Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play
Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play

遠山正道×鈴木芳雄「今日もアートの話をしよう」

ピーター・ドイグが“画家の中の画家”と呼ばれる理由

月2回連載

第38回

20/4/3(金)

鈴木 今回は、東京国立近代美術館(東京・竹橋)の『ピーター・ドイグ展』(※新型コロナウィルス感染症予防対策のため臨時休館中)を、展覧会を担当された主任研究員の桝田倫広さんにご案内いただきながら紹介していきたいと思います。よろしくお願いします。

遠山 とても贅沢な時間を過ごせそうで楽しみです。よろしくお願いします。

桝田 よろしくお願いします。

鈴木 今回がピーター・ドイグさんの日本初の大規模個展なんですよね? 展覧会自体は5年前から準備されていたとうかがいました。

桝田 そうですね。5年前ほど前から準備してきました。

ピーター・ドイグ《のまれる》1990年 油彩、キャンバス 197×241cm ヤゲオ財団コレクション、台湾蔵 ©Peter Doig. All rights reserved, DACS & JASPAR 2019 C3006

遠山 展覧会にも出品されている《のまれる》は、2015年のクリスティーズ・オークションで、約2600万米ドル(当時約30億円)で落札されましたが、彼ははじめから評価されてきたんでしょうか?

桝田 いえ、実はそうではありません。注目され始めるのは、30歳を過ぎた1990年代に入ってからのことです。まず簡単にドイグさんについて紹介すると、彼は1959年にスコットランドのエジンバラで生まれ、カリブ海の島国トリニダード・トバゴとカナダで育ちました。1990年にはロンドンのチェルシー・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザインで修士号を取得、1994年にターナー賞にノミネートされています。2002年からはトリニダード・トバゴの首都、ポート・オブ・スペインに拠点を移して制作活動をされています。かなりいろんなところで過ごしているドイグさんですが、80年代前半にセント・マーチンを卒業して、しばらくロンドンで絵を描いていました。でもなかなか注目されない。そこで一度10代を過ごしたカナダに戻るんです。

ピーター・ドイグ《街のはずれで》1986年〜88年 油彩、キャンバス¬ 152×213cm 作家蔵

桝田 これはカナダに帰ってから制作された作品です。

遠山 展覧会冒頭に飾られているこの作品。いきなりなんだか感傷的な感じの絵ですね(笑)。それにイラストっぽいところがある。売れなくてカナダに帰ったと聞くと、余計にそう感じます。はじめからこういった絵を描いていたんですか?

桝田 これ以前は80年代のネオ・エクスプレッショニズムを思わせる、例えばジャン=ミシェル・バスキアとかジュリアン・シュナーベルのような、ちょっとバッドテイストなペインティングを描いていた時期もありました。

鈴木 でも彼にとってカナダというのは、ロンドンに比べたらとても退屈な場所って思っていたんじゃないですか? でもそれが新しいイメージのもとになったというか、大きな分岐点になったんでしょうか。

桝田 そうですね、カナダに戻るとその風景がとても新鮮に見え、モチーフとして使ったら、もしかしたらいままでとはまったく違う、新しい絵画が描けるかもしれないという感触を掴んだらしいんです。その感触をつかみ始めた頃にこの《街のはずれで》という作品を描きました。人物が森の奥を望んでいるような感じがします。男性の頭上の枝も、奥を指差しているかのようです。この人物は友人をモデルにしているそうですが、まさにここに自分が生きる術があるぞと、カナダの自然を見ている、そんな画家の物語のようにも読み解ける絵なんじゃないかなと思っています。

遠山 確かにまだバッドテイスト感がありますよね。人物にそういった名残があるように思います。

桝田 まさしくそうですね、その折衷の時代です。また森は、今後も同じような形のものが繰り返し登場します。

遠山 彼の作品って、どれもすごく大きいですよね。でも売れていなかった時代に、ここまで大きな絵を描くっていうのは、ある意味勇気がいったんじゃないかと思う。でもそこからアメリカ的というか、現代アートで生きていくんだっていう、彼の決意もどこか感じられるな。

桝田 それはあると思います。彼は出自こそスコティッシュだけれども、ロンドンにいる時は自分をアメリカ人だと感じていたそうです。カナダでも、そのあと過ごすトリニダード・トバゴでも、自分は常に異邦人だと。

鈴木 常に異邦人でい続けるというのは、けっこうしんどいかもしれない。でもそれは彼の作品を見ていたり、彼の人生を思うと、決してネガティブではなかったんじゃないでしょうか。

