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『ジョーカー』が際立った作品に仕上がった3つの理由 一見シンプルだが考えれば考えるほど複雑に

リアルサウンド

19/10/8(火) 10:00

 『ジョーカー』(2019年)は至ってシンプルな映画に見えて、考えれば考えるほど複雑になっていく。

参考:『ジョーカー』ホアキン・フェニックスに拍手喝采 過去最高の最狂ヴィランはどう生まれた?

 精神に問題を抱えている中年男性アーサー(ホアキン・フェニックス)は、要介護の母親との2人暮らし。カウンセリングを受けながら、ピエロの仕事でわずかな稼ぎを得て、いつの日かコメディアンとして成功する日を夢見ている。しかし、最悪にもほどがある不幸な偶然の連続によって、彼は稀代のヴィラン“ジョーカー”へと変わっていくのだった。

 あらすじだけを追えば、本作は1人の男が怪物的な狂人へ変わっていく物語だ。恐怖・不安・孤独は、人を狂わせる。負のスパイラルに陥ってしまった人間が、遂には取り返しのつかない凶行に走ってしまう。こうした物語は、過去にも様々な作品で語られてきた。極端な表現をすれば「手垢のついた」と付け加えてもいいだろう。しかし、本作は過去の映画の中でも間違いなく際立った作品に仕上がっている。なぜここまで仕上がった印象を受けるのか? 個人的に、3つ理由を上げたい。

 1つ目は、主演のホアキン・フェニックスの圧倒的な演技力だ。ジョーカーに欠かすことのできない「笑い」の演技はもちろん、監督の命令で骨と皮だけの肉体で魅せるダンスの数々、表情の1つ、一挙手一投足、すべてが不穏で禍々しい。彼が出てくるだけでスクリーンに緊張が走る。この映画はホアキンがいなければ成立しなかったと言ってもいいだろう。どこを切り取っても魅力的で、「あのホアキンが凄かった」話だけでも一晩は語れるだろう。ちなみに個人的なホアキンのベスト・モーメントは、あの「背中」のシーンだ。肉と骨で作られた“人間ではない何か”が動いているようで、子どもの頃に見ていたらトラウマになっていたかもしれない。男は背中で語るというが、あれほど説得力のある背中もないだろう。

 2つ目は、これが“ジョーカー”の映画であることだ。私がこの映画を見終わって最初に思ったのは、「よくこの企画が通ったな」という驚きだった。この映画にはスーパーヒーロー映画のスピンオフと聞いて、真っ先に連想する要素、ド派手なアクションもキャラクター同士のコミカルな掛け合いも存在しない。精神に問題を抱えた中年男性が次々と不幸に襲われ、苦しみ、嘆き、パンツ一丁で踊り狂う。これにポンっと金が出たという事実と、“ジョーカー”というキャラクターを使う許可が下りたのが凄い。ちなみに『映画秘宝 11月号』に掲載のトッド・フィリップス監督インタビューでも、このように語られている。

「彼らが権利を所有するキャラクターを使い、ここまで自由に作れるなんて、言い出しっぺの私がいちばん驚いているくらいだ。いちばん大胆なのはむしろワーナーとDCだよ(笑)」

 ごもっともである。ただ、スーパーヒーロー/アメコミ映画は、今やハリウッドのエンターテインメント映画の本道だ。稀代のお祭り映画『アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019年)を持って一区切りを迎えたMCU。そしてMCUに対するカウンター的なブラックコメディ『ザ・ボーイズ』(2019年)などがある中、まったく異なる切り口から自社のキャラクターを売る映画を作ろうとしたとき、こういった形の企画を動かすのは、むしろ商売的にも必然だったのかもしれない。ともかく、この映画が存在していること自体が奇跡のようだ。

 そして3つ目は、この映画の構造だ。本作は1人の狂人の姿を追った映画であり、同時に観客を混乱させる作品である。見終わったあとに他人とあらすじを語り合ったとき、おおむね一致しても、絶対に細かいズレが生じるはずだ。「あれってそういうシーンじゃないの?」「それってああいう意図じゃないの?」「本格的にジョーカーとして覚醒したのは、あのときからじゃないの?」「いや、そもそも……」などなど、解釈の違いが起きるだろうし、アーサーというキャラクターについて話し合ったときも、恐らく意見が割れるだろう。つまり観客は、同じ映画を観ていたはずなのに、他人と自分が違う物語を読み取っていたと気づかされるのだ。そして、それが「自分の感覚が世間一般とズレているかもしれない」という不安に至ったとき、本作の真の魅力が顔を出す。他人とのズレ、ひいては世間一般とのズレに対する不安は、そのまま劇中のアーサーの不安と、そのズレによって壊れていったアーサーの姿に結びつく。しかもアーサーは不安の先に悪のカリスマ“ジョーカー”になってしまうのだからタチが悪い。こうした不安には、ある種の成功があるかもしれないよ、と示しているのが非常に凶悪だ。

 本作は単純であり複雑だ。こういう話かと納得できたと思っても、少し考えるうちに「納得」を覆す小さな取っ掛かりに気づき、また考え込んでしまう。ホアキン・フェニックスの演技力、“ジョーカー”が既に確立している知名度とキャラクター性、シナリオ・演出面での技巧。本作は映画を構成する全ての要素を使って観客の感情を動かす、まさに感動映画と言えるだろう。ただし、感情が動いた先が良いか悪いかは、誰も保証してくれないが。(加藤よしき)

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