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大ヒットは“妹の力”が支えている? 『鬼滅の刃』禰豆子から考える歴代興行収入ランキングの傾向

リアルサウンド

20/12/15(火) 8:00

『鬼滅の刃』から見る国内歴代興行収入上位作品

 10月の劇場公開から国内外のジャーナリズムや批評は、まさに『鬼滅の刃』一色である。

 ufotable制作による外崎春雄監督のアニメ映画『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』は、12月14日時点で興行収入約302億8930万円に達し、国内映画史上歴代1位の記録を保持する宮崎駿監督『千と千尋の神隠し』(2001年)を超えるのも時間の問題となってきた。この『鬼滅の刃』大ヒットの理由や背景については、すでにいたるところで膨大な記事が書かれているし、実際にぼく自身も、このリアルサウンド映画部で映画の公開直後に書いている(参照:映画『鬼滅の刃』大ヒットの“わからなさ”の理由を考察 21世紀のヒット条件は“フラットさ”にあり?)。

 そこでこの小さなコラムでは、映画『鬼滅の刃』を軸に、現在の国内の映画興行収入ランキング上位の作品をあらためて俯瞰したときに、その個々の作品世界やテーマを貫いていかなる「傾向」が見えてくるのかを考えてみたい。とはいえ、ここでいう共通の「傾向」というのは、マーケティング的な「ヒットの要因」というよりも(ぼく自身はそういった記事はいささか食傷気味だ)、もっと作品批評的な視点から読み取れる想像力のまとまりのことである。

 ひとまず最初に確認しておくと、日本の現在の歴代興行収入ランキングの上位は、以下の通りになっている。まず第1位は、さきほども触れたように、宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』で約308億円。第2位は、もちろん映画『鬼滅の刃』で約302億円。第3位は、ジェームズ・キャメロン監督の『タイタニック』(1997年)で約262億円。続く第4位はクリス・パックとジェニファー・リーの共同監督『アナと雪の女王』(2013年)の約255億円。そして第5位が、新海誠監督『君の名は。』(2016年)の約250億円、という順だ。上位5作品のうち、唯一の90年代(20世紀)作品である『タイタニック』を除くとすべてアニメーション映画であり、また、5作品中3作品が2010年代の映画であるなど、切り口によってこの並びからはさまざまな解釈を引き出すことができるはずだ。では、『鬼滅』を軸に見てみるとどうなるか。

竈門禰豆子に見る大正時代の「妹の力」

 さて、その点でぼくが注目してみたいのは、『鬼滅の刃』で物語展開の主要な役割を担っているキャラクター、「竈門禰豆子」の存在である。

 よく知られる通り、禰豆子は本作の主人公・竈門炭治郎の妹であり、物語の冒頭、彼が炭焼きを営む家を留守中に鬼の襲来を受けた家族のなかで、唯一生き残った肉親でもある。そして、傷口から鬼舞辻無惨の血が混入したことで鬼化してしまったが、わずかに元の人間としての意識や情愛も残しており、炭治郎に守られながら、ときに鬼との戦いで彼を救うこともある。

 ところで、さきほども触れた『鬼滅』ヒットについて論じた過去の拙稿のなかで、ぼくは、一種の「伝奇ロマン」ともカテゴライズできる本作が作中で明治から大正への改元に言及している事実に注目し、このジャンルの隆盛が1980年代(昭和から平成への改元)、そして現代(平成から令和への改元)と反復しながら確認できるという符合を短く指摘した。たとえば、こうした点からさらに敷衍してみると、『鬼滅』におけるこの兄妹、ひいては「鬼化=ノンヒューマン化した妹」というモティーフは、大正時代を舞台にしたこの作品の物語にとって、また別の側面からも興味深い意味を持っているといえる。というのも、ほかならぬこの大正時代に、この妹の持つ不可思議な力に注目した有名な文章が記されたからだ。

