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地方テレビ局がジャーナリズムを体現? 映画『はりぼて』が描いた“日本社会の縮図”

リアルサウンド

20/9/9(水) 8:00

 富山市庁舎を見上げる男性。

 これは話題のドキュメンタリー映画『はりぼて』のポスタービジュアルだ。しかし、このビジュアルをじっくり見てみると、「富山市庁舎に群がるカラスを見上げる男性」にも見える。

 本作は、富山市議会で起きた議員14人のドミノ辞職の内実を追いかけた作品だ。チューリップテレビという富山の小さなローカル局のスクープにより、政務活動費の不正受給が議会中に蔓延していることが発覚。架空の領収書を提出していた議員たちが次々に辞任し、1年間で14人もの議員辞職を引き起こすことになった。主人公となる二人のジャーナリスト、本作の監督でもある五百旗頭幸男氏と砂沢智史氏、2人の真実を追求し続ける姿勢は、映画のキャッチコピー「虚飾を剥がせ!」の看板に恥じないものだ。

 「日本社会の縮図を描いた」と大きな評価を得ている本作。しかし、ポスタービジュアルのように少し視点を変えて観てみると、本作によって虚飾を剥がされているのは政治家だけではないことに気が付くだろう。本作は、メディア、それから一般市民の虚飾をも剥がしにかかっていると言えるのではないか。本作が私たちに突き付けたものは、果たして何なのだろうか。

不正が常態化している富山市議会

 本作は、富山市議会での政務活動費を不正入手するために架空の領収書を提出し、多額の現金を横領していた議員が大量に存在した事実を明るみにする。

 政務活動費とは、地方議員が政策の調査研究など活動のために支給される費用だ。公金であるため領収書の提出が義務付けられており、私的な目的のための使用は当然認められていない。政務活動費の不正受給は本作で描かれた富山市議会のみならず、様々な自治体で起きている。最も有名なのは、元兵庫市議員の(号泣会見で有名となった)野々村竜太郎によるものだろう。これをきっかけに全国で政務活動費に対する監視が厳しくなり、不正利用が続々と明るみにでている。本作で描かれる富山市議会のドミノ辞職もその流れにあったと言えるだろう。

 その不正受給の手口は概ね領収書のちょろまかしである。懇意にしている印刷業者などから白紙の領収書を受け取り、実態のない支出の金額を自分で記入する、あるいは印刷部数や金額を後から書き加えるといった極めて朴訥な手口である。

 一回ごとの不正受給は数万円程度のものであるが、富山市議会ではこうした領収書の偽造が常態化していた。たまりにたまった政務活動費の不正受給の総額は、全会派合計で6523万円に上る。富山は保守王国と呼ばれ自民党色が強い土地柄で、不正受給の多くも自民党議員によるもので、自民党会派による不正受給額は発覚したものだけで4528万円にもなる。しかし、裏を返せば残り2000万円は別の会派によるものであるわけで、これは富山市議会には、党派を超えて「領収書のちょろまかし文化」が根付いていたことを示している。要するに、みんな悪いことだと思っていなかったのだ。

 では、その動機は何なのだろうか。これが実に、よく言えば人間くさい、悪く言えば卑小なのである。最初にスクープされた市議会のドン、中川元議員は釈明会見で涙ながらに「酒が好きなもので……」と語った。要するに、日々の酒代のために政務活動費をちょろまかしていたらしい。ため込んだ資金によって、社会を牛耳ろうとかそんな壮大な野望があるわけでもない、単に日々の小遣いのちょっとした上乗せが欲しかっただけというわけだ。

スキャンダル慣れして居直る議員たち

 中川氏をはじめとして、早期に不正が発覚した議員たちはあっさりと辞職していく。五百旗頭氏と砂沢氏は、情報公開請求によって入手した政務活動費に関する大量の文書を精査し、印刷業者や公民館など領収書発行元を一つずつたどっていき、不正受給を突き止めた。地道な足と目による調査ジャーナリズムの勝利である。ここまでは非常にカタルシスのある展開だ。

 しかし、富山市議員の不正受給はこの後も連続して発覚。最終的には14人が議員辞職に追い込まれることになった。だが、実は不正受給が発覚したのは14人だけではない。発覚後、不正受給を認めて活動費を返還し、そのまま議員を続けている者が他に10人いるのだ。

