Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play
Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play

エンジニアが明かすあのサウンドの正体 第5回 東郷清丸、D.A.N.、スカート、蓮沼執太フィルらを手がける葛西敏彦の仕事術(前編)

ナタリー

19/10/10(木) 13:00

葛西敏彦

誰よりもアーティストの近くでサウンドと向き合い、アーティストの表現したいことを理解し、それを実現しているエンジニア。そんな音のプロフェッショナルに同業者の中村公輔が話を聞くこの連載。今回は大友良英、青葉市子、東郷清丸、D.A.N.、スカートらの作品に携わるほか、蓮沼執太フィルのメンバーとしても名を連ねる葛西敏彦に登場してもらった。以前から顔見知りの葛西と中村の2人によるエンジニア談義を楽しんでほしい。

ライトなノリで青森から上京

──まずは葛西さんがどういう音楽体験を経てエンジニアになったのか教えてもらえますか?

高校生の頃はThe Vaselinesとかサニーデイ・サービスが好きで、友達とバンドをやっていました。そのうち1人でやるほうが気楽だなと思うようになり、それからはずっとテクノをやっていて。打ち込みのトラックを作ったり、友達とDJパーティをやったり。でも、せっかくいい機材を買っても思ったような音にならないことってありますよね。そんなとき、友達にレコーディングエンジニアという仕事があることを教えてもらったんです。エンジニアという視点からいろいろな音楽を聴いてみると、ジャンルが違っても同じ匂いがするのがわかったんですよね。僕もいろいろなジャンルの音楽が好きなので、意外と向いてるかもしれないと思って、青森から上京して新大久保にあるセンター・レコーディング・スクールという専門学校に行きました。でもそのときはエンジニアを仕事にしたいというより、スキルだけ欲しいから行ってみようというかなりライトなノリでした。技術だけ身に付けたら地元に戻って、友達と一緒に音楽をやろうって思っていたんですけど、専門に半年通った頃に池尻大橋のマルニスタジオに就職が決まり、そこに5年間在籍してからフリーランスになりました。

──高校生の頃にやっていた音楽と現在のエンジニア業でつながる部分はあります?

趣味とダイレクトに仕事がつながっている部分はないかな。あ、でも僕、アコギの質感がもともと好きだったんです。弾いたときに6本の弦がジャーンと鳴ってる感じじゃなくて、ピックが擦れたときに“ギッ、ガッ”って音が出る、あの瞬間(笑)。その感じって、僕の中ではけっこうテクノに似ているんですよね。音が発生する瞬間の質感が好きで、例えばシンセだとオシレーター(※音の波形を作り出す装置)の具合を少し変えたりフィルター(※一定の周波数以上 / 以下の帯域を削ったり減衰させたりする装置)の設定を少し変えたりするだけで音が全然違ってくるじゃないですか。キックとハットだけでグルーヴを作るディープミニマルテクノみたいな、ちょっとした質感の違いで何かが変わる音楽を聴くと萌えるんですよ。録音しているときはその感覚に近くて、マイクを立てる位置を変えたり、マイクプリアンプの録音レベルを1クリック上げたりするだけで質感が変わる。それをコントロールするのはテクノをやるときと似た気持ちかもしれないです。

──テクノをやっていたときは、どのような機材を使っていたんですか?

最初はサンプラーのAKAI PROFESSIONAL MPC2000を買いました。あとはYAMAHA MD4Sという、ミニディスクを使ったMTR。それとPCはWindowsでDAWはSTEINBERG Cubaseでした。スタジオに入るまでAVID Pro Toolsを一切触ったことがなかったんですよ。専門学校に入って初めて存在を知ったくらい。当時はまだ高くて個人で買える値段じゃなく、もちろん持っていなかったので、よくスタジオに雇われたなと(笑)。

──アシスタント時代は、どのような仕事をしていたんですか?

