夭折の天才アーティストの魅力に迫る 『バスキア展 メイド・イン・ジャパン』特集
【INTERVIEW】私とバスキア① オダギリジョー
全5回
第2回
19/9/13(金)
現在公開中の映画『ある船頭の話』で、長編作品では初めて監督を務めたオダギリジョー。俳優として、監督として、またミュージシャンとして、多彩な活動を続ける彼の姿は、ニューヨークのストリートを舞台に、ドローイングや詩、音楽など形式に捉われない自由な表現方法で時代の寵児となったバスキアに重なってみえる。映画監督ジム・ジャームッシュを敬愛し、バスキアやウォーホルなど、同時代のニューヨーク・カルチャーに大きな影響を受けたというオダギリに、彼らに対する想いを聞いた。
メインストリームに対する 反骨精神への共感
バスキアについては「いつのまにか触れていた」という感じではなかったかと思います。ニューヨークのアートに対して憧れをもつ世代なんでしょう、僕たちって。それでウォーホル、バスキアや当時のパンクミュージシャンたちや、僕は特にジム・ジャームッシュとかニューヨーク系の映像作家も好きになったりしていったんです。
当時、僕のような地方在住の若者が見ていたアメリカ映画は基本的にハリウッドもので、そんな中、ああいうニューヨークのインディペンデントシーンというあからさまな刺激を彼らに与えてもらいました。
バスキアとかウォーホルは芸術家として存在はメジャーだったけれども、インディーズな精神をもち続けていることに親近感がもてたというか、突き刺さりましたね。主流とか、メインストリームとか、そういうものに対する反骨。要するにパンクと言えるかもしれないですね。そこに共感したんだと思います。
19歳のときアメリカに留学したんですがそのあと、友だちに、絶対これお前好きだから見てみろと言われて見たのが、ジャームッシュの『ストレンジャー・ザン・パラダイス』でした。驚きました。こういう作品があるんだって。「大きなシステムではなくても、映画が撮れる」という夢をもたせてくれたんじゃないかと思います。自分でカメラを担いで、自分のおもしろいものにレンズを向けることを続ければ映画が作れる、みたいな。そういう錯覚というか、可能性を見たんでしょう。
バスキアに関してもそういうふうに感じさせてくれる面があって、つまり、自分でも描けるんじゃないかみたいに思わせてくれるような。子どもが描いた純粋なラクガキに近いような、その崩し方とか壊れ方、自分にも描けそうにそのときは見えたんですよね。色の使い方とかも単純そうに見えて、それで自分にも真似できるんじゃないかと思って絵を描いたりしてました。
つまり、ジャームッシュにしてもバスキアにしても、ものづくりの方向に背中を押してくれた先輩だったんです。いい意味での勘違いをさせてくれたんですね。
バスキアが教えてくれた 自由に創造するということ
強いてバスキアに自分を重ねてみようとして考えるなら、自分自身を表現するという意味においては僕も手段を選んでなかった気はします。その中の一つに映画があって、結果的に俳優になった。それが音楽だった時期もあれば、写真だった時期もあり、絵を描いていたり、アクセサリーや服なんかをつくっていたりとか。なんでもよかったっていう言い方はおかしいですけど、とにかく自分の中にあって渦巻くものを発散する場を求めていたのでしょう。
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