樫左衛門は一行を怪しんで……。
『義経千本桜』『御摂勧進帳』『弁慶上使』……と武蔵坊弁慶の登場する狂言はいくつかあるが、主の義経の危機を正面突破する英雄として描かれているのが、この『勧進帳』の弁慶だ。今月の深ボリ隊はこの武蔵坊弁慶をロックオン。なぜ弁慶は関を突破できたのか。そして『勧進帳』はなぜあんなにドラマチックなのか。
今月の歌舞伎座「秀山祭九月大歌舞伎」で弁慶を勤めているのは松本幸四郎さんだ。「ゆけ!ゆけ!歌舞伎 “深ボリ”隊!!」連載の第1回に登場してくれた幸四郎さんが、再登場!『勧進帳』では、太刀持、四天王、義経、富樫左衛門と勤め、弁慶は7度目となる。初日が開いて間もないある日、幸四郎さんを直撃した。
Q. 義経を守るため、ピンチに立ち向かう弁慶の心情は?
── 「二代目播磨屋 八十路の夢」という文言の入った『勧進帳』ですね。
松本幸四郎(以下、幸四郎) 80歳で弁慶をやると叔父が本当によく言っていました。そんな叔父が80歳になる年の秀山祭ですので『勧進帳』がかかればいいなとは思っていたんです。まずはそれが叶って嬉しかったですね。そして自分が弁慶をやらせていたただけることになり、お客様が『勧進帳』をご覧になっている間は叔父を思い出していただけるよう、それを目標にしようと思いました。叔母からも叔父の使っていた数珠を使ってほしいと言ってくださり、僕もそれはぜひ使わせていただきたいと。また、叔父はたいていは黒の巻物を勧進帳読み上げで使っていましたが、最後に弁慶を勤めたときは白に砂子の巻物でした。ということで今回僕も白を使っています。また高麗屋では「滝流し」という場面をやることがありますが、今回はしません。どこまでも叔父の弁慶を意識してやらせていただいてます。叔父の弁慶は大きな岩のような感じがするんです。とにかく圧倒的な強さ、男らしさを感じますね。
── 幸四郎さんが弁慶を勤められるのは今回で7度目ですが、拵えについては初役から何か変わってきたところはありますか。
幸四郎 弁慶はとにかく大きい体にするので、着肉、つまり綿の入った上着や腹巻を身に着けるのですが、使う分量がだんだん減っている感じです。これはまあ初役から10年たって僕が太ったということですかね(笑)。でなければ筋肉がついたということにしておきましょうか。実際に自分の体と補正する分量とのバランスが大事なんですよ。父(松本白鸚)の幸四郎襲名のころも、すごくたくさん着肉をつけているイメージがありました。僕が幸四郎襲名したのは40過ぎですから、さすがにそこから10㎏、20㎏と体重が変わるわけはない。でも最近はもう腹布団1枚くらいしか使ってないですね。
── 「ああ、もうこの部分の着肉は要らないな」と、だんだん要らなくなってきたということでしょうか。
幸四郎 そういうことなのでしょうかね。形さえ近づければ弁慶になれるかというとそうではないですし、体のサイズは変わらないのに役としては大きく見えるようになってくる。動き方、芸が変化してきたということでしょうか。不思議ですよね。
── 顔についてはいかがですか。写真を並べてみると、眉などだんだんナチュラルになっているようにも見えます。
幸四郎 初役の時に父から「君の理想の弁慶像があるかもしれないけど、今の君の弁慶をやることだ」と言われました。最初は強く大きく見せたいと思うんです。でも父や祖父(初世松本白鸚)と同じように顔をしたくてもキャンバスが足りない、顔の大きさは違うわけです。限られたキャンバスの中で強く強くと描いていくと、だんだん自分の顔からかけはなれたものになっていく。今月も毎回、自分の弁慶の顔になっているかなと考えながら顔をしています。
── 金剛杖など小道具は何かこだわっていらっしゃいますか。
幸四郎 これはもう身長の違いがあるので、祖父のものは短くて父も叔父も使えないんですね。僕は最初に作ったものをずっと使い続けています。枯れてくるとだんだん軽くなって使いやすくなってきています。
── 富樫の名乗りがあり、いよいよ義経一行が花道を出てきます。この時の寄せの合方、聴くたびにゾクゾクします。「キターッ!生きててよかった!」という気持ちに。