 それが、日本民俗学の始祖として有名な柳田國男が、奇しくもいまからほぼ100年前の1925年、つまり大正14年10月――ちなみに昭和への改元へもそれからわずか1年あまり――に『婦人公論』誌上で発表したごく短いエッセイ、「妹の力」である。

 この文章は、柳田が大正初期から長らく取り組んできた一連のシャーマニズム(巫術)研究、とりわけ「巫女考」(1913年〜1914年)に代表される巫女研究の系譜に連なるものだ。柳田が説明するところによれば、「祭祀祈禱の宗教上の行為は、もと肝要なる部分がことごとく婦人の管轄であった。巫はこの民族にあっては原則として女性であった」(「妹の力」、『妹の力』角川ソフィア文庫版、23頁)。そして、『古事記』や『万葉集』以来、「家」にあってときに母にも妻にも妾にも転化しうる存在としての「妹(いも)」こそ、霊
的な呪術を司る特権的な女性であるとされてきた。柳田はいう。「家々の祖先の霊、または住地と縁故の深い天然の諸精霊のごときは、かりにこれを避け退ける方法があっても無情にこれを駆逐するに忍びなかった。いわんや人と彼らとの間に立って、斡旋し通訳するの任務が、主として細心柔情にしてよく父兄を動かすに力ある婦人の手にあったのである」(同前、31-32頁)。

 さらに奇しくもこの「妹の力」で柳田は、「古風なる妹の力」の一例として、東北の富裕な旧家の発狂した6人兄妹の末の13歳の妹が、「向こうからくる旅人を、妹が鬼だというと、兄たちの目にもすぐに鬼に見えた」(26頁)という逸話を紹介している(ちなみに、禰豆子の年齢も12〜14歳という設定)。

鬼としての妹

 あるいは、書名通り、「鬼」をめぐる基本文献のひとつといってよいだろう歌人の馬場あき子による古典的名著『鬼の研究』(1971年)の冒頭でも、「鬼と女とは人に見えぬぞよき」という『堤中納言物語』の一節が引かれ、古来からの「般若」を含めた鬼と女性との親近性が強調される(蛇足ながら、この一節が登場する「虫めづる姫君」は、宮崎駿の『風の谷のナウシカ』<1984年>のモティーフのひとつとしても有名だ)。そして、この場合の女というのも、続けて馬場が『大和物語』のなかの平兼盛の歌「みちのくの安達が原の黒塚に鬼こもれりと聞くはまことか」に触れ、兼盛が鬼と喩えた源重之の妹たちに言及するように、やはり妹という存在なのだ。

 ともあれ以上のように、大正時代を舞台にして、鬼という超常的な存在(ノンヒューマン)と化した「妹の力」を物語の軸のひとつに立てた伝奇ロマンである『鬼滅の刃』は、まさにその大正時代の一角で古代信仰とも結びつけられながら注目されていた「妹の力」の議論と100年の隔たりを超えて図らずも共鳴していたということができる。

 しかも、このエッセイで柳田自身が示唆するように、彼の「妹の力」論が当時の婦人解放思想の台頭とも連動していたとするなら、これもまた、『鬼滅』ブームと同時期に一連の「#MeToo」ムーブメントが起こってきた昨今の風景とも重ね合わせられるだろう。もちろん、評論家の大塚英志が「妹の力」も参照しながら鋭く注意を促すように、当時の「妹」をめぐる言説が、「『妹』と人間のプリミティブなあり方を結びつける思考が、一見、言文一致体と言う『私』語りの言説を啓蒙される『妹』たちへの視線に一方的に含まれて」おり、「そのような思想の背景には『文明』『西欧』『近代』としての『男』との対比として『妹』が設定されていることを忘れてはならない。[…]これに習えば『兄』たちを支配する巫女としてのプリミティブな力を持つ『野蛮人』の女を『文明』『近代』の側にいる『兄』たちが『言文一致』体によって教化したのが『妹』だ、といえる」(『「妹」の運命――萌える近代文学者たち』思潮社、50頁)ことも、また確かではあるだろう。

歴代の大ヒット映画に宿る「妹の力」?