マルニスタジオはプロ仕様の貸しスタジオなので、来る仕事が毎日さまざまで、アーティストの作品もあれば、アイドルも来るし、声優さんとかアニメの仕事もあれば、映画の劇伴やCMなど、ない仕事がないくらいでしたね。そこでいろいろ見れたのは面白かったです。

──当時、具体的にどういうアーティストの作品を録音しました?

山崎まさよしさんは2、3年くらい担当させていただいてましたね。担当ディレクターが佐野(敏也)さんというフィッシュマンズをやっていた方で、zAkさんと知り合うきっかけにもなったんですけど。当時はまだ音楽業界にお金があって余裕があったので、山崎まさよしさんが映画の劇伴を作るときには、音楽が入っていない状態のビデオをまず最初に全員で2時間観たりして。なんだかんだで1カ月くらいかけてやってましたね。鈴木慶一さん(ムーンライダーズ)が音楽を担当した北野武さんの映画「座頭市」も1カ月くらいやりました。ゆっくり時間をかけて作ることが、まだギリギリあった時代でしたね。今は宅録が増えて、そういう作り方はなくなっちゃいましたけど。

zAkのもとで丁稚奉公をしてPAを学ぶ

──フリーランスになってからはどういう仕事を?

スタジオ時代からの付き合いで、大友良英さんの作品をやらせていただいたり。大友さんはかれこれ15年くらいやらせてもらっていると思います。あとはbonobosとか。彼らは最初はzAkさんのスタジオで録音していて、アシスタントで僕が呼ばれて手伝っていたんですけど、年が近いということもあって気が合って、メンバーがソロを出すときに頼まれました。

──葛西さんはライブPAのお仕事もされていますよね。エンジニアとPAを両方やってる人って珍しいと思うのですが、どういう流れでやるようになったんでしょうか?

PAは最初あまり興味なかったんですけど、zAkさんのPAを見て「こういう世界があるんだ」と思ったのがきっかけですね。zAkさんがなじみのあるレコーディング用の機材を持ち込んでPAをやってるのを見て、ほかでそんなPAは見たことないので驚いたのと、やっぱり出音がすごくよかったんですよ。僕が見たのはUAさんの日比谷野外大音楽堂でのライブで、それを見て自分でもやってみたいと思ったんです。思ったらやっちゃう性格なので、手探りで始めました。

──やろうと思ってできるものなんですか?

ね(笑)。でも一歩ずつ地道にですよ。一時期はzAkさんのところに丁稚奉公みたいな感じで「ギャラいらないんで、見に行かせてもらっていいですか?」ってお願いして、機材のセットアップとかお手伝いに行っていて。zAkさんのやり方を見て覚えました。だからレコーディング技術は学校で学びましたけど、PAは特に教わらずに現場で見て覚えたんですよね。スタジオを辞めてもっといろんなことをやってみようって思っていた時期に、友達のインディーズバンドに「PAやらせてよ」って頼んで始めた感じですね。

──zAkさんに倣って、レコーディング機材を持ち込んでPAをやっているんですか?

最初はそういうふうにやってみたんだけど、そうじゃないなって途中で気付きました。一度現地にある機材だけでやるようになって、最近はまた適時スタジオの機材も持ち込んだりしながら、より自分らしい音になるように模索しています。

ミュージシャンの日常と非日常を共有

──PA をやることでレコーディングにフィードバックできることもありそうですよね。

それはすごくあります。スタジオで働いていたときに、この時間はミュージシャンにとって特別な時間で、そこしか共有できていないなと思っていたんですよ。ミュージシャンにとっての日常はライブだったりするわけで。PAをやることによって彼らの“日常”を一緒に過ごすことができて、レコーディングのときに彼らが何をやりたいのか理解するのも早くなりました。スタジオの作業とライブの現場がお互いにフィードバックする印象です。

──ずっと一緒にいるとメンバーの1人みたいな感じになりそうですね。蓮沼執太フィルに参加しているのは、そういう流れでなんでしょうか?