 映画の後半になると、議員たちもある意味スキャンダル慣れしてくる。五百旗頭氏と砂沢氏はずっと同じように地道な調査でひとつずつ不正を暴いているのだが、暖簾に腕押し状態に陥ってしまう。観ているこちらも「またかよ……」という気分になり、当初感じたカタルシスを失い始める。調査報道の勝利の高揚感から、不正の連続にうんざりさせられてくるのだ。こうして居直る政治家たちの姿は国政にも重なる。ここにも日本の縮図と言える要素があるわけだ。

作り手たちのジャーナリズムの勝利に酔いしれない姿勢

 本作が優れているのは、一度冒頭で打ち立てたジャーナリズムの勝利に酔いしれて終わりにしていない点だ。政治家を糾弾するだけでなく、自分たちメディア側の姿勢に問題はないかも積極的に映し出そうとする。冒頭、カメラを持って中川議員を執拗に追いかけるジャーナリストが映し出される。撮る者と撮られる者をともに映し出すこの始まりのシーンは、映画全体の姿勢をそのまま代弁している。

 監督の一人、五百旗頭幸男氏はインタビューで、既存の「中央のメディアの振る舞いを見ていて、そうはなりたくないと思っていた」と語っている。

「例えば番組の作り方でも手前味噌で、うちがやったとアピールしたがるのですが、視聴者から見れば興ざめですよね。また富山で事件が起こると全国紙は本社から助っ人の記者が取材に来ます。例えば2011年に起きたえびす食中毒事件には、問題を起こした企業の記者会見に全国から取材が来たのですが、まだ容疑者と決まった訳でもないのに、記者たちがヤジを飛ばしたり、質問の仕方が横柄だったりすると『こうなりたくはない』と思いました。助っ人の記者が皆そうではありませんが、不遜な態度で荒らすだけ荒らして帰る記者もいるわけです。でも、ぼくたち地元のメディアは引き続きこの地で取材を続ける訳で、同じメディアとして括られ、取材を拒否されることもありました。そういう他のメディアの振る舞いを散々見てきたので、自分たちの取材で結果が出ても、今までの姿勢を変えてはいけないと気を引き締めていました」(『はりぼて』五百旗頭幸男監督インタビュー前編|Cinemagical

群がるカラスは誰のことか

 この映画の隠れたキーワードは「群がり」だ。映画のメインビジュアルが富山市庁舎に群がるカラスであることは先に紹介したが、映画本編にもカラスのインサートショットがたびたび挿入される。

 カラスは、白紙の領収書に群がる政治家のメタファーだろう。しかし、それだけではないかもしれない。ネタ元に群がり、荒らすだけ荒らしていなくなるメディアをも表しているのかもしれない。本編中、裁判所前に多くの報道関係者が陣取っているシーンがある。狭い歩行路を占拠するかのように大勢群がり、脚立を置いてカメラを構えるメディアの姿を、この映画のカメラは道路の逆側から捉えている。この距離感が本作を非凡なものにしている。

 富山市の公園緑地課の職員が「カラス居直り禁止」の立て札を立てるシーンも非常に示唆的だ。職員はこの看板を立てる意図をこのように説明する。

「カラス自体は文字を読めないですけど、公園を利用する人がこの看板を見て、カラスを見張ってくれれば、カラスも警戒していなくなる」

 誰がカラスを見張るのか。白紙の領収書に群がる政治家というカラスをメディアが見張らねばならない。では数字を取ることしか頭にないメディアというカラスはだれが見張るのか。最終的には有権者という市民が見張るしかない。しかし、我々自身もまた、一時の騒げるネタにSNS上で群がるカラスになってはいないだろうか。「まずはカラスから人間になろう」。私はこの映画を観てそう思ったのだった。

■杉本穂高
神奈川県厚木市のミニシアター「アミューあつぎ映画.comシネマ」の元支配人。ブログ:「Film Goes With Net」書いてます。他ハフィントン・ポストなどでも映画評を執筆中。

■公開情報
『はりぼて』
ユーロスペースほか全国順次公開中
監督:五百旗頭幸男、砂沢智史
撮影・編集:西田豊和
プロデューサー:服部寿人
語り:山根基世
声の出演:佐久田脩
テーマ音楽:「はりぼてのテーマ〜愛すべき人間の性〜」(作曲:田渕夏海、音楽:田渕夏海、音楽プロデューサー:矢崎裕行)
配給:彩プロ
2020年/日本/日本語/カラー/ビスタ(1:1.85)/ステレオ/100分
(c)チューリップテレビ

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