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劇場版『Fate/stay night [HF]』が問いかける“罪”との向き合い方 映画独自のアレンジの妙

リアルサウンド

20/9/2(水) 10:00

 あなたは犯罪者を愛する覚悟があるか。

 『Fate/stay night [Heaven’s Feel]』(以下、『HF』)は、そんな答えにくい問いを突きつける作品だ。

  犯罪者をかばうことは、今の社会ではより厳しい目で見られるようになっている。犯罪者は秩序をおびやかす存在であり、それをかばうなど政治的に誤っているとされるようになった。

 『HF』が発する上記の問いは歪んだものだ。にもかかわらず、多くの人間を殺したヒロインを愛すると決めた主人公・衛宮士郎は、正義に味方を目指していた頃よりも、真っ当な人間に見えるのはなぜだろうか。こうした既存の価値の転覆を幾重にも仕掛けてくるのだ。

原作ゲームの構成について

 『Fate/Stay night』の原作は主要3ルートから成るビジュアルノベルゲームだ。ゲームのプレイヤーが選ぶシナリオ上の選択肢によって物語が分岐し、異なる物語をプレイできる。多くのヒロインからプレイヤー毎の好みを選択し、それぞれの楽しみを見出すという目的で使われることが多いゲームシステムだが、本作の特徴は攻略するルートの順番が固定されている点だ。第一のルート「Fate」ルートを攻略しないと第二のルート「Unlimited Blade Works」(以下、「UBW」)をプレイできない。そして「UBW」をクリアすると、今回映画化された第三のルート「Heaven’s Feel」をプレイできるようになる。分岐する物語という、本来なら並列して存在し得ないものを、あたかも「三幕構成」のように作っている点が本作を特異なものにしている。原作者・那須きのこは、本作のパンフレットで執筆当時の心境をこのように語っている。

「原作で描かれる三つのルートのうち[Fate]は誰もが思い描くボーイミーツガ
ール。[UBW]は理想を追いかける話。どう生きると人生は輝かしいのか、気持
ちいいのか、という点をメインにしていました。そのふたつを書いたあと、そ
うは言っても僕らは人間だから、地に足をつけて生きていかないといけないよ
ね、ということで[HF]を書きました」(『劇場版「Fate/stay night [Heaven’s Feel]」III.spring song』公式パンフレット、P8)

 先に書いた『HF』の問いかけは、正義の味方になるという理想を追い求める格好良さを描いた後だからこそ、一層切実なものとなる。このプレイの順番が仮にランダムであったら、作り手の意図は十分に伝わらないものになっていただろう。

理想を捨てることもまた尊い

 主人公・衛宮士郎は瀕死の重傷を負った火災事故から、魔術師・衛宮切継に助けられ、正義の味方に憧れるようになる。多数の生存のためには身近なものであろうと少数を切り捨てるのが父・切嗣の正義だった。その先には数多の殺戮があることを知りながら、それでも理想の正義を求めて邁進する姿が大二のルート『UBW』では描かれる。

 しかし、『HF』ではその同じ主人公に全く正反対の決断をさせる。桜という一人の少女のために己の理想を捨て、愛する一人の女性のためだけに戦うことを選ぶ。物語当初に掲げた目標を主人公の理想を、同じ主人公に捨てさせるという価値の転覆が起きる。

 この転覆に大きな意味があるのは、衛宮士郎の正義への憧憬は、半ば脅迫観念にも似た感情で描かれているからだ。父の目指した正義を追求しすぎるあまりに歪な存在と描かれていた主人公が、初めて身近な人を選ぶという、人間らしさを見せるのが『HF』の物語であり、だからこそ、相手が悪であるにもかかわらず、本作で主人公はこれまで以上に真っ当な人間に見える。

 理想を追いかけることの賛美から、理想を捨てることへの賛美へ。これが『HF』という物語が仕掛ける最大の反転だ。奈須きのこは『HF』という物語の意義についてこう語る。

「どれだけ輝いて見せた人でも、やがて仕事をして、いつしか家庭を持って、奥さんと一緒に家を守りながら、当たり前だけどたいへんな子育てに奔走する。現実は時に理想を捨てさせる。士郎もゲームのプレイヤーと同じ人間だから、それも書かなくちゃ嘘になる、という気持ちが当時は大きかったんだと思います。だけど、それを捨てることもまた、すごく尊いことなんだよと」(『劇場版「Fate/stay night [Heaven’s Feel]」III.spring song』公式パンフレット、P8)