幸四郎 あれはほんとにいつ聴いてもワクワクしますね。『勧進帳』では太刀持、四天王、義経、富樫と勤めてきましたが、音の聴こえ方も舞台の見え方も役によって違うものです。富樫からすればあの花道のくだりは、とても遠いところで行われているような、そんな時間なんです。
── 本舞台に一行がやってきて関所の富樫と対面します。
幸四郎 富樫からすると義経は、すごく違和感があるというか普通ならありえない気になる場所にいるんですよ。だから何だかずっと気になる。なのに弁慶が必ず間に割って入ってくる。弁慶が数珠を取りに行くときにチラッと義経が見える。そんな見え方なんです。
── 一行が関所にやってきたときから富樫は何かしら違和感を感じているんですね。
幸四郎 ただどこの時点で「これは義経だな」と気づくかというのは、もういろいろです。少なくともこの時点ではないですね。僕の場合は後に番卒に言われて気づくというつもりでやっていました。
── 義経からは富樫はどう見えているのでしょう。
幸四郎 義経からは物理的に何も見えてないですね。視野2mくらいだから(笑)。身分を隠さなきゃいけない人なのに、実は一番目立つ格好してるし。それが歌舞伎なんだけど。
── 弁慶はずっと力強く台詞を言っているイメージがありますが、「実は自分から発信する台詞は二言しかない」とインタビューでおっしゃっていましたね。
幸四郎 そうなんです。弁慶発信でかける言葉は、花道で亀井たち三人が富樫にかかっていこうとするのを「やあれしばらく 御待ち候え」と止めるところと、本舞台に行ってから富樫に「いかに申し候。これなる山伏の、御関をまかり通る」と名乗るところ。この二言だけなんです。
── 意外な気がしましたが、よく思い出してみるとたしかにそうだと。
幸四郎 相手の台詞を、正面からどんと強さを持って受けとめているのは確かですけどね。とにかくこの「やあれしばらく」の第一声は緊張します。曾祖父も何か芸談で言っていますが、まずこの第一声が出るとホッとすると。というのは、ここは自分の声のはねかえりがないので聴き辛いんです。本舞台ではなく花道に立っているので、前後のお客さんに自分の声が吸い取られて小さく聴こえるんですね。声が届いているかもわからない。「あれ、今日声出てないかも?」って思うことがあります。
富樫への回答の一つひとつが命がけ
── 本舞台で富樫に咎められ、「勧進帳を読め」と言われて、弁慶が巻物を手に取り、紐をシュッと解いて開く。この流れがまたカッコいいです。
幸四郎 これは型ではないのですが、父と叔父とで紐の長さが違うんです。これはもう単純に巻き方の手癖が違うからですが、叔父の方がやや短い。今回は僕も叔父のやり方をやっています。叔父の弁慶を勤めているのだと、自分へのおまじないみたいなものですね。
── 富樫が近づいてくる気配を感じて、ハッとなります。
幸四郎 ここはもう互いに合わせるとかではなくて、生身の人間がそこにいる、その気配を感じる。そういう場面ですね。
── 弁慶と富樫の気合がリアルにそこでぶつかり合っているのを、客席から目撃しているわけですね。
幸四郎 あそこはとにかく大変だし常に苦しい。頭のどこかにいつも「はい、僕ら偽物です。この人義経です。どうぞ捕まえてください」って逃げ出したくなる思いがあるんですよ。「これは何にも書いてないただの巻物ですよ。はいどうぞ」って(笑)。もうね、常に帰りたい(笑)。だって全部嘘なんですから。弁慶が富樫の前で言ったりやったりしてること全部。
── 初役の時からそういう思いでしたか。
幸四郎 初役の時(2014年11月歌舞伎座)はそれ以前に、まず叔父が義経、本舞台に行くと父が富樫でこっちを向いてる。すごいプレッシャーでしたから。染五郎(当時金太郎)も太刀持でいて、これは実に幸せなことですが、考え方によっては拷問に近いですよね(笑)。早く義経を引き渡して帰りたい気持ちでした(笑)。
── そんな関所を通るために、弁慶は覚悟を決めるわけですね。そして富樫が次々と質問を浴びせてくる、問答となります。