桝田 そうですね、むしろそれが強みにもなったんだったんじゃないかと思います。

ピーター・ドイグ《天の川》1989年〜90年 油彩、キャンバス¬ 152×204cm 作家蔵

桝田 《天の川》はカナダからロンドンに戻り、チェルシー・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザイン在学中に描いた作品です。湖面に浮かぶ小舟(=カヌー)は、映画『13日の金曜日』(1980年)の最後のシーンに感銘を受け、なおかつそのシーンがエドヴァルド・ムンクの雰囲気にも非常に似通っているということで描いたそうです。90年代の彼の絵画には、小舟が浮かぶイメージとをしばしば見ることができます。

鈴木 ホラー映画のラストシーンをただおどろおどろしく描いたわけじゃなくて、その静寂さを描きたかったんですよね。

桝田 はい。それに彼は、カナダの近代画家の描き方やモチーフも参考にしているんですね。

桝田 例えばカナダのカヌー湖を描いた《カヌー=湖》(上の写真、右の作品)がありますが、その湖で通称「カヌーの画家」とも言われる近代画家トム・トムソンという人が不慮の事故で亡くなっているんです。カナダの文脈で見ると、不穏なカヌーのイメージというのはカナダの近代美術とも結びついているんです。

二項対立のような画面構成

鈴木 彼の絵ってモチーフも画面構成色の塗り方にも、不思議な点がいっぱいありますよね。例えば画面の中で水平を分断させるというのかな、特に下をすごく強調しているような作品が多い気がする。

桝田 おっしゃる通り、上下で水平線を分断する画面というのは、どんなにスタイルが変わっても、彼の絵画の中で一貫して描かれ続けている要素の一つですね。そしてどういうわけか下段の方に物質的な存在感のある作品が多いです。

遠山 そういうふうに聞くと、上の現実より湖面などに映し出された下の虚構というか、そういった方が重大なのかなって思いました。

桝田 特に2002年くらいまでは、現実と虚構とか、こちらとあちら側といったように、二項対立的に世界を区切りながらも、同時にその境界が曖昧になっていくような作品が多いですね。

ピーター・ドイグ《スキージャケット》1994年 油彩、キャンバス 295×351cm テート蔵 ©Peter Doig. Tate: Purchased with assistance from Evelyn, Lady Downshire's Trust Fund 1995. All rights reserved, DACS & JASPAR 2019 C3006

鈴木 画面が不思議といえば、《スキージャケット》は縦に二分割された作品。横長で上下の構成が多いドイグさんの作品の中でも異色な感じがします。

桝田 そうなんです、上下で外の景色と湖面に映る虚像という対比が多い中で、これは左右で正像と鏡像が対比されています。この作品は、もともとカナダのトロントの新聞に掲載されていた、日本のスキー場の広告写真からインスピレーションを受けて描いたそうです。参照した写真が縦長のフォーマットだったらしくて、それが掛け軸みたいで面白いので描いてみようと思ったそうです。でもどうにもこうにも収まりがつかなくなって、それで合わせ鏡のように左のパネルを作ったわけです。

鈴木 なんで左右で大きさや色が違うのかっていうのも謎ですよね。

これってカナダの人から見たら、こんなに人がグチャグチャにいるスキー場なんて、魅力的じゃなくて滑稽に見えるって揶揄してるんですよね。

鈴木 カナダの人からしたら、わざわざ日本にスキーに来るわけない(笑)。だっていいスキー場がたくさんカナダにはあるわけで。それに《スキージャケット》っていうタイトルが面白いですよね。これはスキージャケットのカラフルな色を見せたかったんでしょうか?

桝田 ドイグさんいわく、自分がティーンエイジャーだった時に、カナダは冬が長いので、オシャレをするにはアウターをオシャレにするしかない。でも防寒具としてのスキージャケットにデザイン性はあまりないので、自分たちのアイデンティティを示す唯一の手段は色しかないと。なのでこの色とりどりのスキージャケットっていうのを配することによって、みんな一群のように見えるけれども、一人一人実は個性があるということを表現したかったそうなんです。

遠山 色彩の力を感じる絵ですね。雪をピンクにしているところも面白い。それに私は屏風っぽく思えて、日本画的にも見えました。

鈴木 確かに日本画の彩色技法の一つ「たらしこみ」(註:色を塗ってまだ乾かないうちに他の色をたらし、そのにじみによって独特の色彩効果を出すもの。琳派で盛んに用いられた)のような感じも見受けられる。乾燥に任せて画面を構成するというか。

桝田 ドイグさんの作品には一つの画面にさまざまなテクスチャーの油絵具が、これでもかっていうくらい使われています。薄塗りのところがあれば、ねっとりしたところもある。彼はものすごく絵具の使い方が上手いんです。でもその中で《のまれる》はちょっと異色で、絵具もとても厚いし、ヒビ割れも見られるんです。そういった絵肌の違いを見ていくのも面白いですね。ただ、彼は作品の背景については詳しく語ってくれるんですが、制作方法や描き方についてはまったく答えてくれないんです。アトリエ自体に人を入れることもあるそうですが、制作中に人を入れず、完全に一人で閉じこもって描く、というのを徹底しているそうです。彼の制作は企業秘密なんです。ちなみにこの作品はドイグさんいわく、ギュスターブ・クールベの《世界の起源》をちょっとイメージしているそうです。

