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『ハイパーハードボイルドグルメリポート』上出遼平が語る、テレビマンの矜持 「安易な物語に矮小化したくない」

リアルサウンド

20/6/28(日) 10:00

 海外の少年兵やマフィア、カルト教団などに接近し、その食生活に迫るというかつてない切り口で注目を集めたグルメ番組『ハイパーハードボイルドグルメリポート』(テレビ東京系)が、同番組のプロデューサーを務める上出遼平氏によって書籍化された。

参考:ヤバい場所に行き、同じ釜の飯を食うことの意味とは? 書籍版『ハイパーハードボイルドグルメリポート』が伝える、撮影の裏側

 本書では、番組で大きな反響を呼んだケニア最大のゴミ山で暮らす青年との出会いの背景で、どんな心の交流があったのかなどの裏話だけではなく、上出氏が街についての鋭い考察を述べたり、番組では快活に振舞っていたように見えた台湾のマフィアの態度について、マスコミが喜ぶような「マフィア」を演じていると感じたことなど、上出氏のテレビマンとしての姿勢や考え方も示されている。番組が描き出した光景はあくまでも一部であり、現実は多面的であることを改めて著したという意味でも、ノンフィクションとして一読の価値がある一冊と言えるだろう。

 同企画が生まれたきっかけや、番組を制作する上で大切にしていたこと、コロナ禍で改めて抱いた問題意識などを、上出氏本人に語ってもらった。(編集部)

■人を「疑う」ことの重要性

――上出さんは『ハイパーハードボイルドグルメリポート』を始めるときに、なぜ「食べる」ことを題材に選んだのでしょうか?

上出 理由は3つあります。1つは、僕が番組を作るとしたらシビアな問題を扱うことになるから、バラエティとして成立させるにはクイズやグルメといった方向性があると思ったこと。2つ目、グルメにしたのは、地球上すべての人間の数少ない共通点だから。それまでにもいろんなところに行って、「飯」って面白いしクリエイションがあるなと思っていたし、それを見せるだけで面白いしエンタメになると考えました。3つ目は、番組にしても書籍にしても「報道」にはしたくなかったんです。なぜかというと、「この国でこんなことがあって原因はこれです」という見せ方にするよりも、そこに住んでる人の声をちゃんと聞きたかったし、パーソナルなものをドキュメントにしたかったんです。今、良質のドキュメントは長期の密着をすることが重要と言われているのですが、それは金銭的にも人員的にも難しいし、取材対象にそれを求めるのも無理だろうと思いました。そうなったときにどうやって1日で本音を引き出せるかと思ったら、同じ釜の飯を食うことだと思いました。3つの理由がぴったり重なって、やりたいことを「飯」がやらせてくれるじゃないかと。

――確かに、そうやって同じ釜の飯を食ってるからこそ、人との距離感が縮まっていると思いました。でも、別のインタビューで上出さんは、前提として「疑う」ことが重要とも言われていて、すごく意外な感じがしたんです。

上出 基本的にあらゆることを信じやすい性質なんですが、この業界に入ったときに先輩に「人を信じるな」と叩き込まれたんです。それって、海外ロケがどうこうではなくて、安全に放送するために必要なことで、僕が会社に入ってから10年も経ってないですけど、そのころは今よりも過酷な現場で、みんな追い詰められていて、必要な素材がないのに「ある」って言ったりすることもあって。そういうときに、責任がある立場の人間は状況を正確に判断しないといけない。じゃないと放送事故になる可能性があるから。だから安全のために「疑う」ということがまず必要というのがあったんです。海外ロケはもっとシビアですけどね。

――命の危険にも繋がったりしますしね。そんな中で、正反対のことも存在してると思うんです。例えば上出さんは『ハイパーハードボイルドグルメリポート』のディレクターを選ぶときには、「優しい」ことが条件だとも言われていて。でも「疑う」ことと「優しい」ことってまったく繋がらないことでもないのかなって。

上出 難しいけど、必ずしも相反することでもないのかもしれないですね。僕が言っている「優しさ」というのは、自分の弱さとか無力さについて客観的に自覚しているということ。こういう業界にいると、どうしても居丈高になって取材対象者と歪な関係性になってしまう。そんなことになったら、この番組の出発点にも立てないから、それだけはやめてほしいということです。自分は万能でもないし、なにかを生み出す創造主でもないし、カメラを向けてる相手の物語を作り出す人間でもない。そして自分が日本のシステムの中に生かされていることも自覚して、その上で過酷な状況に生きている人とちゃんと向き合えば、その人をリスペクトせざるを得ないと思ったんです。それが番組の最低限の出発点です。そういう意味では自分の「弱さ」を知る「強さ」を持ってることが「優しさ」だと思っています。それでもなお疑わないといけないと思うんですけれどね。だって、何かを信じるほうが楽ですから。信じることって、甘えることや期待することとも繋がっているし。

