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『いだてん』の“オチ”は私たちが現実でつけるしかない SNSで熱狂的に語る人が絶えない理由

リアルサウンド

19/12/22(日) 6:00

 12月15日。大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』(NHK総合)が最終回を迎えた。

 チーフ演出の井上剛、プロデューサーの訓覇圭、脚本の宮藤官九郎を筆頭とする連続テレビ小説『あまちゃん』(NHK総合)のチームが再結集した本作は、オリンピック誘致と日本のスポーツに貢献した人々、そしてその背後にいる市井の人々を描く近現代を舞台にした歴史ドラマとなっていた。規模においてもクオリティにおいてもテレビドラマ史に残る金字塔になったことは間違いないだろう。

【写真】『いだてん』クランクアップの様子

 制作が発表された当初は、2020年の東京オリンピックを盛り上げるためのプロパガンダ的作品になるのではないかと懸念された。しかし、出来上がった作品は単純なオリンピック礼賛でもオリンピック批判でもなかった。より根源的な「日本人にとってオリンピックとは何か?」と問いかける作品となっていた。

 第一部、日本マラソンの父と呼ばれた金栗四三(中村勘九郎)を主人公に描かれたのは「走る=身体を動かすことの気持ちよさ」というスポーツが持つ根源的な喜びだった。はじめて出場したストックホルム五輪の成績は惨憺たる結果で、西洋人との身体能力の差を思い知らされるものとなったが、今思えば、その敗北すらも甘美なものだったと思う。

 『いだてん』は金栗四三の残した日記を筆頭に、様々な一次資料を元に構築された作品で、登場人物の多くは実在した人々という実話を元にした物語だ。その意味でドキュメンタリー的なアプローチだったと言えるのだが、映像はどこか幻想的で、ファンタジーやSFを見ているような手触りが存在した。

 同時に本作は、落語の語りを用いたことで変幻自在な“お噺”となっていた。断片的な史実を紡ぎ合わせることで「オリムピック噺」という歴史を、志ん生(ビートたけし)が語り起こしていく姿、それ自体がもう一つのドラマだったと言える。それはそのまま、宮藤たち作り手がスポーツを通して見た近現代史を映像化していく過程とも重なる。それがより顕著となるのは、関東大震災を経由して主人公が金栗四三から田畑政治(阿部サダヲ)にバトンタッチされる第二部以降だ。

 走っていれば楽しかった牧歌的な時代が終わり、勝たなければ意味がないという時代がはじまる。オリンピックのためなら政治権力も利用する田畑の姿は、明治以降、富国強兵の名の元、欧米列強と対峙するために近代化していく日本の姿とどこか重なる。メダルの獲得数は以前とは比べ物にならないくらい増えていくが、第一部にあった「スポーツの楽しさ」は失われていった。

 そして時代はキナ臭い方向へと流れていく。二・二六事件では田畑が働く朝日新聞本社が陸軍に占拠され、その時、田畑は自分たちがオリンピックに夢中で、見て見ぬふりをしてきた暴力的な現実を目の当たりとする。

 同時に印象的だったのは、志ん生が逃げるように高座から立ち去り「あの時代の話はダメだな。笑いになんねぇや」と言う場面。その姿は、あらゆることを「笑えるお噺」に落とし込んできた宮藤の語り口、それ自体が圧倒的な現実を前に敗北する姿を描いているように見えた。

 3.11以降、宮藤は、東日本震災に象徴される圧倒的な現実を前に、娯楽は果たして必要なのか? と問いかけてきた。娯楽とは時に笑いであり、時にアイドルや芸能であり、この『いだてん』においては落語でありスポーツでありオリンピックだ。

 第二部では、東京オリンピックを翌年に控えた私たちにとって既視感のある出来事が次々と起こる。「こんな時だからこそオリンピック」と言う嘉納治五郎の言葉に呆れながら田畑も五輪誘致に尽力するが、やがて返上を余儀なくされる。

 おそらく今の私たちの心境としては来年の東京オリンピックは、戦後復興とシンクロした1964年のアレよりも、政治状況を鑑みても1940年のソレと近いのではないかと思う。この第二部からSNSでの盛り上がりも大きく過熱していったが、それは他人事と思えないという気持ちを持った人が多かったからではないかと思う。

 逆に40話以降の戦後編を、どう受け止めていいのか自分にはまだわからない。ドラマとしてはもちろん面白かったのだが、ここで描かれたことをはっきりと理解できるようになるのは、来年の東京オリンピックを終えた後ではないかと思う。

 そんなことを考えていたら、『あまちゃん』で主演を務めた、のん(能年玲奈)が、2020年オリンピックの岩手県聖火ランナーに選ばれたというニュースが入ってきた。何とアクロバティックな超展開だろうか。『あまちゃん』も『いだてん』も、ドラマが終わっても各登場人物の日常が続いているような開かれた手触りが残っていたが、まさか現実の方がフィクションに寄せて来るとは。

 是非とも『あまちゃん』のキャラクターで『いだてん』の続編『あまてん』を制作してほしい。というのは冗談だが、結局このお噺のオチは、私たちが現実でつけるしかないのだろう。だからこそSNSで熱狂的に語る人が絶えないのである。

(成馬零一)

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