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“映画館でかけるべき映画”を作り手たちは考えないといけないーー三宅唱が2010年代を振り返る

リアルサウンド

20/1/4(土) 8:00

 映画の上映素材が35mmフィルムからデジタルへと移り変わり、カメラの性能も著しく向上した2010年代。映画、映像作品が大きく変容していく中、2012年の劇場公開第1作『Playback』以来、次世代を担う映画作家として注目を集め続けているのが三宅唱だ。

 2018年公開の映画『きみの鳥はうたえる』は数々の映画賞に輝き、2019年は、インスタレーション作品『ワールドツアー』や、山口情報芸術センター[YCAM]で、役者経験のないティーンエイジャーたち共にみずみずしい映画『ワイルドツアー』を撮りあげた。そして、2019年6月には、Netflixオリジナルドラマ『呪怨』(2020年配信予定)の監督を務めることが発表された。

 映画、映像のあり方が変化し続けている今、映像作家・三宅唱は何を思うのか。2010年代の振り返りから、2020年代の展望までじっくりと話を訊いた。(編集部)

●全国の映画館に変化が起きた2010年代初頭

――まずは、三宅監督の2019年から振り返っていきましょうか。

三宅唱(以下、三宅):制作関係でいうと、1月にDos Monosのビデオを作り、2月に恵比寿映像祭でビデオインスタレーション『ワールドツアー』の展示があり、3月に映画『ワイルドツアー』の劇場公開が始まりました。それと並行して2月のベルリン国際映画祭から『きみの鳥はうたえる』の海外映画祭での上映がスタートし、7月まで計6つの海外映画祭に参加しました。夏に札幌でビデオインスタレーション『7月32日 July 32, Sapporo Park』の撮影があり、秋はNetflixのドラマシリーズ『呪怨(仮)』の撮影があり、12月に札幌で『7月32日 July 32, Sapporo Park』の展示がありました。制作以外のインプットとしては、年明けからクリント・イーストウッドの近作を集中的に見ていた時期と、春は仙台で行った映画講座のためにトニー・スコット監督作を集中的に見ていた時期があり、その後はホラー映画をずっと見ていました。

――6月にNetflixが『呪怨』のドラマシリーズの製作を発表。その監督が、なんと三宅監督だったと。あのニュースには、ちょっと驚きました。

三宅:僕もオファーをいただいた時は驚きました。今は仕上げ中です。

――話が前後しますが、2018年の9月に『きみの鳥はうたえる』が公開されて、その年の末には、さまざまな映画賞に輝くなど、高い評価を獲得しました。監督自身は、この映画のリアクションについて、どのように捉えているのでしょう?

三宅:『きみの鳥はうたえる』は「役者の映画」だと撮る前から考えていたので、「賞」という目に見える形で評価されたことはありがたかったですし、音楽に関しても賞をいただけたことはとても嬉しかったです。

――毎日映画コンクールで柄本佑さんが男優主演賞、Hi’Specさんが音楽賞に輝いたのをはじめ、数々の映画賞を受賞しました。

三宅:あと、せっかくの機会なので話しておきたいのですが、『きみの鳥はうたえる』に限らずとにかく映画館にお世話になった10年だったなと思います。別にこれは形式的な御礼の言葉ではなくて真面目な話でして、僕が何本か映画をつくり、全て劇場公開できたのは映画館のおかげです。というのも、ちょっとややこしい説明になるんですが、今年に入るまで僕はいわゆる映画会社と一緒に仕事をする機会がなく、一本目の『やくたたず』以降は映画製作会社以外からのオファーが続きました。つまり、オファー時点で公開までのルートが決まっていた経験がなくて、何本かは劇場公開を求められたわけでもない。僕らがどうしても映画館で勝負というか商売をしたくて、ほぼ毎回作った後に「さあどう公開する?」と作戦を立てて、友人や周囲の人たちと配給宣伝をやってきたのですが、そのたび毎に、いろんな映画館が一緒に動いてくれました。

――『きみの鳥はうたえる』は全国で上映されましたが、いわゆるメジャーの映画会社がバックに付いているわけではないんですよね。

三宅:函館シネマアイリスさんという、街場のミニシアターが製作母体です。そういう、ちょっとややこしい流れで映画を作ってきた自分がラッキーにも「映画監督」として生きているというのは、一緒に商売をしてくれた劇場あってこそだな、と。時代が違ったら僕はきっと、少なくとも映画監督ではない。僕の立場から見れば、「映画館が映画を作っている」という感じです。

