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「だってしょうがないじゃない」ポスタービジュアル

発達障害の叔父を追ったドキュメンタリー公開、リリー・フランキーらが応援コメント

ナタリー

19/9/18(水) 17:00

「シェル・コレクター」で知られる坪田義史の監督作「だってしょうがないじゃない」が、11月2日より東京・ポレポレ東中野ほか全国で順次公開されることがわかった。

本作は、発達障害を持ちながら独居生活を送る坪田の叔父・大原信の日常を3年にわたって追った長編ドキュメンタリー。自身もADHD(注意欠如・多動性障害)に適合すると診断を受けた坪田は、広汎性発達障害を持ちながら一人暮らしをする叔父・大原の存在を知る。彼は大原との交流を深めていく中で「親亡きあとの障害者の自立困難」「知的障害者の自己決定や意思決定の尊重」、また80代の親が50代の子の生活を支える「8050問題に伴う住居課題」などの問題に直面していく。

坪田は「発達障害を生き抜く為には、誰もが自分らしくいられる社会が必要です。本作『だってしょうがないじゃない』は、今後の上映活動を通して、見た目では分かりづらい発達障害の『社会的受容性』への契機にしていきたいと考えています。僕は、これからも、まことさんに会いに行きます」とコメント。「シェル・コレクター」で主演を務めたリリー・フランキーは「幸福というものを求めて、前に前にと歩んできた僕らは、もしかしたらとっくにその場所を通り過ぎていたのかもしれない。この映画を観て、何故だがそう思った」と述べている。そのほか諏訪敦彦や森達也、詩人・谷川俊太郎らのコメントは下記に掲載した。

なお今作は、10月3日から韓国にて開催される第24回釜山国際映画祭ワイドアングル部門で、ワールドプレミアが行われることも決定している。

坪田義史 コメント

僕の親戚の叔父さん、まことさんと出会ってから約三年の月日があっという間に過ぎました。まことさんを被写体にしたい。その衝動にかられ、やたらとこだわりが強く偏った僕の視線は、まことさんのどこまでも純粋な感性に触れるとともに、フレームに収まりきらない、そのありのままの姿に惹かれ、まことさんの見つめる世界をもっと知りたくなりました。当時の僕は、鬱や不眠に悩み、眠剤と安定剤欲しさに精神科を受診したところ、注意欠如多動性障害との診断を受け、破れかぶれの状態でした。そんな危うい状況のもと、撮影に及ぶ僕を、広汎性発達障害を抱え障害年金を受給するまことさんは「義史さん」と呼び、穏やかな表情で、カメラを持つ自分を受け入れてくれました。毎度、取材を終えた別れ際の玄関先では、必ず「またね」と言って自ら手を差し出して握手をしてくれたまことさん。本作「だってしょうがないじゃない」は、被写体のまことさんの協力なしでは、成立しえなかった作品です。発達障害とは、生まれつきの脳機能の発達のアンバランスさによるもので、症状は人それぞれ違います。その性質の違いを発達の凸凹(でこぼこ)と表すことがあります。この凸凹の差が大きく日常生活に支障をきたしている状態であれば「障害」となり、ほかの能力でカバーできていれば「個性」として捉えることもできます。
発達障害を生き抜く為には、誰もが自分らしくいられる社会が必要です。本作「だってしょうがないじゃない」は、今後の上映活動を通して、見た目では分かりづらい発達障害の「社会的受容性」への契機にしていきたいと考えています。僕は、これからも、まことさんに会いに行きます。

リリー・フランキー コメント

幸福というものを求めて、前に前にと歩んできた僕らは、もしかしたらとっくにその場所を通り過ぎていたのかもしれない。この映画を観て、何故だかそう思った。

谷川俊太郎(詩人)コメント

見終わった瞬間、これからまことさんはどうするんだろう、どうなるんだろうと、他人事でなく心配になりました。映画のリアルと私自身の日々の現実がシンクロしたんです。

諏訪敦彦(映画監督)コメント

誰かを撮影したいと思い、カメラを向けることは、それがどんな相手であってもある種の愛の行為であると私は思う。その笑顔に魅せられて「彼の見る世界を知りたくなった」と人間味に満ちた友情の物語が紡がれてゆくが、ふと物語が消え、カメラが立ち尽くし、黙ってただ彼を見つめるしかない瞬間が何度も到来する。その時カメラが発見しているのは決して語ることのできない何かである。カメラは語るのではなく、ただすべてを肯定するのだ。そしてその何かが知らぬ間に成長し、ドキュメンタリーとかフィクションも関係なく、信じがたい純粋なイメージとなって立ち上がる瞬間が訪れる。まことさんはひとりである。そしてまことさんはひとりではない。そのことを私たちは知る。それは恐ろしくも美しい映画の結晶のような瞬間だった。