 何にせよ、『鬼滅の刃』には、民俗学的/シャーマニスティックな「妹の力」が思いの外深く関わっている。

 では、ここでひるがえってその劇場アニメ版がまさに歴代1位を獲得しようとしているこの国の映画興行収入ランキングを一瞥してみよう。――すると、不意に気づくのが、その少なからぬ数の上位作品が、まさにこの「妹の力」を重要な要素としていることなのだ。

 まず、もっともわかりやすい例は、なんといっても歴代5位・邦画3位の『君の名は。』だろう。本作でもまた、柳田が注目した「巫女」がヒロイン・宮水三葉の家に代々伝わる仕事として描かれている(しかも、三葉の実際の妹・四葉も巫女として登場する!)。そして、シャーマニズムにも通じるアニミズム信仰という要素は、ほかならぬ宮崎の『千と千尋』でも「八百万の神々」として描かれていた。「家々の祖先の霊、または住地と縁故の深い天然の諸精霊」と交流し、「いわんや人と彼らとの間に立って、斡旋し通訳するの任務」を負う点において、千=千尋もまた一種のシャーマン的な存在だといってよい。

 さらにいえば、宮崎の場合、国内興収歴代8位(約193億円)の『もののけ姫』(1997年)もこの図式にわりときれいに当てはまるだろう。そもそも本作の主人公であり、タタリ神の死の呪いを腕に刻まれたことで人間でありながら超常的な力を操ることができるようになるアシタカは、禰豆子を思わせる部分がある。そして、このアシタカには彼の暮らすエミシの村にいるカヤという娘が許嫁としているが、彼女はしきたりからアシタカのことを「兄様」と呼ぶ。また、この村にはヒイ様という老婆の巫女がおり、アシタカはこのヒイ様の命(占い)で西へと旅立つのだ。その意味で、じつは『もののけ姫』の物語のそこここにも『鬼滅』的な「妹=巫女の力」が充満しているといえる。

 これに加えて、こうした巫女的な超常能力を操る女性ヒロインと「妹の力」という要素で見ると、ハリウッド映画という点で厳密には文脈は違えど、まさにそれは『アナと雪の女王』のエルサとアナの姉妹にも共通しているのだ!

 『千と千尋』、『アナ雪』、『君の名は。』、『もののけ姫』……日本映画史に燦然と輝く大ヒット映画の数々には、じつは柳田が注目したシャーマン的な「妹の力」が密かに宿っているのではないか。これはいささか突飛な仮説ではあるが、しかしそれは確かにいかにも「日本的」な感性ではあると思う。『鬼滅』の禰豆子の存在は、そのことを浮かび上がらせているようにも思える。

■渡邉大輔
批評家・映画史研究者。1982年生まれ。現在、跡見学園女子大学文学部専任講師。映画史研究の傍ら、映画から純文学、本格ミステリ、情報社会論まで幅広く論じる。著作に『イメージの進行形』(人文書院、2012年)など。Twitter

■公開情報
『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』
全国公開中
声の出演:花江夏樹、鬼頭明里、下野紘、松岡禎丞、日野聡、平川大輔
原作:吾峠呼世晴(集英社『週刊少年ジャンプ』連載)
監督:外崎春雄
キャラクターデザイン・総作画監督:松島晃
脚本制作:ufotable
サブキャラクターデザイン:佐藤美幸、梶山庸子、菊池美花
プロップデザイン:小山将治
コンセプトアート:衛藤功二、矢中勝、樺澤侑里
撮影監督:寺尾優一
3D監督:西脇一樹
色彩設計:大前祐子
編集:神野学
音楽:梶浦由記、椎名豪
主題歌:LiSA「炎」(SACRA MUSIC)
アニメーション制作:ufotable
配給:東宝・アニプレックス
(c)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable
公式サイト:https://kimetsu.com

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