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かつて日本が辿ってきた道ーーオムニバスアニメ『詩季織々』の懐かしさの正体

リアルサウンド

18/8/20(月) 16:39

 『詩季織々』は懐かしい映画だ。中国の話なのに懐かしいと感じる。ノスタルジーを描いた作品なのでそういう気持ちにもなるだろうが、どうもそれだけではない気がする。

参考:『詩季織々』コミックス・ウェーブ・フィルムを訪問 “美しい背景”描くための工夫とは?

 このプロジェクトは、中国アニメを代表するブランド、Haolinersを率いるリ・ハオリン監督が、かつて新海誠監督の『秒速5センチメートル』を観て感激し、長年コミックス・ウェーブ・フィルムにオファーを出し続けて実現したものだそうだ。『君の名は。』の空前の大ヒットで、次の一手が注目されていた同スタジオだが、『詩季織々』は自らの強みを確認するかのように原点回帰的な作品となった。さながら上海版『秒速5センチメートル』といった趣のある作品だ。

 アニメファンにとっての懐かしさの正体は『秒速5センチメートル』を思い起こさせるという点があるだろう。本作も本家同様、3つのエピソードから成るオムニバス形式だし、情景描写のありようも同じスタジオ制作なので、いくつも共通点が見いだせる。

 しかし、懐かしさの正体はこれではない。この映画には、かつて日本が辿ってきた道が描かれている気がするのだ。

■「衣食住行」で描く中国の生活のリアル

 本作は、3つのエピソードがそれぞれに一つずつテーマを持っている。日本では生活に必要な事柄の総称を「衣食住」という言葉で表すが、中国では「衣食住行」と言うそうだ。3つのエピソードが、それぞれ衣食住を描き、ある仕掛けによって「行」を描いている。この「行」の描き方がとても粋なのだが、ネタバレになるので詳述はやめておこう。

 生活の基本がテーマなだけあって、本作は中国の人々の等身大の生活感に溢れている。過剰に政治的な視線もなければ、経済的成功を勝ち誇る態度もない。むしろ、描かれるのは普遍的な家族の絆や、急速な経済成長で失われた「何か」だ。

 「食」を描く『陽だまりの朝食』は、田舎から北京に出てきた若者が、おふくろの味であるビーフンを思い出す話だ。都会の生活で心の擦り切れた若者の物語は、日本でも繰り返し描かれているお馴染みのものだ。背後には地方と都市の経済格差があるのだろうが、日本に暮らす我々にも容易にそのことが想像できる。

 続く、「衣」をテーマにした『小さなファッションショー』は広州の都会に生きる姉妹の絆を描いた作品だ。一見都会の洗練された姉妹の、洗練しきっていない純な部分が美しい。

 総監督のリ・ハオリン自身が手がけた「住」がテーマの『上海恋』は本作のハイライトと言っていいだろう。テーマの深層と物語が絶妙にマッチしていて、急速な経済発展の中で、中国の市井の人々が何を思い、何を失ってきたのかを情感たっぷりに描いている。

 『上海恋』は石庫門と呼ばれる、上海の古い建築様式の家が並ぶ住宅地が舞台だ。19世紀に確立され、和洋折衷の独特の外観が魅力で、かつては上海の6割ほどがこの様式の住宅であったらしい。しかし、90年代からの大規模な再開発によって、今ではわずかしか残っていないそうだ。

 このエピソードにとって街はただの風景ではない。そこには一人ひとりの生活の想い出があり、大切な人と過ごした記憶がある。このエピソードは町並みと人の物語が見事にリンクしている。特に歩道橋の使い方が、文字通り男女をつなぐ「橋渡し」として機能していて上手い。

■日本社会が辿った道

 育った町並みが壊されてゆく寂寥感は、高度経済成長時代の日本にも通じる感覚だろう。ハオリン監督は、インタビューで、この映画の製作動機を「失われてゆくものを美しいアニメーションで残しておきたかった」と語っている。(参考:新海誠監督への愛とリスペクトに満ちた「詩季織々」リ・ハオリン監督インタビュー|アニメ!アニメ!)

 中国の急速な経済発展は、世界の経済に多大な影響を与えている。それに伴い国際政治の舞台でも中国の存在感は、良きにつけ悪しきにつけ増している。ここ数十年、中国はものすごい勢いで大国としての地位に上り詰めた。

 しかし、そうした派手な情報に隠れた、中国の人々の地に足ついた思いを知る機会はとても少ない。政治的軋轢で、日本からはそうした中国に暮らす人々のリアルな感情が見えにくくさえなったかもしれない。

 本作が描くのはまさにそうした地に足のついた生活と感情である。そこには経済成長の恩恵ばかりではない、失われてゆくものへの寂寥感がある。

 このことは、我々日本人にとっても思い当たるものだ。高度経済成長で失った独自の風景や文化が日本にもたくさんあったはずだ。経済が停滞した現在でも、地方のショッピングモール化は止まらず、かつてあった「色」のようなものが失われてゆく。

 この映画はストレートに郷愁を描いた作品であると同時に、日本がかつて辿った道を描いてもいるので、日本人にとって二重に懐かしい。その懐かしさを踏まえて、「衣食住行」の「行」の描き方が素晴らしいと筆者は思っている。「行」のパートは失ったものを嘆くばかりではなく、前向きな希望に満ちているからだ。

 古い建物は残せないが、映画でなら人々の感情とともに記録しておける。感情の記録こそが物語の機能であり、失われてゆく景色とともにそれを語ることは、視覚メディアたる映画が果たしてきた社会的役割だ。10年後、20年後と時とともにますます価値の高まる作品であろう。(杉本穂高)

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