――なるほど。

三宅:『きみの鳥はうたえる』と『ワイルドツアー』でまた全国の映画館を回ることができて……。もちろん、すべての映画館をパンパンにできたわけではまったくなく、迷惑を掛けた映画館もあったとは思うんですけど、この10年、自分は映画館に支えられてきたんだなと改めて思いました。もちろん、それぞれの映画館を支えている地元のお客さんは言わずもがなです。あと、めっちゃ儲かった他の映画があるのも大きい。

――そこが三宅監督のユニークなところですよね。全国の映画館であったり、映画関係者であったり、そういう草の根のネットワークみたいなものに支えられながら活動してきたと。

三宅:2010年代前半というのは、全国の映画館の映写システムがこれからDCPプロジェクターに切り変わっていくという時期であり、それと同時に、インディペンデント映画の劇場公開が増え始める時期だったと思います。僕の立場からみると、入江悠監督の『SR サイタマノラッパー』(2009)や真利子哲也監督の『イエローキッド』(2009)だったり、16mmフィルムでの興行を続けてきた空族が突破口を開いてくれた。それと、その動きに乗った全国のいろんな映画館の判断。

――三宅監督のデビュー作『やくたたず』も2010年だから、ちょうどその頃ですよね。

三宅:はい。そういう先輩たちの道の真後ろで、僕はちょっと気楽にやれたような感じがしますね。当時、入江さんや真利子さん、空族の富田さん相澤さんに連絡して、「映画ってどうやって公開すればいいんですか?」っていろいろ相談に乗ってもらったりしました。東京で言えば、池袋シネマ・ロサで自主映画の上映がすごく盛り上がり、『やくたたず』も最初はロサでの上映でした。それから2011年にオーディトリウム渋谷が新しくでき、同じビルの1階にあったカフェテオに行けば誰か同時代の映画の作り手にばったり会えたし、新宿の各映画館でもインディペンデント映画の上映がどんどん増えていった。そういうタイミングに、たまたま、自分も長編映画を発表できるようになった。

●「被写体の映画」を作ってみたい

――2010年前後に、インディペンデントな映画がたくさん出てくる中、監督自身はどうやって、自分の撮りたいテーマを見つけ出していったのでしょう。

三宅:一本目の『やくたたず』は、初長編だけにいろんなテーマを詰めていた気がしますが、今思えば「映画を作ること」そのもの、もっといえば「映画を作って生きていくこと」が一番のテーマだったような気がします。二本目の『Playback』は、役者の村上淳さんからのオファーだったので、自然と「役者」がテーマになったと思います。

――『やくたたず』を観たムラジュンさんが、三宅さんに声を掛けたんですよね。

三宅:すごく幸運でした。職業俳優として活躍されている先輩たちとがっぷり四つに組んで映画を作ることになり、役者と仕事をすることこそが監督の仕事なんだと気づかされたし、率直にそれが楽しいと初めて実感できた機会でした。それまでは、どこにカメラを置くとか、何をどう語るかということが監督の仕事だと思っていた節があるんですが、「あ、それだけじゃないわ」と。当たり前なんですが。

――二作目にして、すごい貴重な体験をされたわけですね。

三宅:役者と仕事をするのはこんなに面白いことで、そこで生まれるものが映画になるんだと。シンプルにいえば、魅力的な人間の魅力的な瞬間を映し取ることができれば、スクリーンで観るのに十分値する映画になるだろうと。極端な言い方ですが、自分は徹底してそれを「記録」して、「被写体の映画」を作ってみたいと思うようになりました。「監督の映画」ではなくて。『THE COCKPIT』は思い切りそれで、同時代の一番カッコいい人たちをカメラの前に呼ぶ、それだけでした。

――三宅監督の近作『ワイルドツアー』まで繋がっているような話ですね。

三宅:『THE COCKPIT』と同じ時期に始めた『無言日記』シリーズは、映像の「記録」という役割に振り切った映画だったと思います。それを数年続けていくのと並行して、『密使と番人』や『きみの鳥はうたえる』を経て、いちばんいい状態を「記録」するために然るべき「演出」が必要だろう、と改めて考えていくことになった。その意味で、アマチュアの中高生と一緒に「記録」と「演出」をゼロから実践できた『ワイルドツアー』の経験は幸せでした。

――ここでちょっと、2010年前後の時代的な状況を、改めて振り返ってみたいのですが、2011年には東日本大震災がありました。あの出来事は、日本の映像作家たちにも、多かれ少なかれ影響を与えたと思うのですが、三宅監督の場合は、どうでしたか?