――自分を過信しないことが上出さんの言う「優しさ」なんだと思うと、周囲に対しても、自分に対しても、同じように「疑う」ことをしてるんだなと思いました。

上出 そうですね。それはめちゃくちゃあると思います。疑う対象をひっくり返すと自分に向きますね。自分を疑うことから、自分の無力さや至らなさに行くから、「優しさ」の起点には「疑う」ということもあるかもしれないですね。

――昨今は「疑う」ことよりも、無条件に「信じる」ことの価値のほうが神聖視されすぎている気がします。

上出 人は楽な方に流れるということの典型かもしれません。疑うのって本当に疲れるし、脳みそのリソースを使っちゃうから、できれば疑わないようにはしたいですよね。人は疑う必要のない世界を一生懸命作ってきたはずなんですから。

――ここにきて一気に疑わないといけなくなってる気がします。

上出 日本が抱えてきた問題や、蓋をして見て見ぬふりをしてきた問題があぶり出されてきましたね。

■人はわかりやすい物語に流れる

――本書の冒頭のリベリア編で、リベリアの人たちが陰暴論を信じてしまって、西洋医学を信頼してくれなくなるという部分を読むと、コロナ禍での状況にもつながるなと思えてきて。世界中の問題を見てきた上出さんは、今の状況をどう見ていますか。

上出 難しいですね。リベリアはエボラ出血熱がまん延した土地で、陰暴論が根深く残っていることを目の当たりにしたんです。人間はわかりやすい物語にどうしても流れていってしまうんですよね。世界のあらゆる局面で、火種になっているのが「わかりやすい物語」じゃないかと思うんですけれど、西洋の陰謀であるとか、生物兵器だという物語があると人は飛びついてしまう。コロナに対する反応を見ても、そういうことが起こっているのかなと思います。

――実際にインドやインドネシアでも、医療従事者が襲われるという出来事がありました。しかも、この本を読んだら、そう考えてしまう背景も見えてしまうから、上から「それはいけないんだ」と押し付けるだけではどうにもならないとも思えてきて。

上出 まだ自分の中で整理できていないことなんですが、「わからない」という不安感がどれだけ人の判断を誤らせるかが大前提にあって、今のように世界中のどこにも正解といえる情報がない不安の中で、「強烈なシャブ」みたいなものが与えられると、ぶわっとそこに飛びついてしまうということはあるでしょうね。

――「わかりやすい物語」は「強烈なシャブ」のようなものでもあると。

上出 それと、日本は「わからない」への対応が未成熟だとも感じています。他の国では「わからない」ことに対して誠実というか、不明だという前提で事を進めようとしているけれど、日本には「わからない」ことが許されない空気感があって。でも、わからないなりの対応をすることが知性的なことなのに、それができないからその場しのぎで決めつけてはひっくり返し、決めつけてはひっくり返しが繰り返されて、不信感と不安感が募っているように思います。

――わからなくても答えを求められる空気は日常生活でも感じることがありますね。

上出 そうですよね。僕は、ハンセン病の話をよくしてるんですけど、病について知らないことで差別を生んでいて、世界中で同じようなことが起こっているんです。ハンセン病はすでに分析されていて、感染力や発症力の弱さもわかっていて、特効薬の開発も進んでいるのに、いまだに差別され続けている。それは社会構造やメディアの怠惰の結果でもあるとは思います。それに対して、コロナはまだあまりにも不明な部分が多いので、人々が混乱するのも理解できるのですが、やはり想像力が欠如していると感じることは多いです。地球全体が共同体であるという前提が失われてるということを改めて実感してしまいました。

――共同体というと、上出さんの本は、ケニアやロシアやリベリアで、それぞれの共同体がどうあったのかを記録したものでもあると感じました。ケニアでは、ジョセフという青年が出てきて、孤軍奮闘しているようにも見えましたが、ケニアの共同体に関してはどう思われましたか?

上出 ケニアのゴミ山でも、共同体は存在していました。常に切迫していて、明日生きるために助け合わざるを得ない状況がありますから、そのための構造はあるはずです。ジョセフは家族と離れて一人っきりな状況ではありましたけれど、友人はいましたからね。それでいうと、リベリアの少年兵の共同体もパワフルでした。内戦で殺し合いをしていた人たちが、共に生きようとしているんですから。あの中で誰かが飢えて死んでしまうことはあまりないでしょう。

――興味深かったのは、そういう各国の共同体の中にはリーダーがいて、そういう人と話をつけておけば、絶対に危険な目にはあわないということ。それを見て「強いリーダー」を今の日本に求めるのは怖いし違うと思いますけれど、共同体の中にそういうリーダーがいることは必然なんだなとも思えて。

上出 そういう共同体でリーダーが選ばれる過程と、日本でリーダーが選ばれる過程が違いますからね。僕が見てきたのは、属している人たちが自ら選んだコミュニティだし、そのリーダーは明らかにタフな人であるという明確な選ばれ方をしていました。もちろん、謀反が起こることもありますし、信用できない人が長くリーダーで居続けることはないでしょう。内戦もリーダーに対しての不信から起こるわけですし。