花見の前に足を止める桜の罪の重さ

 そして、映画となった『HF』は、その尊さだけでは終わらない。その先にある罪と向き合うことを忘れていない。

 愛する人と共に生きるという決断の後には、待ち受ける日常がある。それが罪人であるのなら、安易な死の方が楽かもしれない、罪と向き合う日常が待ち受ける。

 『HF』3部作の最終章である本作において、死は必ずしも絶望をイメージしない。冒頭、士郎は友人であり桜の兄である慎二の死体を見つける。その死に顔は安らかだ。劣等感にさいなまされ続けた彼は死によってようやく解放されたのかもしれない。

 第一のルート『Fate』ではヒロインだったセイバーオルタの死にざまにもどこか解放感がある。原作ゲームでは止めを刺さない選択肢を選ぶと「シロウ。初めて、貴方を憎んだ」というセリフとともにバッドエンドを迎えることになるのだが、映画の主人公は躊躇なく刃を突き刺す。

 死が解放であるなら、生は苦しみだ。にもかかわらず本作は生きることを肯定する。

 須藤友徳監督は、この最終章を「罪を背負った上で、それでも日常に回帰する話」と位置付ける。

「誰かと話しているだけで、世界中から『償え』と責められている気がする」

 これは原作ゲームにある一文だ(映画とは異なる結末「ノーマルエンド」に出てくる一文)。これがヒロインの桜が迎えた日常なのだ。作中、士郎は桜に向かって「罪の所在も罰の重さも、俺には判らない。けど守る。これから桜に問われる全てのことから桜を守る」と言う。

 士郎の日常もまた過酷なものになる。それはある意味、正義の弾圧から桜を守るということであり、かつての自分の理想との絶え間ない逡巡に違いない。

 本作の結末で、皆と花見に向かう桜が、花見会場に入る前に一瞬足を止めたのはなぜだろうか。自分にはあのような祝福される場に躊躇なく入る資格があるだろうか。桜はそう考えたのかもしれない。花見会場に向かう足が重くなり、その手前で止まるという芝居に、桜が感じる罪の重さが宿っている。花見中の人々の幸せな表情さえ、桜には「償え」という責め苦に感じられるかもしれない。

 だから、桜は士郎と手をつなぐ。どんなことがあっても守ると誓ってくれた士郎となら罪に向き合える。だから、映画のラストカットは士郎と桜が手をつないで花見に向かうカットとなったのだろう。

 原作に3つのルートがあると先に書いたが、『HF』にはさらに2通りのエンディングがある。本作が選択したのはトゥルーエンドと呼ばれる、ハッピーエンドのバージョンなのだが、花見開場前で立ち止まる桜の姿に、もう一つの苦々しい重みを残した結末、ノーマルエンドの精神も受け継いでいるように筆者には思える。原作のトゥルーエンドでは、より大円団のハッピーエンドのイメージが強いイラストが添えられる。一方、ノーマルエンドは帰らぬ人となった士郎を、桜が年老いても待ち続けるという結末となり、桜の犯した罪の重さがより実感させられる。映画では桜が花見の前に足を止めるという芝居に、一筋縄ではいかないこれからの苦難を想像させる。このアレンジは大変見事だった。長くTYPE-MOONの映像作品にかかわる須藤友徳監督の理解の深さをうかがわせる。

 罪と向き合う日常は苦しみに溢れているけど、それでも生きることを肯定する。苦難に満ちた日常を乗り越えるために愛する人の手を取る勇気。主人公たちが苦難の末に勝ち得たのはそんなささやかな力なのだ。

■杉本穂高
神奈川県厚木市のミニシアター「アミューあつぎ映画.comシネマ」の元支配人。ブログ:「Film Goes With Net」書いてます。他ハフィントン・ポストなどでも映画評を執筆中。

■公開情報
『劇場版「Fate/stay night [Heaven’s Feel]」III.spring song』
全国公開中
声の出演:杉山紀彰、下屋則子、川澄綾子、植田佳奈、門脇舞以、伊藤美紀、中田譲治、津嘉山正種、浅川悠、稲田徹
キャラクターデザイン:須藤友徳・碇谷敦・田畑壽之
脚本:桧山彬(ufotable)
美術監督:衛藤功二
撮影監督:寺尾優一
3D監督:西脇一樹
色彩設計:松岡美佳
編集:神野学
音楽:梶浦由記
主題歌:Aimer
制作プロデューサー:近藤光
アニメーション制作:ufotable
配給:アニプレックス
(c)TYPE-MOON・ufotable・FSNPC
公式サイト:http://www.fate-sn.com/
公式Twitter:@Fate_SN_Anime

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