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「十二国記」シリーズ、なぜ新潮文庫から発売? 少女小説/ライトノベルの一般文芸化を考察

リアルサウンド

19/11/27(水) 16:37

 小野不由美による「十二国記」シリーズで、 18年ぶりとなる新作長編『白銀の墟 玄の月』が発売された時、これは落丁ではないかといった話が広まった。文庫本の上の小口、「天」の部分がそろっておらずギザギザになっていたからだが、これには理由がある。新潮文庫では、天アンカットと呼ばれる製本手法が使われているからだ。

 1814年の創刊で、国内で最も古くから続いている文庫レーベルならではの伝統が息づく部分とも言え、そうした伝統の中に、講談社ホワイトハートX文庫という少女小説のレーベルから誕生した「十二国記」のシリーズが、組み入れられた証と見ることもできる。

 「十二国記」のシリーズで紡がれる架空の国々の物語は、政治があって軍事があって、社会があって人々の営みがあってと、世界をかたち作るすべてが詰め込まれていて、読む人たちの人生に語りかける。ファンタジーだからといって絵空事だとは思われないディテールの濃さで、ホワイトハートX文庫の時代から性別を問わず、年齢も幅広い読者を集めた。

 より広い範囲に届く物語だという判断が、少女小説のレーベルから一般向けの講談社文庫への展開を誘い、文庫の殿堂とも言えそうな新潮文庫への移籍へと至った。シリーズの源流とも言える『魔性の子』を刊行したレーベルに里帰りしたとも言えるが、天アンカットの話題はそのころからすでに出ていた。待望の新刊となって改めて読み返そうとした人や、これを機会にと新しく手に取った人が手に取ったことで、話題が可視化されたのだろう。

 少女小説やライトノベルのレーベルから出ていようと、そして表紙絵がコミックのようであろうと面白ければ気にしないという人も大勢いる。一方で、中身は気になっていても手に取りづらいという本好きも少なからずいたりする中で、新潮文庫版の『十二国記』では、講談社文庫が避けたホワイトハートX文庫時代からの山田章博が、表紙絵やイラストに起用された。

 これはおおいに歓迎すべき部分だ。少女小説にしてもライトノベルにしても、イラストが物語世界への没入感を高め、キャラクターへの感情移入を強くしてくれる。山田章博のイラストに絵画的な雰囲気が色濃いとしても、それすらも嫌がる読み手をねじ伏せ手に取らせているのだとしたら、イラストとともにライトノベルを楽しんでいる読み手には「してやったり」という感慨も浮かぶのではないか。

 それというのも、ティーン向けとされるライトノベルとして刊行されて、上の世代の関心を誘ってレーベルが移ったり、広がったりする中で表紙や中からイラストがなくなってしまう場合があるからだ。大好きな小説の物語性が評価されたというのは歓迎すべき部分ではあっても、同じくらい大好きなイラストを避けられてしまったという思いは、結構苦い。

 ライトノベルのレーベルから、一般文芸という流れでまず浮かぶのが、桜庭一樹の『砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない』だろう。父親による少女への虐待というセンシティブなテーマを扱ったこの小説は、2004年に富士見ミステリー文庫から刊行されるやミステリー界にとどまらず、一般文芸からも関心を呼んで桜庭一樹という名前を強く印象づけた。

 後に、そうした方面からの依頼に応えて小説を執筆するようになり、2008年に『私の男』で第138回直木賞を受賞するに至ったきかっけとも言える作品。ただ、文庫版では、むーによる少女たちが抱き合ったイラストが使われていたものが、2007年に単行本化された際にも2009年に角川文庫入りした際にも、イラストは外された。

 桜庭一樹によって2003年に富士見ミステリー文庫でスタートした『GHOSIC-ゴシック-』シリーズも、角川文庫入りした際には当初の武田日向のイラストとは違った、シルエットによる表紙絵で発売されたが、ここですばらしかったのは、富士見ミステリー文庫の店じまいとともに移った角川ビーンズ文庫で、武田日向のイラストがそのまま使われたことだった。

 2017年に武田さんが亡くなった時、桜庭一樹はブログで「もう一人の作者」としてその死を悼んだ。第一次世界大戦後のイギリスに暮らすヴィクトリカと、日本から留学していた九条一弥が遭遇する不思議な事件を描いたシリーズでは、かわいらしいキャラクターや嘆美なファッション、瀟洒な背景が物語世界への没入感をどこまでも高めてくれた。だからこその支持だったという意識を強く抱いていたからこそ、ビーンズ文庫版で引き続き、武田日向の世界を使ったのだろう。