幸四郎 あそこは弁慶にとっては富樫が出してくる問いの一つひとつが関門でなきゃいけないんです。質問事項がズラッとリストになっていて、そのうち何問答えられれば合格、ではないんですよね。勧進帳持ってるか?持ってる。読み上げろ、読み上げた。ひとつくぐれた、またひとつくぐれたと、いちいちばれるかばれないかの瀬戸際なんですよ。「勧進帳は持ってなかったけど問答で答えられたから通れたよ!」というものではない(笑)。満点じゃなければゼロ点。一つひとつが命がけなんですよね。
── 富樫と、食い合うように一つひとつ問答を重ねていきますね。
幸四郎 よく言われるのは「怒鳴り合いになってはいけない。喧嘩になってはいけない」と。「袈裟って何なんだよっ?!」「こういうものだよっ、こらあ!!」ではない(笑)。そうではなくて、「袈裟とはどういうものだ」「これこれこういうものです」、「兜巾とはなんだ」「こういうものです」、「太刀で人を殺すこともあるのか」「あります」と、ちゃんと問答でなければいけないんですよ。
── そのせいでしょうか、あの場面になると、舞台面は松羽目物の歌舞伎なのに、どこか対話劇のようです。
幸四郎 そうなんですよ。珍しいですよね。歌舞伎の代表作とはいわれるけれど実は特殊な狂言だと思います。女方は出ないし、松羽目だし、歌舞伎十八番といっても見得は少ないですし、山台(編集注:長唄、常磐津、清元などの演奏者が乗る台)が並んでいるのに上演時間の半分は演奏をしていないですから。そして緞帳で幕が開いて定式(幕)で閉まる。すべてにおいて特殊です。いや、何でもありなのに、ひとつの作品としての完成度がすごい。
関所を越えたあと、ゴールは果たしてどこにあるのか
── 富樫から布施物を出されて砂金だけ持っていきます。
幸四郎 他の品々はおそらく地元の記念品なんでしょうね。記念品って重くて大きいものと相場が決まっているので、かさの高いものは置いていくと(笑)。
── そしてホッとできたかと思うと呼び止められる。
幸四郎 これがもう一番の大ピンチとなるわけです。
── 義経を打擲(ちょうちゃく)するところは、笠のどの部分を金剛杖で当てるかは決まっているのですか。
幸四郎 (笠の)前、後ろ、前と三度振り下ろし、三度目のときだけ笠に当てます。でもこれ、散々殴りたおしているということですから。叔父がNHKで『武蔵坊弁慶』に出演していた時、義経役だった川野太郎さん、めちゃくちゃ叔父にぶたれていましたから。
── 水曜ドラマの『武蔵坊弁慶』(1986年)ですね。
幸四郎 ぶたれて血だらけになってましたよね。あれを歌舞伎の表現でやるとこうなるわけです。
── 四天王も本気で詰め寄ってくる。
幸四郎 見た目は弁慶と富樫が対峙しているように見えますが、弁慶はあそこで富樫に向かって斬りかかろうとする四人を金剛杖で制しながら背中で抑えているわけです。これ、つまり仲間と闘ってるんですよ。富樫から見たら「やるのかやらないのか。え?仲間割れしてるのか?」ですよ。
── 「目だれ顔」の四人が、弁慶をとっちめてでも富樫にかかっていきそうな勢いで詰め寄ってきます。
幸四郎 あのときの金剛杖の握り方はお家によっていろいろです。うちは両手とも逆手で持ちます。ひたすら四人を抑えるということですね。順手と逆手で持つお家もあって、その場合はそのまま振り上げれば富樫に打ちかかれる握り方です。
── 富樫が引っ込んだ後は弁慶はどんな思いですか。
幸四郎 まず主君に手を上げたことへの罪の意識ですね。これで安宅の関は通れたけれど、ゴールできたわけではなく。果たしてゴールはどこにあるのだろうかと。
声も体力も精神力も。全てを使い果たすようにできている
── 「判官御手」ではあの大きな弁慶が小さくなって手をついて頭を下げっぱなしです。
幸四郎 前の芝翫(七世中村芝翫)のおじさまに義経を教えていただいた時、「今なら手を取り合って、よかった!ありがとう!とふたりが抱き合って喜ぶ場面だよ」と。「判官御手」のところはそもそもそれを表現しているのだと。そしてあのくだりになると舞台のエアコンを少し下げたのかなと思うほど、気温がサーッと下がる気がするんです。四天王で出ていたときはそれを毎回感じていました。小松の海辺、砂浜の広さ、松林を抜ける風を感じるんです。文楽だとあそこで松羽目をとっぱらうんですよね。