原美樹子(写真家)コメント

身の回りの事々を執り行うまことさんの一つ一つの所作の美しさ、確かさに、まことさん自身が在り、お母さんが在る。まことさんの存在は、かつてお母さんの日々のよすがでありつづけ、そして、今は、生きづらさを抱えた監督さんの創造のよすがとなる。世の中捨てたもんじゃないなと思う。まことさんと監督さんの「しあわせ」を、二人とともに、星に願う。

綾屋紗月(自閉スペクトラム症者・東京大学先端科学技術研究センター特任研究員・おとえもじて代表)コメント

慎重に繰り返される自己身体やモノとの微調整が「こだわりが強い」と呼ばれてしまうこと。その微調整の積み重ねがいっぱい詰まった、ささやかな生活習慣と環境から引きはがされる不安と痛み。それらは“自閉症”とされる人間に限った特徴ではなく、多かれ少なかれ誰しもが持つ感覚であることを、「まことさん」の日常を繊細に伝えるこの作品を通して、多くの“健常者”が気づかされることだろう。
※「おとえもじて」は発達障害者が運営・参加する当事者研究会

稲葉俊郎(東京大学医学部付属病院循環器内科助教)コメント

発達障害とされる人たちは、ゆっくりゆっくりと自分のペースで発達する人たちだ。慌ただしいスピード社会からはじき飛ばされて困っている。植物は引っ張っても伸びない。サンサンと照る太陽の光と、適量な水と、根を張る大地とが必要なだけだ。植物原理で生きる人たちも、光と水と土地を求めている。儀式のような日々の暮らしは、社会の歪みのバランスをとる神事のように見えた。わたしたちはその神事に参加できているだろうか。

森達也(映画監督・作家)コメント

この題材で映画として成立するのか。そう危ぶみながら観た。杞憂だった。目を離せない。でもラスト近く、撮る側の意図が透けて見え始めた。作品の危うさとエゴと被写体への加害性。同業者として正視はつらい。目をそむけたくなる。あなたにはそれも含めて観てほしい。

栗栖良依(SLOW LABELディレクター)コメント

観ているうちに、主人公のまことさんに対する尊敬の念が芽生えてくるとともに「障害って何だろう?」と改めて考えさせられる作品です。わたしたちは「常識」なんてつまらない概念を捨てるべきときに来ていると思うのです。作品の中で、まことさんと坪田監督が「幸せになりたい」と願う場面がありますが…「じゅうぶん、幸せそうですけど!?」って叫びたいです!

松浦祐也(俳優)コメント

どうしたんだよ坪田さん! もっと傲慢で吐き気するくらいの露悪的な映画にすりゃあいいじゃない! 「だってしょうがないじゃない」って何よ! 言い訳がましい事やらんでよ! 続編観たいよ坪田さん、、、。映画を観終わり消化できないモヤモヤした感情とやるせなさが噴出してから、ふと思う。坪田さんやまことさんと同じように宿題だらけの自分の家族のことや親族のこと、社会のこと。むむ、なんだか色んなことを考えさせられちまうナ。畜生! 坪田さんよ! これがあんたのやり方かよ! 畜生め! しょうがねぇからもう一度観る!

渡辺篤(現代美術家)コメント

発達障害を持つ“おじさん”を見つめ続ける監督の目は、ゆったりと優しい。ありのまま存在を肯定する眼差しだ。カメラは時として人の営みを搾取し傷ける。けれどもカメラは人に寄り添う事の出来る眼差しでもあると知らされる。おじさんに向けられた眼差しは、そこに監督自身を投影し、自らを知る探求にも進む。映像を見つめる私たちは、これまで他者にどんな眼差しを向けてきたのだろう。そしてどんな眼差しを求めてきたのだろう。

姫野桂(フリーライター)コメント

淡々とした一見「普通」の日常でも、全員が全員、見ている世界が同じなわけではない。広汎性発達障害のあるまことさんの、私には見えていない世界が、ほんの少し垣間見えた気がする。本作品ではまことさんが毎日入浴しなかったり、洗濯をしなかったりすることを監督が問いただす場面があるが、もしかするとそれは、我々が洗脳されているだけなのではないか、必用以上に「普通」にとらわれ過ぎているのではないかと考えさせられた。

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