三宅:大きい話題で恐縮ですが、ごく小さい話をすると、ロマンチックコメディをよくみるようになった記憶があります。世の中の空気から逃避したい気分もあったのかもしれませんが、でも、ロマンチックコメディってどれも「どうやって再びやり直すか」という物語なので、むしろ時代の空気と思い切りマッチしていた気もします。それと、先ほど話した「被写体の映画」の話と関連しますが、ロマンチックコメディやラブコメ、青春映画は、まさに「被写体の映画」「役者の映画」なんですよね。演技、役者のいいパフォーマンス、いいキャラクターで引っ張るジャンルだと思います。

――ちなみに当時は、どんなラブコメを観ていたのですか?

三宅:エルンスト・ルビッチなどの古典や、80年代の学園モノ、あとはジャド・アパトーのプロデュース作品だとか、アメリカのいろんなコメディですね。新しい感情表現がいっぱい発明されてきたジャンルだと思います。単に「好きだ」とか「嫌いだ」と簡単には言えないような、言葉では説明できない感情を、若い役者と共に、新しい台詞と新しい身体表現を使って、なんとか探り当てていく感じ。そういう新しい可能性を発見していく過程が映画そのものになっている感じがして、刺激になりました。震災直後ということが影響していたかは断言したくないですが、言葉では説明できない気分や感情が自分や周囲にあって、それをどうすれば映画として表現できるのか、自分で実践するための足がかりとして、いろんな恋愛コメディ映画を見ていたように思います。まあ、自然と見始めたので、ほぼ後付けの理由ですけど。あと、震災直後は、ドキュメンタリーというか、生の映像を観るのが本当に嫌だった記憶があります。

――なんとなくわかります。

三宅:でも、震災直後に撮った『Playback』 を経て、映像の「記録」の役割が面白くなってきて、劇映画を「演技や演出の記録」として捉え直すようになり、それからドキュメンタリー作品というコードを取っ払えるようになって、数は少ないですがいろいろ見るようになりました。個人的にもっとも感銘を受けたのは小森はるか監督の『息の跡』(2016)と『空に聞く』(2019)です。それから酒井耕監督と濱口竜介監督による東北記録映画三部作(『なみのおと』(2011)、『なみのこえ』(2013)、『うたうひと』(2013))、あと松林要樹監督の『祭の馬』(2013)。それと、震災とは直接関係しませんが、『FURUSATO2009』(2010)、『風の波紋』(2015)、『ディスタンス』(2016)、『Tribe called Discord:Documentary of GEZAN』(2019)、『ナイトクルージング』(2019)だとか。一本の映画としての良し悪しということを超えて、映画を観た後もずっと考え続けたのは「ドキュメンタリー」と呼ばれる映画が多かったように思います。

●「演出」が民主化した
――2010年代の大きな動きのひとつとして、ドキュメンタリー映画の躍進があるように個人的には思っていて。その頃から、震災に関連したものに限らず、今、監督が言われたように、自分たちの日常と地続きのドキュメンタリー映画が、数多く生まれてきたように思います。

三宅:そうかもしれないですね。カメラの機動力が上がったし、誰でもカメラを回せるようになりました。ハード面の民主化と、世の中の状況がリンクしたんでしょうね。僕もiPhoneを使って、ビデオ日記というごく個人的なものを2014年から『無言日記』としてwebで継続的に発表し始めるようになりましたし、同じ年に音楽ドキュメンタリー『THE COCKPIT』(2014)を撮りました。

――ドキュメンタリーというと、以前はジャーナリズム的なイメージがありましたが、三宅監督の『THE COCKPIT』も含めて、ここ最近のものは、そういうものとはちょっとテイストが違いますよね。