── 宴になり、弁慶が小さな盃で一杯目を飲みますが、一瞬、ほほ笑むような首をちょっと傾けるようなしぐさをしますね。
幸四郎 ここを通り抜けられたというホッとした気持ちですね。ここまで来れたぞという。ただ、あそこで富樫が再び現れることが不思議なんです。その前の場面で泣き上げて引っ込んだままの方が役として良くないかな。この狂言が作られた当時、そう言う人がいなかったのかなといつも思うんですよね。「さっきは疑ってごめん!うん、もう全然疑ってないよ。だから酒飲んでいって。で、よかったら踊ってくれたらなおうれしいよ」っていう感じがどうも……(笑)。そもそも臆病口から引っ込むことにも、「長袴履いてるのに入れるわけないじゃないか」と言う人もいなかったんですかね(笑)。
── でもあの入り方、カッコいいですよね。
幸四郎 そうなんです。カッコよく見えるから残ったんでしょうね。冷静に考えるといろいろ「はてな」があるけれど、そう思わせないカッコよさ、テンポ、舞台の上の理屈、そういうものが『勧進帳』を作っているんだなと思います。結果として宴の場に富樫がいるとやはり絵になるし、「この人もきっと責任とって切腹する覚悟だな」とか物語も膨らみますから。
── 富樫のスピンオフ作品もありますしね。
幸四郎 そうですね。たしかに。
── 弁慶はここで酔っぱらってはいないんですか。あれほど飲んで。
幸四郎 まあ酩酊……くらいでしょうか。良い機嫌になって踊り始めるということなので。
── 弁慶は義経一行を先に逃して、花道の付け際で自分の笈を背負いながら、所作台を強く踏み鳴らし、腰を低く落とし、駆けるような動きをします。
幸四郎 あそこは強さを表しているのでしょうね。その間も目線はずっと義経の後ろ姿を見ています。幕が引かれると、義経一行の姿が小さくなったところで、富樫に礼を伝えるつもりでお辞儀をします。ただそれだと、明らかに富樫が義経と知って逃がしてやったというふうにも見えるので、どこまでどんなお辞儀をするかは難しいところです。
── そして六方を踏んで、毒蛇の口を逃れたる心地で陸奥の国へと向かっていきます。凄まじい勢いで揚幕に飛び込んでいくため、奥でお弟子さんに受け止めてもらわないと自分では止められないと。
幸四郎 そうなりますね。毎回そこで全部力を使い果たしたことを実感するんです。「声も体力も精神的なものもすべてあそこで使い果たせるように、『勧進帳』の弁慶はできている」と、父もよく言っています。
── おしまいに。関所を破ったばかりの弁慶に声をかけてあげるとしたら何とかけますか。
幸四郎 うーん、「あなた泣き虫でしょ、デカいのに」かな。「すごい感激屋さんだよね」とか。
── えっと、もう少しやさしい言葉でお願いします。
幸四郎 うーん……「大変だったね」ですかね、やはり(笑)。
── これまでいろいろな方の富樫と真っ向勝負してこられましたが、どなたの富樫がもっとも怖かったですか。
幸四郎 そうですね、やはり父の弁慶で叔父の富樫という構図が僕の頭にはしっかりと焼きついていますし、叔父の富樫で僕も弁慶を勤めてますので、やはり叔父の富樫にはつい本当のことを言ってしまいかねないです。「僕は本物の山伏ではありませんよ」って(笑)。
取材・文:五十川晶子 撮影:You Ishii
プロフィール
松本幸四郎(まつもと・こうしろう)
1973年生まれ、東京都出身。二代目松本白鸚長男。1978年、NHK大河ドラマ『黄金の日日』に子役で出演。1979年、歌舞伎座『侠客春雨傘』で三代目松本金太郎を襲名して初舞台。1981年、歌舞伎座『仮名手本忠臣蔵』七段目の大星力弥ほかで七代目市川染五郎を襲名。2018年1月、歌舞伎座 高麗屋三代襲名披露公演「壽 初春大歌舞伎」で十代目松本幸四郎を襲名。古典のみならず、新作歌舞伎、劇団☆新感線作品、映画、ドラマでも俳優として活躍。叔父・中村吉右衛門を継いで主演する「鬼平犯科帳」(ドラマ&劇場版)では息子の市川染五郎と共演したことも話題に。
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