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千秋、YouTubeでの歌声披露にリアルタイム世代が歓喜 ポケットビスケッツの楽曲が今なお求められる理由

リアルサウンド

21/1/16(土) 10:00

 タレントの千秋が昨年末、『千秋、ポケビ「POWER」を20年ぶりにフルで歌ってみた』と題し、自身のYouTubeチャンネルでポケットビスケッツの同曲を歌唱。120万回再生を超えるほど、大きな反響をあつめている。

 ポケットビスケッツは、ウッチャンナンチャンの内村光良(TERU)、千秋(CHIAKI)、キャイ~ンのウド鈴木(UDO)の3人による音楽ユニット。1995年にテレビ番組『ウッチャンウリウリ!ナンチャンナリナリ!!』(日本テレビ系)で結成企画が持ち上がり、1996年4月スタート『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』(同局系)のなかで本格始動。前述の「POWER」ほか、「YELLOW YELLOW HAPPY」、「Red Angel」などヒット曲を連発し、2000年に惜しまれつつ活動休止した。

 リアルタイム世代を中心に親しまれているポケビの楽曲の数々。そこで今回は、同ユニットの魅力をさまざまな面から考察していく。

「歌いたい」という千秋を中心にユニットの本気度上昇

 千秋による「POWER」のセルフカバー動画のラストには、「今も歌うことが大好き。本当はまだ歌いたい」というメッセージが添えられていた。千秋の気持ちがふくらんで、この歌唱動画が撮影されたことを明かしている。

千秋、ポケビ「POWER」を20年ぶりにフルで歌ってみた

 ポケビの根幹をなしているのは、そんな千秋の「歌うことが好き」、「音楽が好き」という熱い想いだ。ポケビは当初、バラエティ番組発のユニットということもあり「どこまで本気でやれば良いか」と戸惑いがあったという。ただ、人気タレントを揃えていながら約4年半も活動し、ヒット曲を生み続けることができたのは、「歌いたい」と強く願う千秋を中心にチーム全体として本気度が高まったからだろう。

 千秋が歌手を志望して芸能界に入ったことはよく知られる話。学生時代から武道館でライブをすることを目標にしていた彼女。高校生のときプリンセス プリンセス、レベッカのコビーバンドを組んでいたほか、The ピーズ、LAUGHIN’ NOSEもレパートリーにあったほどのロック好きだ。

 千秋のオフィシャルブログ「苺同盟」でも、2007年10月30日の投稿では、The Clashのジョー・ストラマーについて「ワタシに見えない武器を持たせてくれた」、「十代のうちに刻んだPUNK精神はちょっとやそっとじゃ消えない」などと綴っている。

 ちなみにウド鈴木は、THE BLUE HEARTS好き。内村光良は、桑田佳祐のミュージックビデオに出演し、2010年『僕らの音楽』(フジテレビ系)では原由子の対談相手に指名されるほど、サザンオールスターズのファンとして知られている。

 音楽好きの3人が集結したポケットビスケッツは、プロデューサーのパッパラー河合との組み合わせによって、テレビ的なウケを狙ったものではなく、音楽として実に多彩で興味深い作品を発表していった。

プログレ、オリエンタルなどをモチーフにした挑戦的楽曲

 デビュー曲「Rapturous Blue」(1997年)は、日テレの番組プロデューサーである土屋敏男の「ダンス曲」という意向を受けて制作。アンジー・ゴールド「Eat You Up」(1985年)とその日本アレンジとなった荻野目洋子「ダンシング・ヒーロー」(1985年)っぽいイメージで幕をあけるものの、1990年代に世界を席巻したデジタルロックのテイストへと移り、中毒性を持たせて楽曲世界にどっぷりと浸らせた。

「Rapturous Blue」

 「Pink Princess」(1997年)は鋭いギターリフのあと、King Crimsonの「21世紀のスキッツォイド・マン」(1969年)を彷彿とさせるプログレッシブなサウンドへと展開。曲のアグレッシブさに驚いた記憶がある。「Red Angel」(1997年)はオリエンタルなムードが異色的なポップスだし、「GREEN MAN」(1997年)はウド鈴木が素をそのまま出した豪快な歌いっぷりと対比させるように、内村のロボット声によるコーラスが重なって楽曲におもしろい違和感を生んだ。

「Pink Princess」
「Red Angel」
「GREEN MAN」

 千秋の歌唱力にも注目があつまった。雑誌『ギター・マガジン』の2019年11月号で、千秋と対談したパッパラー河合は「ポケビが売れたのは、千秋の声と俺の曲の相性が完全に良かったから」と語っている。千秋も、レベッカのような声を張る曲が一番歌いやすく、パッパラー河合が作るポケビの曲は自分と相性が良かったと答えている。

