茶の湯の名碗「高麗茶碗」
19/9/14(土)~19/12/1(日)
三井記念美術館
茶の湯の茶碗は、産地によって唐物茶碗、高麗茶碗、和物茶碗などと呼び分けられている。唐物茶碗は中国、高麗茶碗は朝鮮半島、和物茶碗は日本で焼かれた茶碗。日本に中国から喫茶法が伝わって以来、喫茶の茶碗は長く唐物に頼っていたが、室町時代末期、日本独特な侘びの茶風が広がるとともに新しく見いだされたのが高麗茶碗だ。高麗茶碗という名称が記録に初見されるのは、天文6年(1537)のことだが、わずか50年の後、侘茶が大成された天正年間(1573~1591)には、唐物茶碗に替わって高麗茶碗が大いに流行し、和物茶碗とともに茶の湯の茶碗の主流となる。
高麗茶碗と呼ばれてはいるが、この種の茶碗が焼かれたのは高麗時代ではなく、朝鮮時代。今日に伝わる高麗茶碗の数は和物茶碗におとらず、また作行きも多様だ。そうした高麗茶碗を三種類に大別すると、時代を追って次のようになる。
1. 朝鮮半島各地の窯で日常品として焼かれた器が茶の湯のために見立てられた茶碗。多くは16世紀に焼かれた茶碗類。
2. 16世紀末から17世紀初め頃、日本向けに焼かれたと思われる茶の湯の茶碗。
3. 17世紀から18世紀中頃まで、対馬藩の贈答品として釜山の倭館内で焼かれたもの。「御本」の名称で親しまれている。
高麗茶碗は時代によって、あるいは焼かれた経緯によって作行きは多様だが、一貫して和物茶碗とは異なる特質をそなえている。素朴さと大らかさだ。次頁に各種の特質を少し詳しく紹介する。この特別展を介して高麗茶碗ならではの魅力をお楽しみいただけたらと思う。
※なお展示期間が制限されている作品が多く、会期中に展示替えあり