蓮沼フィルはエンジニアとして関わっていますけど、メンバーとしてクレジットしてくれて、ホントありがたいです。蓮沼くんも最初はライブでしたね。原宿のVACANTでライブをやるときにPAを連れて来ないからってことで小屋の人にPAを頼まれて、それで仲良くなって録音もやるようになりました。蓮沼フィルはレコーディングもライブのように一発録りでやっているんですよ。やっぱり全員で録らないと出ないタイム感があるんですよね。人数が多いので別の部屋に分かれるけど同時に録音するやり方でやっていて、こないだはブースが6つあるのにメンバーが入りきらず、コントロールルームでフルートとグロッケンを録りました(笑)。

当たり前を疑え

──一方で葛西さんがプロデューサーみたいな関わり方をしているバンドもありますよね。

東郷清丸くんとかD.A.N.はそうでした。曲もアレンジもできていて、清書するような作業の録音もあれば、余白が残されたままくるようなレコーディングもあるじゃないですか。そういう余白が残されているときに、プロデューサー的な関わり方をすることが多いかな。音楽って録音し終わったあとのポストプロダクションで強度が一段上がることがありますよね。Radioheadの音楽みたいに、編集することによって生まれてくるバンドのダイナミクスがあると思うんですけど、D.A.N.はそういうタイプ。清丸くんもさらっとやってるように聞こえるかもしれないけど、普通にやったら絶対こうはならないような音なんですよ。

──わかります。

ミックスが終わったあとに「ここに何か足りない」と思うことってありますよね。そこをエンジニアリングの技術で埋めることもできるんですけど、何か楽器を足したほうが自然になる場合も多くて。だから僕はミックスしてみて何かが足りないと思ったときは、楽器を足してもらうよう言ったりします。清丸くんの「L&V」(2019年5月発売のアルバム「Q曲」収録)は、ミックスが終わってみんなで聴いていたときに、「これはこれで完成してるんだけど、まだいける」という話になり、アウトロのフレーズだけ追加で作ってもらいました。

──普通はミックスが終わったあとにアレンジに戻ることはあまりないですよね。

ないですけど、普通のやり方を疑うのが好きなんですよ。プリプロダクションをしました、曲ができました、録音をします、ミックスしました、終わり、という流れを疑おうと思っていて。ミックスが終わってからじゃないとわからない要素もあるし。みんなと同じワークフローでやっていたら結果も同じようになりますよね。人と違うことをやりたいなら、まずそのワークフローから疑おうかなって。その分スタジオの時間は余計にかかるので、お金の問題は大きいんですけど(笑)、可能な限り。

迷ったら極端なほうを選べ

──東郷さんの曲で言うと「Q曲」に入ってる「YAKE party No Dance」も音作りが面白かったです。

あれはけっこう難産だった曲で。彼は「Q曲」を作るにあたって、写真をコラージュした大きな絵コンテを持ってきて曲ごとのプレゼンをしたんですね。だからイメージはすでにあったんですよ。でも具体的な楽器はなく抽象的で、そのイメージをどう形にしていくかをすごく話し合って。まず「管楽器は入ってるよね。トランペットは呼ぼう。しかも1本じゃなくて、2本か3本は入ってるよね」ということで、フレーズまで決めたんですけどまだ普通の曲なんですよ。次に「なんか笑える感じがいいよね」という話をしていて、今何が笑えるかを話し合った結果、1980年代に流行ったオケヒ(オーケストラルヒット)だなという話になって。

──マイケル・ジャクソンの「Bad」やYes「Owner of a Lonely Heart」にも使われている。

そうそう、「それを今使ったら面白いんじゃない?」ってなって。清丸くんのアルバムのテーマが1つあって、それは迷ったら極端なほうを選ぶということなんですよ。迷ったときにバランス取るの禁止という話をしていて、それでオケヒを入れることになりました。さらにもう1つくらい笑える要素はないかなという話になったときに、スクラッチがよさそうってなって、沖縄に住んでる友達のDJに頼みました。そこまでは要素の話で、ミックスのときにもう少しゴワゴワさせたいということで、鍵盤の別所(和洋 ex. YASEI COLLECTIVE)くんが弾いてくれた音を僕が切り刻んで、パンで1音ごとに右と左に振り分けていきました。