 千秋が自分で歌詞を書いていたことも大きいだろう。雑誌『ギター・マガジン』のなかでパッパラー河合は、千秋の歌詞ノートのなかに「もしも生まれ変わるなら」という一文を発見。「これ、絶対にいい」と思って千秋に伝えたところ、彼女は「それは困る」と使用することに一度は難色を示したという。

 千秋曰く「これは(この言葉は)私のすべて。“もしも 生まれ変わっても また私に生まれたい”っていうのは、最後のカードだから」と伝えた。しかしパッパラー河合は、グループ存続の危機と常に背中合わせだったポケビの状況を照らし合わせて、その言葉を「YELLOW YELLOW HAPPY」に使ったという。

 千秋は、自作の歌詞だからこそ感情を込めてポケビの曲を歌い上げることができた。その気持ちが聴き手にもちゃんと伝わっていたのではないか。

「YELLOW YELLOW HAPPY」

視聴者も一緒に達成感が味わえる『ウリナリ』の番組構成

 1990年代、バラエティ番組発のユニット結成や楽曲リリースがブームになった流れも、ポケビのヒットの要因に挙げられるだろう。1995年、『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』(フジテレビ系)をきっかけにダウンタウンの浜田雅功が小室哲哉と組んだH Jungle with t。1996年、『進め!電波少年』(日本テレビ系)でのユーラシア大陸横断ヒッチハイクで人気者になった猿岩石。1998年、『とんねるずのみなさんのおかげでした』(日本テレビ系)の番組スタッフととんねるずで結成された野猿。お笑い芸人が一流ミュージシャンとコラボし、本格的な楽曲を大真面目に歌う姿は良い意味でギャップがあった。

 当時の音楽チャートは、TKファミリーの大ブレイク、モーニング娘。の誕生、MISIAや宇多田ヒカルらR&Bのテイストをまじえたミュージシャンの登場、Dragon AshなどヒップホップもまじえたミクスチャーバンドやHi-STANDARDやSNAIL RAMPらメロディックパンク勢の人気など、とにかくいろんなジャンルが混在していた。そういった状況に後押しされて、バラエティ番組発のユニットや楽曲も幅広く受け入れられていたのではないか。

 『ウリナリ』の番組の方向性もヒットに結びついた。ポケビはグループ存続を賭けて試練に何度も立ち向かった。もともとポケビは、後藤次利プロデュースのMcKeeの結成を受けて内村が提案し、同ユニットのオーディションに落選した千秋を引き入れてスタート。まずMcKeeと、デビュー曲のチャート対決が繰り広げられた。その後は、ライバルユニットのブラックビスケッツとバトル。ブラビとの対決に敗れて新曲「My Diamond」のリリースがかなわず、マスターテープを破壊することになったとき、千秋はカメラの存在を忘れたかのようにショックを隠しきれなかった。千秋は、各所のインタビューでも当時について「悔しかった」と振り返り、「My Diamond」に代わってリリースされたブラビの代表曲「Timing」を聴くのが嫌だったと話している(ちなみにその後、再び同曲のリリースを賭けた対決で勝利し、シングル『Days/My Diamond』としてリリースされた)。

「My Diamond」

 同番組は、ほかにも「ウリナリ芸能人社交ダンス部」、「ドーバー海峡横断部」などの人気企画があった。多忙な人気タレントが努力を重ねて実力を向上させ、レギュラーを目指し、誰かがピンチに陥ったら全員で励まし合って困難を乗り越える姿が視聴者の感情を揺さぶった。

 ドキュメンタリー的な内容で視聴者も応援しやすくなり、一緒にゴールに向かっていく感覚があった。出演者だけではなく、視聴者も達成感が味わえる番組構成がポケビのヒットの追い風になったのではないか。

 千秋の動画のコメントには、ポケビ復活を願う書き込みが多数あった。2018年には『24時間テレビ41 愛は地球を救う「人生を変えてくれた人」』(日本テレビ系)で一夜限りの復活を遂げたが、今後、熱望の声がさらに集まれば、新しい展開があるかもしれない。

■田辺ユウキ
大阪を拠点に、情報誌&サイト編集者を経て2010年にライターとして独立。映画・映像評論を中心にテレビ、アイドル、書籍、スポーツなど地上から地下まで広く考察。バンタン大阪校の映像論講師も担当。Twitter

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