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安倍寧のBRAVO!ショービジネス

取っときの秘話が盛り沢山、藤本国彦さんの新著『気がつけばビートルズ』

毎月連載

第37回

藤本国彦『気がつけばビートルズ』 産業編集センター 1320円

高校3年生のとき漠然とながら、「ビートルズでメシが食えたらいいなあ」と思ったという。そして、藤本国彦さんのその夢は幸いにもほぼ叶えられたようだ。還暦を迎えた藤本さんの近著『気がつけばビートルズ』(産業編集センター)は、その人もうらやむ半生を総括した特異な“ビートルズ本”である。人がひとつの音楽に夢中になるというのはどういうことなのかが、包み隠さず語られている。いや音楽でなくても、人がひとつの事柄にマニアックになるというのはどういうことなのかが書かれているといってもいい。先ずは同書の[著者紹介]から。

1961年東京生まれ。(株)音楽出版社の「CDジャーナル」編集長を経て2015年にフリーに。主にビートルズ関連書籍の編集・執筆・イベント・講座などを手掛ける。主な編著は『ビートルズ全213ガイド』(音楽出版社)、『GET BACK…NAKED』(牛若丸/増補版『ゲット・バック・ネイキッド』は青土社)……(中略)……『ジョン・レノン伝1940—1980』(毎日新聞出版)……(下略)。

藤本国彦氏

彼等4人との最初の出会いについて藤本さん自身は次のように振り返る。

1974年。中学1年の時だった。ビートルズを意識的に聴いたのは。
最初に耳にしたのは「シー・ラヴズ・ユー」。兄がビートルズで唯一持っていたシングルだった。冒頭のドラム2連発(6連発)に続いて2つの声が混ざり合った音の塊が耳をつんざく。エレキの音を間近で聴いたのは、これが初めて──まさに電気ショック!である。

翌75年、初めてビートルズのレコードを買った。正確には姉に買ってもらった。LP『ビートルズ!』。75年12月8日のこと。レコード店は東急目黒線奥沢駅々ビル内のレコ田園だった。どうしてそんなディテールまで書けるのか。実は当時、レコード購入帳を作り、小まめにタイトル/アーティスト/LP、シングルなどの種別/購入日/購入店を記入していたからだ。ノートにはビートルズに限らず購入したすべてのレコードについての記録が残されている。

藤本氏が当時、記録していた「レコード購入帳」

75~76年、中学2~3年生のときにビートルズのほとんどのオリジナル・アルバムを手に入れた。リリース順に「歌詞カードを見ながら、たまには一緒に歌いながら、LP1枚聴くのに2ヵ月ぐらいかけて」楽しんだ。しかし難関もあった。ビートルズの曲は全部で213曲あるのだが、そのすべてがアルバムに収められているとは限らない。「アイム・ダウン」「恋を抱きしめよう」「デイ・トリッパー」などはシングルでしか聴くことができない。実はそういう曲が数多くあることが判明したのだ。その実態をより明らかにするために、全213曲のどの曲がどのアルバムに入っているか、一覧表を作成したという。

先のレコード購入帳にしろ、この曲目一覧表にしろ、藤本さんは、リストアップすること、表を作ることの手間暇を厭わない。夢中になり過ぎ頭のなかの整理がつかなくなったとき、表は役に立つ。アマチュア・ファンに終わらずプロのスペシャリストたり得たのは、表作りなど蔭の努力あってこそと思われる。

長年、日記もつけてきた。この本ではビートルズを巡る旅が重要な部分を占めるが、旅の回想がリアルに迫ってくるのは日記による裏付けがあるからだ。

藤本さんによると、ビートルズ・ファンにはリヴァプール、ロンドンなど4人のゆかりの地に“行きたい派”と“行きたくない派”があるという。前者は「ビートルズが生まれ育った町や、実際に活動した場所をこの目で見てみたい」、後者は「ビートルズに対する自分のイメージを大切にしたい」とそれぞれの考え方が異る。藤本さんは断然“行きたい派”である。しかも日記をつける習慣がある。最初のイギリス旅行(88年7月7~24日)のときには「オレのロンドン日記」という題名の旅行記を密かにつけていた。そして『気がつけばビートルズ』にはその全文が転載されている。そのなかから、88年7月19日、アビー・ロード初見参のくだりを引用する。

そしてついに、レコード・ジャケットで何度も目にした「アビー・ロード」の横断歩道へとたどり着いた。横断歩道の左手に、ビートルズがレコーディングしたアビー・ロード・スタジオがあるのもはっきり見える。横断歩道を初めて目の当たりにした瞬間も忘れがたい思い出だが、むしろそれより印象に残っているのは、横断歩道とスタジオに徐々に近づいてくる時のワクワク感だ。そのあと何度行っても、その思いは不思議と変わらない。
ここに来たら、やることはひとつである。渡る機会は今かと窺いながら、何度も挑戦し、写真に収めてもらった。

1988年7月19日、「アビー・ロード」の横断歩道を渡る藤本氏

それにしても藤本さんが、64年以来、50数年もの長き間、ビートルズに魅せられ続けてきたのはなぜ? 曲のすばらしさとともに4人のキャラクターを挙げ、
「記者会見でのやりとりを見ればわかるが、受け答えに、権威的でも頭でっかちでもない柔軟さがあるのだ。無邪気な遊び心を常に持ち合わせている人間臭い魅力。そこに惹きつけられ続けているのかもしれない」
と書いている。藤本さんはその一例としてこんなエピソードを挙げる。(ただし、この挿話は『気がつけばビートルズ』には出てきません。別の著書『ジョン・レノン伝1940—1980』に出てきます)。

1963年11月4日、ビートルズが王室隣席のもとにおこなわれるチャリティー・イベント「ロイヤル・ヴァラエティ・パフォーマンス」(於ロンドン・プリンス・オブ・ウェールズ劇場)に出演したおりのこと。「She Loves You」など3曲続けて歌ったが、エリザベス皇太后、マーガレット王女、スノードン卿らの出席があったせいか客席はいつもより静かだった。4曲目の「Twist And Shout」を歌う前、ジョン・レノンが客席にこう呼びかけた。
「最後の曲です。皆さんにお助け願いたい。安い席の方は手を叩いて……。そのほかの方はお着けの宝石類をがちゃがちゃいわせていただきたい」
いい終えたあと、皇太后らに向けたジョンのちょっとテレたような笑顔のなんとチャーミングなこと。興味のある向きはYouTubeで捜していただければすぐに見つけられます。

藤本さんは64年以来のビートルズとの“旅”を振り返り、私に次のように語ってくれた。
「私が初めてビートルズを聴いてショックを受けたのは、彼等のレコードが日本で紹介され約10年後のことでした。それだけ時間の経過があったため、かえって客観的になることができました。ただ、できる限り曲の発表順に聴くよう心掛けたつもりです。いくら好きになってもビートルズだけ聴いていたわけではありません。いろんなジャンルの、いろんなアーティストを聴きました。お蔭で彼等のよさがより理解できたと思います」

なんらかのマニアであることを自認する人たちへの、耳の痛い部分を含む適切な助言ではなかろうか。

プロフィール

あべ・やすし

1933年生まれ。音楽評論家。慶応大学在学中からフリーランスとして、内外ポピュラーミュージック、ミュージカルなどの批評、コラムを執筆。半世紀以上にわたって、国内で上演されるミュージカルはもとより、ブロードウェイ、ウエストエンドの主要作品を見続けている。主な著書に「VIVA!劇団四季ミュージカル」「ミュージカルにI LOVE YOU」「ミュージカル教室へようこそ!」(日之出出版)。

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