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佐野元春を成立させるクリエイティブのかけら

20世紀から21世紀へ激変する 音楽シーンにおける新たなアプローチ

全14回

第10章

20/11/14(土)

第一期THE HOBO KING BANDのメンバーとジョン・サイモン

前章で触れた『FRUITS』のリリースが96年。音楽業界がCD売り上げのピークを迎えるのが98年。アルバム『THR BARN』は、その前夜の97年にリリースされた。

当時、景気は悪かったけれどレコードは売れていた。新しい世代のライフスタイルは良くも悪くも享楽的で、街ではダンスポップが流行っていた。自分から見ると、商業的にコントロールされた音楽が大半だった。

そうした音楽を聴くのは楽しいけれど自分の表現ではないと感じていた。反逆とまでは言わないけれど、僕自身はもっと深く、クールで、クリエイティブでありたいと思っていた。THE HOBO KING BANDと一緒に、音楽の原初的なモチベーションを大事にする、そんな生の音楽と向きあいたかった。

“THE HOBO KING BANDと一緒に”。この姿勢の表れは、『THR BARN』のアルバムジャケットに堂々と記した“MOTOHARU SANO & THE HOBO KING BAND ”というクレジットからもうかがえる。

アルバムに先行したツアーがうまくいって、その後、アルバム『FRUITS』のレコーディングに入った。正直に言って新しいバンドがファンに受け入れてもらえるか不安だった。でも、ファンの反応は悪くなかった。いよいよここからTHE HOBO KING BANDとの旅が始まるな。そう思うとうれしい気持ちになった。

バンドメンバーはみんなそれぞれ違った音楽的バックグラウンドを持っていた。その接点のひとつが「ウッドストック」だった。アメリカ70年代初期のルーツミュージック傾向の音楽だ。THE HOBO KING BANDの始まりは「ウッドストック」。悪くないと思った。

プロデュースはこの領域で優れているジョン・サイモンに依頼した。ザ・バンドやジャニス・ジョプリンをプロデュースしたプロデューサーだ。さっそく僕はバンドを連れて米国のウッドストックに向かった。ノスタルジーはなかった。当時、世界で台頭しはじめていたオルタナティブミュージックのムーブメントに対して僕らなりの答えを出そうと考えていた。

現地では慌ただしく時間が過ぎていった。約3週間のレコーディング、1週間のトラックダウン、そしてアートワークの制作という約2ヵ月のプロジェクト。僕は仕事に没頭した。

だが、実はこのレコーディングの直前、佐野は実妹の逝去に直面していた。

予期せぬ出来事だった。仕事をしていてもどこか悲しい気持を引きずったままだった。

あるとき、妹が、「ノストラダムスの大予言によると地球は滅びちゃうから、私は好きなことやる」と言うので、「馬鹿なこと言うな。そんな予言よりも世の中には信じるべきものが他にたくさんあるよ」と怒ったことがある。大人になってからはそれぞれの生活に入ったけれど、年が離れた妹が悩んでいれば、兄として話をする。そんな間柄だった。

若いうちに亡くなってしまったので、僕の中での彼女はいまでもずっと若い姿のままだ。

91年に父を、94年には母を、そしてこの年には妹を亡くした。90年代は佐野にとってパーソナルな別離が続いた時期でもあった。それでも彼は語る。「個人的な悲しみや苦しみをそのまま歌にしてしまったら、それは日記と変わらない」と。

ソングライターは、そこにこそ矜持を持つべきだと思っている。悲しい別れが続いた時期だったけど、それが音楽ににじみ出ないように気をつけた。

僕には世の中で嫌いなものがいくつかある。なかでも大嫌いなのが“お涙頂戴”だ。格好をつけて言っているわけではない。「人の痛みはそんな薄っぺらいものではないだろう」といつも思う。

自分の歌は自分のもの。どう書こうが自由だし、誰も知ったこっちゃない。不遜な言い方に聞こえるかもしれないけれど、自分には相応の技術があるから、たぶん、多くの人たちが泣けるような曲だって書ける。でも、それを書いたとしても、たぶん発表はしない。