──バランスを取ろうという曲作りの発想からは生まれないですね。

ですね。そのあとたまたまマスタリングのときにスタジオにあだち麗三郎くんが来ていたので「どう、この曲?」って聞いたら、あだちくんが「ドラムブレイクとか作ったら?」って言うからその場で作ってもらって。そういうハプニングも大事にしていて、何でも受け入れるようにしていますね。

お互いにイメージを埋め合っていく

──少し話が戻るんですが、東郷さんはプレゼン用の資料を作ってきたんですか?

僕がよくやるのはイメージシートを作ってもらうんですよ。ミックスのオーダーって「キックは強く」とかそういう具体的な指示がくることが多いんですけど、なるべくそうならないようにしていて。オーダーに技術的に応えるのは簡単なんですけど、それをやったら話がそこで終わってしまうんですよね。だから具体的な指示のほかに抽象的なイメージももらうようにしています。それはけっこう面白くて、バンドによっては小説を書いて来たり、映画の絵コンテを描いて来たり。D.A.N.は1stアルバム(2016年4月発売の「D.A.N.」)を作るときは曲ごとに写真を8枚撮ってきましたね。ミックスに迷ったらその写真を見て、「この曲はシンセをもっと前に出したほうがイメージに近い」とか判断基準にしたりして。

──それは非常に面白いですね。

イメージをもらうやり方だと、それはまだ音になっていないので、そこに対してみんなで言い合えるんですよ。片方が具体的なオーダーをしてもう片方が応える形でやると、想像の形が決まって来るし、それを超えられない。イメージに対して、「それならこうじゃない?」って話しながらやると、想像を超えていけるんですよね。そのヒントを持っているのは、だいたいはミュージシャンのほうで、曲を作ったときのことを聞くだけでも違ってくるんですよ。「どういう気分で曲を作った?」「時間は?」「そのときの天気は?」みたいなことを聞くだけでもいろいろわかってくる。でもそれを聞いたエンジニアの側からじゃないとわからないこともあるから、お互いにイメージを埋め合っていくようにしているんです。

──商業的な作品だと、すでに1回やってできることを焼き直していくことが多いから、より細かいオーダーがありますよね。それをやってくと、どんどんこじんまりしていくんじゃないかと思ってます。

そうそう、狭くなっていくしかないですよね。自分のやったこともどんどん過去になっていくので、疑っていかないと。それは正しかった瞬間もあるけど今が正しいとは限らない。だから自分がやってきたことに自家中毒になることが一番怖いですね。毎日来た仕事を引き受けていくという漫然としたやり方だと、エンジニアもこの先食えなくなっていくと思いますよ。自分の新しい働き方を想像するのが大切かと思っています。

<後編に続く>

葛西敏彦

studio ATLIO所属のエンジニア。スカート、大友良英、岡田拓郎、青葉市子、高木正勝、東郷清丸、TENDRE、PAELLAS、バレーボウイズ、YaseiCollective、寺尾紗穂、トクマルシューゴらの作品を手がけている。ライブPAも行っており、蓮沼執太フィルにはメンバーとしてクレジットされている。

中村公輔

1999年にNeinaのメンバーとしてドイツMile Plateauxよりデビュー。自身のソロプロジェクト・KangarooPawのアルバム制作をきっかけに宅録をするようになる。2013年にはthe HIATUSのツアーにマニピュレーターとして参加。エンジニアとして携わったアーティストは入江陽、折坂悠太、Taiko Super Kicks、TAM TAM、ツチヤニボンド、本日休演、ルルルルズなど。音楽ライターとしても活動しており、著作に「名盤レコーディングから読み解くロックのウラ教科書」がある。

取材・文 / 中村公輔 撮影 / 斎藤大嗣

新着エッセイ

新着クリエイター人生

水先案内

アプリで読む