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松下洸平は『スカーレット』の“縁の下の力持ち” 夫として陶芸家としての「ハチさん」の生き様

リアルサウンド

20/2/5(水) 6:00

 芸術家として、家族として、夫婦として。いつだって人間についてまわる肩書きは一つではない。連続テレビ小説『スカーレット』(NHK総合)の喜美子(戸田恵梨香)を見ていると、陶芸家であり、母であり、妻であることの難しさを痛感させられる。その一方で、喜美子の夫・八郎(松下洸平)もまた、同じように難しい問題に直面しているのだった。

 八郎は本作の中でもとりわけ重要な立ち位置にいる。夫として喜美子の持つ個性を引き立たせ、時にリードし、守り抜いてきた。男らしく、まっすぐな八郎には視聴者からの好感の声も多く、「八郎沼」と呼ばれるファンがつくほど。しかし、決して派手できらびやかな役ではない。同じ芸術家として比べるならば、天才型のジョージ富士川(西川貴教)とは対極にいるような男だろう。八郎は元来、器用なタイプではなく、作品づくりにも苦労する。だが、信楽とその土を愛し、人の心を癒やす作品をモットーとするような優しい男だ。そして何より、喜美子と揉めれば、とことん向き合い、答えを出していく忍耐強さがあった。

【写真】結婚前の喜美子と八郎

 松下の芝居は、こうした八郎の“縁の下の力持ち”な様子を非常によく表している。出過ぎることもなく、普段は声を荒げることもない。寡黙で淡白な表情の裏には、喜美子や武志(中須翔真)への並々ならぬ愛情が溢れていた。視聴者はその熱く心地よい愛に気づいていたからこそ、八郎に得も言われぬ魅力を感じてしまうのだ。松下の持つ柔らかい表情からの表現力や、やや丸まった背中からは、優しさや温もりを感じずにはいられない。

 川原家の夫婦を語るに、喜美子と八郎の作家性の違いは欠かせないだろう。喜美子と八郎はとても良い夫婦だった。手を取り合い、並んで歩き、お互いに言いたいことがあるときはとことん向き合って暮らしてきた。しかし、ひとたび陶芸のことになると、湧き出る泉のようにイメージが降りてきて、せっせと手を動かし続けられる喜美子に反して、八郎はじっくり自分との対話を繰り返しながら、時間をかけて作り上げていく。2人はアーティストとしての気質が違っていたのだ。さらに、アーティストとしてのお金に対する価値観も異なっている。喜美子が、作りたいもののためならお金も苦労も厭わないのに対し、八郎は生活していくためのお金を捻出したり、作風を変えたくてもお金のためなら我慢できる強さがある。だが、こうした違いは、徐々に夫婦生活にも暗雲をもたらすことになる。そしてこの歪みは、2人が陶芸の道を進み続ける以上、どうすることもできないものだった。

 2人はいい夫婦でありながら、陶芸家としてお互いを理解することができなかった。さらに八郎は、弟子の三津(黒島結菜)の中に分かり合える部分を見出し心を開く。この分かり合える部分というのは、断じて男女としてのものではないものの、夫婦の関係に深い影を落としたことに間違いはないだろう。このようにして起こったねじれは簡単には直せなかった。喜美子と八郎のどちらかが悪者だったわけではない。しかし、ゆっくりとねじれていった関係は、2人が気付く頃には後戻りできなくなっていたのだった。

 こうして徐々に喜美子との関係が離れていってしまった八郎だが、別居してからも喜美子を女性として愛し、武志の父としての役割を全うしたように感じられる。どのような未来が訪れようとも、それぞれの信じた道を進み、幸せになってほしい。『スカーレット』はそんな恋慕の切なさもまた、魅力なのだ。

(Nana Numoto)

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