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「秋元康=音楽プロデューサー」という大いなる誤解

リアルサウンド

13/7/22(月) 8:00

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 秋元康は近年、AKB48のプロデューサーとしてあまりにも有名だ。AKBは衰退していた日本の音楽産業の回復を牽引したとされている。その存在に否定的な人も多いけれど、ともかく彼女たちはCDを大量に売り、2012年に国内のレコード生産枚数は14年ぶりに微増に転じた。秋元康はそんなグループを作り上げた、いわば時代の立役者というわけだ。彼自身もメディア上で、この新しい時代のアイドルのコンセプトを語ったり、アイドル全般に思想を語ったり、いま作られるべき楽曲やライブのあり方について語ったりしている。

 AKBについてよく言われるのは、秋元康が80年代に手がけた人気グループ、おニャン子クラブの手法を生かしているということだ。たしかに、多人数のアイドルであることなどを含めて、2つのグループに似通った部分はあるかもしれない。しかしよく見ると、そうした評価はそこまで正しいとも言いがたいのだ。そもそもAKBがこれだけ注目されるより前、秋元康は作詞家として著名だったはずだ。著名どころか、彼は美空ひばりが死の直前に発表した名曲「川の流れのように」の歌詞まで書いた男だ。確固たる地位を築いていた。

 おニャン子クラブについても、秋元康はあくまで作詞家という立場にいた。実質的なプロデューサーだったのはこのグループの活動拠点となったテレビ番組「夕やけニャンニャン」のディレクター、笠井一二である。メンバーの選出なども笠井が仕切っていたし、秋元康はこの番組においては構成作家だった。秋元は「夕やけニャンニャン」の前段となる深夜番組「オールナイトフジ」でも同じく構成作家を勤めており、当時のフジテレビらしいテレビ番組の内幕を晒すような新しいバラエティ番組に参加していた。しかし欠かせないポジションにいたとしても、プロデュースを担当したというほどでなかった。その事実は秋元自身が認めているが、彼が今現在AKBを手がけているせいもあって、おニャン子クラブについてもプロデューサーだったかのように誤解されることが多いわけだ。

 秋元はその後アイドルプロデュースを繰り返していくが、やはり1986年の息っ子クラブ、1993年のねずみっ子クラブ、2001年の推定少女など、いずれのグループもAKBやおニャン子クラブほどに大成功したとは言い難い。日本の音楽シーンでは90年代後半に小室哲哉や小林武史、つんく♂など花形プロデューサーによるヒット作量産のブームが訪れたが、秋元康はこの流れにも乗っておらず、映画制作などに勤しんでいた。

 要するに秋元康は音楽プロデューサーとして、AKB以前にそこまで大きな成功を収めていたわけではなかった。日本の芸能界に欠かせない人物ではあったが、少なくともプロデューサーとしてではなかったはずだ。ではなぜ彼は、AKBで大成功したのだろうか。

 2000年以降のアイドルは、モーニング娘。を筆頭に、旧来のような少女らしいカマトトぶった世界とは一線を画する路線で人気を集めるようになっていた。目的を同じくするアイドル同士がライバル関係になり、切磋琢磨し、時には協力し合って目的を達成する。アイドルのそういう部分を楽しむ人が過去にいなかったわけではないが、それこそをアイドルの醍醐味として、リアリティショーのように観客にわかりやすく見せることがプロデュースで重視されるようになったのは2000年以降だと言っていいだろう。とりわけ2003年以降、ライブアイドル(地下アイドル)のシーンが盛況になり、アイドルがファンの眼前で激しくパフォーマンスを行い、努力する姿を見せつけるようになって、この傾向は強まった。

 2005年にAKBを結成させた秋元康は、ここに着目したと言っていいだろう。内側を晒し、それを娯楽にするというのは、かつて彼がテレビのバラエティ番組でやっていた手法をうまく作り替えたものなのだ。違うのは、それがテレビというメディアを飛び出したライブの現場で、またはライブ感を演出されて楽しまれるようになったことだ。

 そういう意味で、秋元康はやはり従来の意味での音楽プロデューサーではない。彼は内輪のノリを外部に伝えるという80年代に確立されたテレビバラエティのやり方を外部に持ち出した人物で、その手法の広がりはアイドルにとどまらずメディアに依らない音楽シーンの傾向をさらに強めた。それこそが、彼がプロデューサーとして成した、最大の革新だったと言っていいだろう。

■さやわか
ライター、物語評論家。『クイック・ジャパン』『ユリイカ』などで執筆。『朝日新聞』『ゲームラボ』などで連載中。単著に『僕たちのゲーム史』『AKB商法とは何だったのか』がある。Twitter

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