 似た例では、橋本紡による『半分の月がのぼる空』の文春文庫入りがある。難病の少女と病院で出会った少年が、少女に振り回されながらも次第に心を通わせていくラブストーリーで、2003年に電撃文庫から山本ケイジのイラストで刊行。ファンタジーやSFが多かったライトノベルにあって、日常を扱った物語ながらも強いキャラクター性と、切なさを感じさせるドラマ性で人気となった。

 のち、橋本紡は一般文芸へと出て行って2006年に新潮社から『流れ星が消えないうちに』を刊行。2009年に刊行の『もうすぐ』が、産婦人科の医療事故を扱ったストーリーで第22回山本周五郎賞の候補になるなど一般文芸の分野でも存在感を高めていった。

 そんな橋本紡のライトノベル時代の代表作とも言える『半分の月がのぼる空』は、物語の舞台になった三重県伊勢市でロケされた実写映画の公開にタイミングを合わせ、2010年に伊勢市の言葉に書き直され、上下2巻の単行本として刊行された。表紙は真っ白。ライトノベル版のイラストは口絵にあるだけだったが、この完全版が2013年に文春文庫入りした際、電撃文庫版で表紙絵やイラストを描いた山本ケイジがふたたび、表紙絵を手がけていた。あのイラストで物語世界を楽しんだ人たちの思いを壊したくない、ともに世界を作り上げたイラストレーターに敬意を示したいという、作家の意図が感じられた。

 イラストとともにあったライトノベルのパッケージを大切にしたい。けれども一般の読者賞にも展開したいということで、両方のレーベルから刊行するという手法も最近は増えている。『涼宮ハルヒの憂鬱』から始まる谷川流のシリーズが、2019年1月に角川文庫から筒井康隆や乃木坂46の松村沙友理による解説付きで刊行されたが、表紙はいとうのいぢのイラストではなく、岩倉しおりによる写真だった。

 これもこれで、少女がモチーフになった美しいものだったが、いとうのいぢが描くキャラクターと強烈に結びついている作品だけに賛否はさまざま。ただ、角川スニーカー文庫版がなくなってしまった訳ではなく、ライトノベルより下の角川つばさ文庫版でもイラストは健在。そこは、あらゆるカテゴリーに作品を届けようとするKADOKAWAのパッケージ戦略と言えるのかもしれない。

 同様のことは、スニーカー文庫で刊行されていた河野裕の「サクラダリセット」シリーズでも行われている。2016年から角川文庫で改稿の上、刊行され始めた際にイラストが椎名優からとろっちに変わり、風景の中にキャラクターがたたずむおとなしめのものになった。『いなくなれ、群青』から始まる「階段島」シリーズが新潮文庫nexで始まり、新しい書き手として注目される中、「サクラダリセット」シリーズもアニメ化、実写映画化が決定。広い読者に届くよう、改稿では、若書きだった部分が直され、主人公の立ち位置も半歩退いて全体を見通すようなものになった。

 ただし、改稿前のスニーカー文庫版も残されていて、椎名優のイラストとともにオリジナルを楽しみたい人に応えている。河野裕は一方で、スニーカー文庫から2巻まで出していた『ウォーター&ビスケットのテーマ』を新潮文庫nexに移し、大幅改稿の上で『さよならの言い方なんて知らない。』というタイトルでシリーズ化し始めた。

 高校生の少年と少女が謎めいた手紙に導かれ、入り込んだ架見崎という街で繰り広げられていたチームどうしによる領土戦争。そこでは異能を得た者たちが、一定のルールにのっとって陣取り合戦をしていた。少年はルールを吟味し、異能の正体を推理しながら勝利を目指す。異能バトルとゲーム的な展開は、「サクラダリセット」シリーズとも似通いライトノベル的だったが、異世界転生・転移ものが人気となっている今のライトノベル状況には向かなくなっていたのかもしれない。

 こうした状況の変化と、作者の成長と読者層の拡大が、ライトノベルから一般文芸へといった流れをこれからも生み出しそう。次に一般文庫入りするシリーズがあるとしたら何か? そこではイラストは使われるのか? いろいろと想像してみたい。

■タニグチリウイチ
愛知県生まれ、書評家・ライター。ライトノベルを中心に『SFマガジン』『ミステリマガジン』で書評を執筆、本の雑誌社『おすすめ文庫王国』でもライトノベルのベスト10を紹介。文庫解説では越谷オサム『いとみち』3部作をすべて担当。小学館の『漫画家本』シリーズに細野不二彦、一ノ関圭、小山ゆうらの作品評を執筆。2019年3月まで勤務していた新聞社ではアニメやゲームの記事を良く手がけ、退職後もアニメや映画の監督インタビュー、エンタメ系イベントのリポートなどを各所に執筆。

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