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三枝成彰 知って聴くのと知らないで聴くのとでは、大違い!

モーツァルトの短調の曲はわずか4.4%?

毎月連載

第29回

20/11/8(日)

Everett Historical/Shutterstock.com

以前、有名な作曲家たちの交響曲における長調と短調がどういう割合になっているのかと思い、その割合を調べたことがありました。

「長調と短調に隠された秘密」として本稿にも書いたことがありましたが、古代ローマの時代にピタゴラスが、鍛冶屋の槌の音に高低の違いがあることから発見したハーモニーは、その時代の人々には神のお作りになった調和であると考えられていました。したがって長らく愛され、多くの作品が書かれた長調の曲は、それを奏でることによって神との一体化をはかる意味もあったのだと思います。

それに対して短調の曲(そして一定のリズムを繰り返す音楽)は、聴く人の情緒に訴えかける力を持っていたことから、キリスト教のもとでは禁止されていました。短調の音楽を聴いてざわついた人間の心には、悪魔がつけ入る隙ができてしまうと考えられていたのです。音楽に感動すること自体が罪であると考えられていた時代でした。

それが、やがて数度にわたってヨーロッパを襲ったペストの猛威によって、経済、文化、そして音楽にとっても、その“調和”に変化が訪れます。とくに被害の大きかった14世紀後半の第二次のペストの流行によって、ヨーロッパの人口の3分の1が失われたといいます。これにより、いままで3人で分けていた富を2人で分けられるようになったことから、ヨーロッパの人々は思わぬ豊かさを手にすることになりました。

Everett Collection/Shutterstock.com

また、ペストによって人々が神への信仰を失っていき、現実を、人間を、科学を信じるようになっていきます。これがヨーロッパ各国の富と結びつき、「未知の世界を知りたい」という大航海時代を招き、やがては人間の美しさを称揚するルネサンスをもたらしたのです。

音楽においても、その豊かさは大きな実りをもたらしました。ルネサンスを経て、音楽の需要は高まり、いままで教会や王侯貴族のものだった音楽を、豊かになった民衆も求め始めます。

そして音楽家たちも、それまで世襲制にのっとった職人の世界の産物だった音楽が、商品から作品となり、ベートーヴェンの出現によって音楽家も芸術家となることで、多彩な展開を見せるようになります。

そして、ベルリオーズら音楽家の家に生まれずして音楽家をめざすフリーランスの人たちが出てくるようになり、従来の形式にとらわれず、物語性によりかかった音楽を志向するロマン派音楽の台頭につながるのです。

ロマン派の特徴は、予測のつかない音楽であるということ。それまでの古典派の長調を中心とした音楽は、形式が決まっていました。簡単にいえば、まず主題が提示され、それが展開し、また主題に戻ってくるというような具合です。聴衆もそれをわかっているので、聴いて驚くようなことはありませんでした。

しかし、ロマン派ではそうはいきません。川端康成の『雪国』の書き出しは「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」ですが、まさにいままでお花畑が広がっていた景色がトンネルを抜けたとたんに一面の雪景色に変わる、ということが起こる音楽だったのです。当然、そこには長調もあれば短調もあり、まさに音楽家の感情=ロマンのおもむくままに綴られる音楽でした。

さて、そんな音楽史の流れを踏まえて、私が有名な作曲家たちの交響曲における長調と短調の割合について調べたのは何のためだったか?それは、モーツァルトの短調の曲ばかりを集めたコンサートを開きたいと思いついたからでした。

モーツァルトの音楽は、不思議です。長調の曲なのに、ふと短調を思わせる陰りを帯びた響きを聞こえるときがあり、また短調の曲に、一瞬の明るい陽光のような音が垣間見えるときがあるのです。これを私はモーツァルト独自の“揺らぎ”と呼んでいますが、12月5日の彼の命日に合わせて、彼の偲ぶ意味で、短調の曲だけを集めてみたらどうなるか、と考えたわけです。

そうして調べてみると、驚きの結果が得られました。モーツァルトの45曲の交響曲における短調はわずか2曲、全体の4.4%に過ぎなかったのです(通常、モーツァルトの交響曲は41曲といわれますが、国際モーツァルテウム財団の認定では45曲です)。

それが、時代が下るにつれ、ベートーヴェンでは22%、シューベルトでは25%、メンデルスゾーンで40%と増えてゆき、チャイコフスキーやラフマニノフに至っては80%から100%にまで増えていきました。古典派からロマン派、そして近代から20世紀へと時代が変わるなか、長調と短調の割合が徐々に逆転していったのです。

「これは何を意味するのだろうか?」と考えると、おぼろげながら見えてきたのは、「短調の音楽は、不安な時代の写し鏡かもしれない」ということでした。かつて評論家の小林秀雄は、「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。」と書きました。それにちなんで、一昨年から「哀しみのモーツァルト」と題したコンサートを行っています。

今年は諸般の事情で5日の命日にサントリーホールの〈ブルーローズ〉が押さえられなかったため、12月3日(木)の19:00より行います。横山幸雄さんによるピアノ・ソナタ第14番(ハ短調)、ピアノ協奏曲第24番(ハ短調)と、モーツァルトが14歳でイタリア・オペラ界に鮮烈なデビューを果たしたオペラ『ポントの王ミトリダーテ』よりいくつかのアリアと、『レクイエム』より第1曲「イントロイトゥス」から第8曲「ラクリモーサ」までを小林沙羅さんと新日本フィルのソロ・コンサートマスター崔文洙さん率いる弦楽四重奏団ほかのご出演でお聴かせします。

モーツァルトが抱えていた“かなしみ”とは何なのか、そしてそれが後の時代の作曲家たちの音にどうつながっていくのか? それを考えながら聞いていただくのも一興かと思います。

プロフィール

三枝成彰(さえぐさしげあき)

1942年生まれ。東京音楽大学客員教授。東京芸術大学大学院修了。代表作にオペラ「忠臣蔵」「Jr.バタフライ」。2007年、紫綬褒章受章。2008年、日本人初となるプッチーニ国際賞を受賞。2010年、オペラ「忠臣蔵」外伝、男声合唱と管弦楽のための「最後の手紙」を初演。2011年、渡辺晋賞を受賞。2013年、新作オペラ「KAMIKAZE –神風-」を初演。2014年8月、オペラ「Jr.バタフライ」イタリア語版をイタリアのプッチーニ音楽祭にて世界初演。2016年1月、同作品を日本初演。2017年10月、林真理子台本、秋元康演出、千住博美術による新作オペラ「狂おしき真夏の一日」を世界初演した。同年11月、旭日小綬章受章。

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