三宅:もちろん、ジャーナリスティックにとにかく記録ファーストで作られるべきタイミングもあると思うんですが、僕が挙げたドキュメンタリーは、乱暴にまとめると、ただ記録するためだけにカメラを使っている作品ではない気がします。カメラを回し始める前に膨大なコミュニケーションの時間があるというか、カメラという道具を介してたくさんのやりとりが生まれている。カメラがなければ生まれないコミュニケーションの力に自覚的であるというか。

――なるほど。面白いですね。

三宅:カメラを通して私とあなたはどういう関係を築くことができるのかを探っている感じ。そのコミュニケーションのあり様が要するに「演出」なのではないか、と思っています。

――さらに、2010年代の大きな動きとして、スマホの普及により、誰もが気軽に動画を撮ることができるようになったことがあると思います。それは「撮る」だけではなく、「撮られる」ことも含めて。

三宅:はい、演出は相互的なものだと思います。誰もがカメラを使えるようになって、アプリで誰もが映像加工も簡単にできるようになったとか、そういう表面上の進化だけに制限して捉えるのではなくて、誰もがカメラを持って人とコミュニケーションできるようになった、言い換えると誰もが演出できるようになった、もっと言えば「演出しあえる」ようになったと捉える方が、面白い時代になるんじゃないかと。ハードが民主化したことによって「演出」が民主化した、という物語を立てた方が僕は断然面白いです。カメラの後ろに立てるのってかつては選ばれた人間だけで、そのせいで「監督」という立場が権威化してしまいましたが、その物語はもう終わり、と。今や、誰でもカメラの後ろに立てるし、誰でもカメラの前に立てるようになったわけで。それと関係しているのかはわからないですけど、ここ数年僕が関心を持っているのは、俳優が監督している映画です。

――面白いですね。たとえば、どんな映画でしょう?

三宅:イーストウッドはもちろんですが、ここ数年で言えばブラッドリー・クーパーが監督した『アリー/スター誕生』(2018)、グレタ・ガーウィグが監督した『レディ・バード』(2017)、ポール・ダノが監督した『ワイルドライフ』(2018)も面白かったですね。ごく最近だとルイ・ガレルの『パリの恋人たち』(2018)とか。特に『アリー/スター誕生』は、役者が監督するがゆえの潔さみたいなものをものすごく感じました。

――しかも、『アリー/スター誕生』の場合、監督をしながら、本人もメインキャストとして出演しているという。

三宅:レディ・ガガとブラッドリー・クーパーという、この2人にカメラを向けてさえいればいいんだ、それだけで映画を作るんだという感じ。遡れば、ジョン・カサヴェテスとか、いろいろいます。

――異業種の監督進出という文脈ではなく、「撮られる側」の人間が、「撮る側」に回ったことによって生まれる面白さということですよね。

三宅:そうです。 今まで手の届かなった痒いところに彼らの手なら届くんじゃないか、みたいな。あるいは、新しいところが痒くなる感じ。

●映画館でかけるべき映画
――近年は、いわゆるYouTuberの活躍が目覚ましかったり、TikTokのような動画アプリが流行したり、さらには配信サービスが登場するなど、映像表現のアウトプットは広がるばかりです。そういう中で、三宅監督は、何が「映画」を「映画」たらしめていると思いますか?

三宅:なんだか最初の話に戻ってしまうようですが、やっぱり映画館という場所が重要だと思います。映画館でしか経験し得ないものは確実に存在するので、自分が映画を作る際には、そこに敏感になりたいなと考えています。

――「映画館だからこそ味わえるもの」というのを、もう少し具体的に言うと?

