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宮藤官九郎は過去と現在をどう繋ぎ合わせるのか “疾走”する大河ドラマ『いだてん』を読む

リアルサウンド

19/2/3(日) 6:00

 疾走。走る話だもの、そりゃあそうだという話であるが、『いだてん』(NHK総合)はとにかく躍動し、疾走する大河ドラマだ。中村勘九郎演じる主人公・四三だけでなく、峯田和伸演じる車夫の清さんや、天狗倶楽部が走るのはもちろんだが、若かりし頃の志ん生を演じる森山未來の優れた身体能力から発せられる躍動感たるや、他の登場人物たちと違い、時代をも超越する語り手という役割を担っているだけあって、際立っている。

参考:“親友”の勝地涼、“足を支える”ピエール瀧……『いだてん』中村勘九郎を取り巻く個性豊かな人々

 また、よく動くのは俳優たちだけでではない。例えば4話における水を絶つ四三/ビールを浴びる天狗倶楽部の男たち/コップ1杯の水を飲む五りん(神木隆之介)と、共通するアクションを軸にした時間と空間の自由自在な移動、あるいは1話においてのれん1つくぐるだけでいとも簡単に50年前へと跳躍してしまうように、この物語はただひたすらに走り、飛びはね、転がっている。

 大河ドラマにおいて珍しい近現代を扱うというそれ自体が大きなチャレンジである本作は、宮藤官九郎脚本、井上剛演出、大友良英音楽というNHKの優れたドラマを多く作ってきた作り手たちによるものだ。街頭のテレビに映るビートたけし演じる古今亭志ん生を見つめている人々の姿は、井上剛演出である『トットてれび』(NHK総合)第1話で、街頭のテレビを見ている人だかりに混じって、まだテレビの向こう側を夢見ている段階の黒柳徹子(満島ひかり)や永六輔(新井浩文)、渥美清(中村獅童)がテレビを見ている場面を思い起こさせる。

 その後、テレビのセットが開き、テレビの向こう側とこちら側の世界が融合し、さらには当時の映像までもが重なり、「買い物ブギ」を歌い踊るというとんでもなくカッコイイ光景が繰り広げられる。『いだてん』における橋本愛演じる小粋な遊女・小梅や、峯田演じる車夫が毎度絡んできて、若かりし頃の志ん生(孝蔵)が片隅で寝転び、十二階(凌雲閣)という高い建物がそびえ立っている当時の賑やかな社交場・浅草に、登場人物たちと共に“遭遇”できる幸せは『トットてれび』のそれと似たものがある。志ん生がモノクロの映像の中に事も無げに入り込み、こちらに向かって手を振る時の、不思議な嬉しさとも共通するのだが、そこには、それぞれの時代の、市井の人々含む登場人物たち、志ん生の過去と現在、さらには私たち視聴者や、このドラマに出演している現代の優れた俳優陣が生きている現在という幾重にも重なる時間の層の厚みに思わず心が揺れてしまうのである。

 さらに、度々挿入されるトンネルの向こう側の光に向かってひた走る主人公の姿は、宮藤、井上、大友3人と言えば言わずもがなの朝ドラ『あまちゃん』(NHK総合)の最終回において、トンネルの向こう側へと走るアキ(のん)とユイ(橋本愛)を重ねずにはいられない。

 2話において学校に行くために泣きながらトンネルを歩いていた尋常小学生時代の四三から、父親の死を経て、四三は中学に進学する。ここで「トンネルを走る」という行為が、子役の船元大馳朗から中村へのバトンタッチに使われる。そして4話において、マラソン大会で走ることへの喜び、つまりは人生において「熱中すること」を見出した時、子役2人(久野倫太郎、船元)がバトンを繋ぐようにトンネルを走り、トンネルを抜けた先、明るい緑の中を夢中で走っている中村演じる四三の姿が示される。つまりは、トンネルを抜けることで1人の“いだてん”が誕生したのである。トンネルは、過去、現在、未来へと物語を繋げ、物語上でも走っている四三が、走り抜けていくのだろう日本の近現代史、1人の男の人生そのものという大きな道を示している。

 第1話の冒頭は、大きな穴と、その穴を悠々と越える四三らしき人物の足で始まる。このドラマ、ひたすら駆け抜けてはいるが、どこもかしこも穴だらけだ。

 私たちはまだ、第1話で描かれた物語の全貌を把握しきれていない。なぜなら、第1話で描かれたのは、役所広司演じる嘉納治五郎側から見た物語、それも志ん生の冗談交じりの落語噺としてしっかりとしたオチがつけられた物語であって、最後の最後にしか主人公・四三は登場しない。もう一度見返すと、足袋の足元や、立ち小便をして叱責され逃げていく人影を彼と認識することはできるのだが、それだけである。その物語のいわば補足のように、2話以降、四三側の物語が描かれている。大分明らかになってきた物語の全貌であるが、まだ、どしゃぶりの予選会を走る男たちの物語と、四三念願の治五郎との抱擁と会話の内容は明らかになっていない。

 さらには、戦勝国として盛り上がっている明治の終わりの日本と、高度経済成長期で盛り上がっているオリンピック招致目前、1959年の日本のその間の、これから補完されていくだろう“穴”。決していいことばかりではなく、平坦な道のりではない。太平洋戦争がある。過去と現在、その間のまだ描かれていない空白を『あまちゃん』において震災を見事に描いた宮藤たちはどう描くのか。

 何か新しいもの、面白い事をしようと模索する人たちが、穴だらけ、ぬかるみだらけの道を、ひたすら走る。四三が、志ん生が、彼らを追いかける名もなき子供たちが。狭い世界の中で、キャラが濃すぎる登場人物たちが、それぞれのユニークな世界を形成していて、時折すれ違う様が、面白い。

 トンネルの先には、何があるのか。私たちの生きる、2020年の東京オリンピック目前の現代に物語はどう繋がっていくのか。(藤原奈緒)

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