個人的な見解だけれど、ソングライターの力量とは、個人的な悲しみや喜びをいかに普遍に転換できるかどうかで問われるんじゃないだろうか。僕はそう思う。

THE HOBO KING BAND『THE BARN』レコーディングで訪れたウッドストックにて

アーシーでロックオリエンテッドな『THE BARN』の出来ばえは彼にとって十分満足のいくものだった。しかし、セールスは及第点止まりとなる。

そこそこは売れたが、みんなが期待したほどではなかった。レコード会社やマネジメントはハラハラしたと思う。困らせようとしたわけではなかったけれど、時代のメインストリームとは異なる音楽だったから。今思い返せば、当時の自分は周囲の声をあまり気にせず、「自分の道を行くんだ」と、やや頑なだったことは否めない。それでもレコード会社は懸命に『THE BARN』を宣伝してくれた。

THE HOBO KING BANDはジャムバンドだ。セッションも生き物のように、毎晩のライブで形を変えていく。単純に僕は嬉しかった。ミュージシャンとしての喜びが戻ってきたからだ。原点に戻って純粋に音楽を楽しんだ。メインストリームの音楽なんてどうでもいい。有機的で、感情を揺さぶるようなバンドサウンドこそが僕の信じる音楽。そう改めて宣言したのが『THE BARN』アルバムだった。

アルバム『Stones and Eggs』(1999)

しかしデビュー20周年を翌年に控えた99年、彼はアルバム『Stones and Eggs』をリリースする。前述の言葉とは裏腹に、このアルバムではほとんどの演奏とプログラミングを彼がひとりで手がけ、録音も自身のホームスタジオで行っている。

『THE BARN』のセールスがそこまで芳しくなかった上に、このころから音楽業界全体の調子が悪くなってきた。ピークを迎えたCDの売上が下がりはじめたこともあって、レコード会社からの制作予算も潤沢ではなくなってきた。

それでも、20世紀が終わる直前にどうしてももう1枚オリジナル・アルバムを出したいと思った。それが『Stones and Eggs』だ。

ちょうど作ったばかりのホームスタジオのポテンシャルをチェックしたくて、急遽、宅録でバタバタと作った。バンドのメンバーも協力してくれたが、基本的には自分のプログラミングで構築している。

いい曲はある。でも他のアルバムと比べると埋もれがちで、おそらく聴き手にとって、どうとらえたらよいのか定めにくいアルバムかもしれない。

「GO4」、「驚くに値しない」、「君を失いそうさ」や「だいじょうぶ、と彼女は言った」、さらには降谷健志&BOTSのリミックスによるラストの「GO4 Impact」など、曲ごとのバラエティとアイデアに富んでいるのが『Stones and Eggs』の特色と言える。

まぁどの曲もポップソングとして悪くない。いろんな意味で世紀末的な1枚とも言えるのかもしれない。ただ『THE BARN』のような芯の強さには欠けた。自分の中では不完全燃焼だった。

このときの反省は、後の第二期THE HOBO KING BANDとの大傑作『THE SUN』(04年)に活かされるのだが、その誕生までには5年の歳月を要することとなる。

そのころ、ちょうどデビュー20周年を迎えていた。ソニーのスタッフの協力を得て、20周年アニバーサリーサイトを立ち上げた。そこでは楽曲のダウンローディングをはじめ、グッズの販売など、今では多くのアーティスト・ウェブサイトが持っているほぼすべての機能を最初に網羅したサイトだった。

CDが売れなくなるという時代を迎えて、何かインターネットを使ってそれに代わることができないか、その模索が始まった。『eTHIS』はそんな試行錯誤のひとつだった。

さらにその5日後、彼は従来型のパッケージとダウンロード販売の同時リリースという形態でシングル「INNOCENT」を発表した。

『Stones and Eggs』のセールスもあまり振るわず、レコード会社も時代の波を受けて不振に陥っていた。レコード会社のフロアは殺伐としてしまい、スタッフの入れ替わりも多くなった。音楽という夢を売るビジネスの根拠が失われはじめた。自分とレーベルの関係も徐々に悪化していった。

その頃、先見の明を持つソニーは他のレーベルに先駆けて楽曲のダウンローディングをビジネス化しようとしていた。僕はソニーのそうしたフロンティア精神が好きだった。しかし当時のマネジメントやプロダクションが消極的だったため先に進まなかった。

しばらくして、当時のCEO丸山氏から、新曲をダウンローディングで売ってみたいというオファーを受けた。1999年のことだ。僕は賛同してシングル曲「INNOCENT」を提供した。それと同時に、少しずつ既存の音楽ビジネスが終わっていくのを感じていた。