三宅:暗闇と、大きなスクリーンと、音響設備と、他のお客さんの存在ですかね。昨年はじめてビデオインスタレーション作品を発表するとなった時に色々と空間について考えていたんですが、改めて映画館という装置の面白さを実感しました。どんな作品も同じ環境で同じ値段で平等に観られるし。

――確かに、どんな映画も、映画館でかけることを前提にして作られているという意味で、非常にコンペティティブではありますよね。

三宅:そうあるべきだと思います。とは言え、今はそうでもないかもしれない。劇場でかかる作品がすごく増えて、言ってしまえばちょっとなんでもアリになっている。上映プログラムが新作でパンパンになっていて、観る側も全然追いつかない。自分の映画が映画館に救われておいてこんなことを言うのもなんですが、劇場でかかる作品はこれから淘汰されるだろうな、と。劇場にかけるべき作品とそうでない作品に分けられるというか。そこの淘汰は自然に起きると思いますし、そうなるべきだなって個人的には思います。これからの世代の人たちには申し訳ないですけど。

――なるほど。

三宅:好き勝手に言いますが、配信という新たなフォーマットもできて、別に「映画館」が上とか考える時代でもないと思います。経済的にもそうです。シンプルに、視聴体験をマックスにすることに絞って考えて、「これは映画館でかけるべきか、あるいは配信でも十分面白いか」だとか、「映画館でかけるべき映画とはどんな映画なのか?」ということを、映画館側も作り手側も考えないといけない。すでに皆考えていると思いますけど、それがより明確になったほうが面白いんじゃないかなとは思いますね。そうじゃないと映画館という特別な空間がもったいないことになる。

――それこそ、三宅監督自身はどうなんですか。2019年は、ビデオインスタレーションの発表もありましたし、2020年には、配信で『呪怨』のドラマシリーズを発表するわけで。

三宅:ビデオインスタレーションをつくり、配信作品にも関われたことで、逆にと言うべきか、「映画館でかける映画はこうありたい」っていうのが見えてきたところがあります。具体的には言えませんが。

役者と監督でどう映画を作っていくか
――さて、ここからは、少し話題を変えて……2010年代で、三宅監督が印象に残っている映画と言ったら、どんな映画になるでしょう?

三宅:2012年にトニー・スコット監督が亡くなりましたが、彼の遺作の『アンストッパブル』(2010年)以上に夢中になった映画はなかった気がします。アクション映画でいえば、MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)は好きでずっと観てきました。あとは、やっぱりトム・クルーズ最高ですね。マーベルヒーローVSトムの時代だったなと。

――ちょっと意外な気もしますが、アクション映画とかアメコミ映画がお好きなんですね。

三宅:『ミッション:インポッシブル』シリーズ(『ゴースト・プロトコル』(2011)、『ローグ・ネイション』(2015)、『フォールアウト』(2018))は毎回初日に映画館に行っています。アメリカ映画でいえば、イーストウッド、スピルバーグ、ロバート・ゼメキスの新作も常に面白かった。あとは、先程も話しましたが、ラブコメ映画のいろんな新作。ジェームズ・L・ブルックスの『幸せの始まりは』、リース・ウィザースプーンと、オーウェン・ウィルソンやポール・ラッドが出ているロマンチックコメディなんですけど、これは超傑作でした。2010年代のベストって言われたら、まず『アンストッパブル』と『幸せの始まりは』から考え始めます。

――なるほど。いずれも、三宅監督が撮られている映画とは、かなりテイストが違うような気も……。

三宅:ははは、それよく言われるんですよ(笑)。あとはやっぱりドキュメンタリー映画が思い浮かびます。『アンストッパブル』も『息の跡』も自分の中では同じ棚に並んでいて、「救われたなあ」というか、どちらも自分の人生の指針になるような映画ですね。先ほど挙げた映画以外では、幸運なことに本人にインタビューする機会もあったフランスのギヨーム・ブラック監督の最新作である『宝島』(2018)が最高でした。あとリチャード・リンクレイターの映画も僕にとっては大きいですね。色々挙げられますが、とは言え結局、2010年代は自分の監督作で必死だったかな……。

――そうですよね(笑)。では最後に、今後の展望として2020年代の映画に期待することを。

三宅:映画を作るのは映画館だと言う話を前半でしておいてなんですが、「映画は役者が作る」ということも自分は忘れずにおきたいです。いち映画ファンとしてはフレッシュで魅力的な人をスクリーンで観たいし、自分もそういう仕事をしたいですね。才能ある若い役者が今たくさんいると思っていて、彼らと仕事をするに値する脚本や企画を書かねばと毎日焦っています。これから10年への期待……言うべきこととか考えるべきことは今の世の中いろいろとあると思うんですが、自分の仕事はとにかくそこからだよな、という感じです。

(取材・文=麦倉正樹)

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