描き方やテクスチャーの変化

ピーター・ドイグ《ガストホーフ・ツァ・ムルデンタールシュペレ》2000〜02年 油彩、キャンバス196×296cm シカゴ美術館蔵 ©Peter Doig. The Art Institute of Chicago, Gift of Nancy Lauter McDougal and Alfred L. McDougal, 2003. 433. All rights reserved, DACS & JASPAR 2019 C3006

鈴木 僕この作品、なんかざわざわするんですよね(笑)。描かれている風景はどこなのか、何かの寓意なのか、この男性2人は誰なのか、いつの時代なのかって。

桝田 基本的には古いドイツのダム湖の絵葉書をもとにして描かれています。

遠山 実際のダム湖にこんなカラフルな建物があったのかな(笑)。それに芳雄さんもおっしゃる通り時代がいつなのかわからないし、彼らはいったい何者なのか。

桝田 最終的にはドイグさん自身の古い写真をもとにして二人の人物を描いているそうなんですが、もともとは歴史がかった衣装を着た人物を真ん中に配することによって、いつの時代かわからないようにしたかったとのことです。当初、ニール・ヤングのアルバムジャケットからイメージを取ろうとしたらしいんですが、ニール・ヤングを描いてしまうと、ニール・ヤングの絵になってしまうので、もう少し匿名性を高めるためにそれを諦めて、自分の古い写真を採用したそうです。それにアンリ・ルソーの《カーニバルの夜》も重ね合わせているそうです。

鈴木 彼の絵はゴッホやセザンヌ、シャガールにマティスとさまざまな作家のイメージを自分の中に取り込んでいます。その中でもルソーはいろんな絵で彷彿とさせられますよね。例えば《夜の水浴者たち》(2019年)や《ポート・オブ・スペインの雨(ホワイトオーク)》(2015年)なんかは、その影響が顕著に現れている気がします。

ピーター・ドイグ《ポート・オブ・スペインの雨(ホワイトオーク)》 2015年 水性塗料、麻301×352cm 作家蔵 ©Peter Doig. All rights reserved, DACS & JASPAR 2019 C3120

鈴木 この《ポート・オブ・スペインの雨(ホワイトオーク)》も不思議な作品ですが、これは何か大きな意味を含んでいるんでしょうか?

桝田 ライオンというのはカリブ海諸国の街並みでよく見られるモチーフで、ラスタファリアン・ムーブメントの象徴なんです。ここで描かれているライオンは動物園のライオンを参考にしているそうですが、ともあれ本来は檻の中にいるはずのライオンが外で自由に動き回り、人間が閉じ込められています。そして画面の左上には灯台と機関車と車が描かれています。こうしたモチーフはここではないどこかに自由に行ける可能性みたいなものも暗示しているかのようです。抑圧と自由の対比。それが植民地であった島の歴史とも重ね合わされているのではないか、と私は思います。

鈴木 なるほど。そして描かれる対象も変わってきましたが、初期から比べると、モチーフや描き方、テクスチャー、使用する材料、技法などが大きく変化してきましたね。

桝田 ドイグさんはトリニダード・トバゴに移住してから、カナダを思わせる比較的寒冷地域の風景から熱帯の風景を描くようになります。

遠山 絵肌も油絵じゃなくて水性塗料になったというのもあるんでしょうが、厚塗りだったものからどんどん薄くなっているのがわかります。ますます日本画っぽく見えてくるところもありますね。《ポート・オブ・スペインの雨(ホワイトオーク)》なんてものすごく薄塗りに見えます。

桝田 そうですね、薄塗りになってから、下書きの線もそのままになっている作品が多くあるんですが、このライオンも下絵の線が消されないまま、一つの効果のように残されています。

桝田 鈴木さんが指摘されたように、かなり変化しています。彼は常にマンネリになりたくないと言っています。ドイグ=油彩の厚塗り作家と思われることがすごく嫌みたいなんです。そういう厚塗りの作品が好きだという人は、絵が好きなんじゃなくて、単純に油絵具の質感にフェティッシュを感じているだけにすぎない、絵画というのはそういうものじゃないとおっしゃっています。より開かれた形で絵画を作る試みを続けているとも言っています。

ピーター・ドイグとその時代

鈴木 展覧会の最後には、ドイグさんが自主的に行っている映画上映会のポスターが並んでいました。すべて即興のような手書きのポスター。そういったものも含めて、僕は展覧会を通して、そしてドイグさんの人生を振り返ってみると、奈良美智さんと通じるところがあると思っているんですね。ふたりは歳も同じだし(笑)。