「INNOCENT」は日本における有料ダウンロード楽曲の第1号となった。当時は未知の世界だった音楽ビジネスの形式に抵抗感はなかったのだろうか。

個人的にはそれほど抵抗はなかった。しかし、同じ年にP2P技術を使ったNapster(ナプスター) がハプニングして、デジタル時代の音楽作品のライツの保護が問題化した。ちょうど同じ懸念を抱いていた坂本龍一からも声がかかって、各方面の人たちと議論した。技術と権利の保護が、互いによい関係性を見出せていなかったため、多くのディスカッションが必要な時代だった。

ベストアルバム『The 20th Anniversary Edition』(2000)

そしてミレニアムを迎えた2000年1月、彼はデビュー20周年を記念した『The 20th Anniversary Edition 1980-1999 his words and music』をリリースする。再ミックス、エディット、新録によって構成された2枚組コンピレーションアルバムだ。ベスト盤やコンピレーション盤への姿勢についての問いに、彼はこう答えている。

ベスト盤はだいたい周年期に発表している。ベスト盤というとたいていの場合、レコード会社の主導で制作・販売されて、契約が切れた後や解散後にリリースされるものが多かった。

しかし僕は現役なのでベスト盤は自分で監修してきた。定義は変わらない。「これからの僕のファンに聴いてもらえるベストな音源を集める」ということ。だからリマスタリングするのもエディットするのも当たり前のことだ。

「オリジナル音源こそが最高」という神話のような考え方があるけれど僕はそう思わない。ノスタルジーは否定しないけれど、今の自分が聴いて納得がいき、新旧のファンが心から楽しめる音源の集合体でなければならない。オリジナルアルバムの制作と同量のエネルギーをかけて作る。自分の「ベスト盤」はそんな思いで作っている。

無論、この精神性は、先頃、同時リリースされたばかりの最新ベストアルバム『MOTOHARU SANO GREATEST SONGS COLLECTION 1980-2004』および『THE ESSENTIAL TRACKS MOTOHARU SANO & THE COYOTE BAND 2005-2020』(2020年10月7日)の制作においても貫かれている。弛まぬ新しいファンへの意識、圧倒的なクオリティに対する並々ならぬ情熱はデビュー40周年を迎えた今日もなお佐野元春のプライドだ。

取材・文/内田正樹
写真を無断で転載、改変、ネット上で公開することを固く禁じます

当連載は毎週土曜更新。次回は11月21日アップ予定です。

プロフィール

佐野元春(さの もとはる)

日本のロックシーンを牽引するシンガーソングライター、音楽プロデューサー、詩人。ラジオDJ。1980年3月21日、シングル「アンジェリーナ」で歌手デビュー。ストリートから生まれるメッセージを内包した歌詞、ロックンロールを基軸としながら多彩な音楽性を取り入れたサウンド、ラップやスポークンワーズなどの新しい手法、メディアとの緊密かつ自在なコミュニケーションなど、常に第一線で活躍。松田聖子、沢田研二らへの楽曲提供でも知られる。デビュー40周年を記念し、2020年10月7日、ザ・コヨーテバンドのベストアルバム『THE ESSENTIAL TRACKS MOTOHARU SANO & THE COYOTE BAND 2005 - 2020』と、24年間の代表曲・重要曲を3枚組にまとめた特別盤『MOTOHARU SANO GREATEST SONGS COLLECTION 1980 - 2004』がリリースされた。佐野元春 & THE COYOTE BANDの新シングル「合言葉 - Save It for a Sunny Day」iTunes Storeで販売中。

『THE ESSENTIAL TRACKS MOTOHARU SANO & THE COYOTE BAND 2005 - 2020』
『MOTOHARU SANO GREATEST SONGS COLLECTION 1980 - 2004』

佐野元春 & THE COYOTE BAND TOUR 2020「SAVE IT FOR A SUNNY DAY」

2020年12月13日(日)愛知・フォレストホール
2020年12月15日(火)東京・LINE CUBE SHIBUYA
2020年12月16日(水)神奈川・神奈川県民ホール
12月19日(土)京都・ロームシアター京都 開場17:00 / 開演18:00
12月21日(月)大阪・フェスティバルホール

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