桝田 スタイルはもちろん全然違うんですが、根本的なところでは似たようなところがおふたりにはあるかなと私も思っています。近代絵画の文法を引き継ぎながら、それと音楽や映画といったある種の大衆文化、サブカルチャー的なものを等価に置いて、一つのイメージにまとめていくっていうところが態度として非常に似通っている部分があるんじゃないかな、と思いました。

鈴木 確かにそうですよね。あと彼らの共通点としては、わりと若い頃に同世代の作家たちが売れていくのを横目で見ながら、ひたすら愚直に伝統的な具象絵画を描き続けてきたというところだと思います。ドイグさんならダミアン・ハーストたちYBAs(ヤング・ブリティッシュ・アーティスト)だったり、奈良さんだったら日比野克彦さんだったり。もちろん、どちらが上とか下とかっていうのではありませんが。さらに桝田さんのお話をうかがいながら思ったのが、ドイグさんも「旅の人」であり、やはり「異邦人」。奈良さんも。

鈴木 ちなみに学生時代のドイグさんに絵の師匠というか、心の師匠っていたんですか?

桝田 ドイグさんいわく、学部時代に非常に印象に残っている作家は、フィリップ・ガストンだそうです。アメリカの抽象表現画家なんですが、のちに抽象から具象に転じた人です。抽象表現の時代が終わって具象表現が復活する時代の中で、先駆的なロールモデルの一人としてフィリップ・ガストンが、イギリスの当時の若手アーティストの中で注目されたそうです。ちなみに初期の《街のはずれで》は、ニューヨーク近代美術館に所蔵されているフィリップ・ガストンの作品の名前から取っているそうです。それと遠山さんがイラスト的とおっしゃっていましたが、アメリカのミュージシャンであり画家であったキャプテン・ビーフハートのイラスト風の絵が持っているエネルギーから刺激を受けたとも言っていましたね。

遠山 実はものすごくいろんな要素を取り込んでるんですよね、ドイグさんは。でもそれがただの真似ではなく、オリジナリティのある作品になっている。でも同時代にYBAsという、ある種スターたちがいて、その中でもがき苦しみながら、なかなか浮上できず苦渋を舐めていた姿が思い浮かびますね。でもこんなにも楽しかった展覧会は久々でした。私はドイグさんの作品を通して思ったのは、この人はいい意味で、そんなにズバッと貫いている感じがないということ。もちろん一貫したテーマやモチーフはあるにしても、それに固執しすぎているわけでもない。絵の中でも旅しているような感じ。だから私は彼が「画家の中の画家」と呼ばれるのはどうしてなんだろうってずっと疑問に思ってしまって。

桝田 画家の人たちは、しばしば“ドイグって画家の中の画家だよね”って言うんです。ここで言う「画家の中の画家」というのは、絵画表現を追求し続けている彼の姿勢に対する尊敬の言葉なんですよ。自分のスタイルを確立すると、そのスタイルの中で絵を描く作家もいます。けれどもドイグさんはどんなに成功しても、それまでのスタイルをあっさり捨てて、全然違う方法で絵画制作に取り組みます。こうした真摯な制作態度を尊敬している作家たちが本当に多いですね。

遠山 それは素敵な話ですね。

鈴木 常に同じ歌を歌う人と挑戦していく人っている。それが良い悪いじゃなくて、一つのスタイル。本当にドイグさんは住む場所も、人生も、そして作品の中でまで旅をしている。しかも場所を移動する旅だけじゃなくて、時間軸の旅もしている。もしかしたら色の旅もしているかもしれない。

遠山 技法も旅してますよね。

鈴木 そうですね。そしてその旅は終わることはないと思います。今後どんな作品をドイグさんが描いていくのか、それも楽しみですが、まずは展覧会で、ドイグさんと一緒に旅をしてほしいですね。今日は桝田さんありがとうございました。


構成・文:糸瀬ふみ 撮影:星野洋介


プロフィール

遠山正道 

1962年東京都生まれ。株式会社スマイルズ代表取締役社長。現在、「Soup Stock Tokyo」のほか、ネクタイ専門店「giraffe」、セレクトリサイクルショップ「PASS THE BATON」、ファミリーレストラン「100本のスプーン」、コンテンポラリーフード&リカー「PAVILION」などを展開。近著に『成功することを決めた』(新潮文庫)、『やりたいことをやるビジネスモデル-PASS THE BATONの軌跡』(弘文堂)がある。


鈴木芳雄 

編集者/美術ジャーナリスト。雑誌ブルータス元・副編集長。明治学院大学非常勤講師。愛知県立芸術大学非常勤講師。共編著に『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』など。『ブルータス』『婦人画報』ほかの雑誌やいくつかのウェブマガジンに寄稿。

新着エッセイ

新着クリエイター人生

水先案内

アプリで読む