■やっていることは編集でしかない

――先ほどの「わかりやすい物語」について、もう少し聞かせてください。上出さん自身は、「物語」や「フィクション」を自分で作ることに対してはどう思われるのでしょうか。

上出 物語を作ることは、世界を新たに作るくらい刺激的なことだと思うので、すごく憧れます。ただ、先述したように「物語」は悪い方向にも利用されるものだからこそ、ものすごくスリリングで難しいことだなと思っていて。物語は、今の生きている社会をつぶさに見て、そのからくりを一回、咀嚼してからようやく作れるものだと思っているので、60歳とか70歳になってからかもしれません。僕が今やってること自体は、完全な編集作業だと思っています。世の中にあったことを撮ってきて、切って貼って並び替えて見せているだけなので、クリエイターとして紹介されると、こそばゆい感じもします。僕というフィルターを通した編集、現実の見せ方でしかないと思っていて、特別クリエイティブなことをしているとは思いません。しかし、クリエイトしていないという態度だからこそ、『ハイパーハードボイルドグルメリポート』という番組も本も作れたのだと思います。僕の解釈で捻じ曲げることもしないし、わからないことはわからないままにして置いておきたいという態度も、この本の裏テーマとなっています。「安易な物語に矮小化するのはやめませんか?」というメッセージが、『ハイパーハードボイルドグルメリポート』には入ってるんです。

――台湾のマフィアのところに行ったときもだし、ロシアのカルトと呼ばれている人たちの集落に行ったときもそうですが、向こうの見せたい「物語」を見せられて、落とし込まれそうになったとき、上出さんはかなり抵抗しているようにも見えました。

上出 僕自身も「物語」にしそうになることはあるんですよ。もう10年近くやっているとクセで、これはこういう起承転結の物語だなと思うときがある。でも、「いや、これはそんな簡単な話じゃないはずだ」と疑うようにしています。ケニアのときは顕著で、ストリートで多種多様な薬物を取り込みながらも生きている男と、ゴミ山で貧しい生活をしている青年と、そういう相反する男の物語とすることもできましたが、そこに留まらないんだということは意識していましたし、本の随所にも書いています。

――やっぱり番組を観ても本を読んでも、ケニアのジョセフのことが印象に残るんですよ。一日であんなに濃密な関係性になっても、彼を直接助けられるわけではない。その理由はなんとなくは自分でも理解できるんですが、それって何なんだろうなと。

上出 それも、僕がやってることが編集でしかないことに起因しているかもしれない。助けたいと思うことは自然なんだけど、「助けられる」と思うことは驕りです。僕たちは神様でもなんでもなくて、ただちょっとだけ裕福な国から来た異邦人なんですよね。「助けられる」と思うのなら、経済的な優劣において高いところにいるということに対して驕っているんだと思います。一人の人生を背負える覚悟もないですし。実は、よく「ジョセフを日本に連れてきたいので連絡先を教えてください」というようなメッセージがTwitterなどで来ることもあって。でも、それってジョセフにちゃんと聞かないといけないことだし、もしそんなことがあったら、死ぬまで責任を持たなければいけないことなんですよね。日本に来てからも、彼が差別される可能性などがあるかもしれないし。

――制度の問題とかもありますよね。

上出 そういうことを考えるときに思い出す衝撃的な出来事が、6年くらい前にありました。日本にケニアのストリートの子供を支援している施設があるんですね。日本の女性がやっていて、その方は人生を賭けてやっていてすごいし、僕も親しくしています。ある時、ケニアのボランティアの学生が日本に二週間くらいやってきて、いろいろ講演会なんかを回ったりしてケニアに帰っていったんですけど、その後、結論から言うと、彼は死んでしまったんですよ。ケニアに戻ってから、その施設の金庫からお金が無くなり、彼が盗んだということが判明して。彼女はそれについては何も言わずにいたんですけど、その後、彼は街中でも盗みを働いて捕まってしまい、公開リンチで亡くなってしまったんです。真面目な青年だったのに、たった二週間、日本に来ただけで様子が変わってしまうということを目の当たりにしたそうです。おそらく彼は日本に来て、圧倒的な格差を体感して絶望し、モラルを取り去ってしまったんじゃないかと。人を助けるのは、そう簡単なことではないんですよね。

――そんなことがあったんですね。『ハイパーハードボイルドグルメリポート』の本を読んでみて、書くことを本業にしている人間からすると、上出さんの体験と文章の「凄み」に焦るんじゃないかと思ってしまいました。

上出 めちゃめちゃうれしいですね。テレビマンが仕事の後に残った体力で書いた本だとは思われたくなかったし、書いているときは本業そっちのけだったんです(笑)。そもそも、番組の劣化版だったら書きたくないし、下手の横好きで書いたものにお金を払ってもらうのは不誠実だと思っていました。書店にある紀行本と肩を並べられるものにならないなら、やめたほうがいいと思って、そのくらいの覚悟で書いたつもりではあるんです。最近、親指の爪が無くなるくらいエゴサをしてるんです。そこで、よく「文才が凄い」と言ってもらうこともあって、それはうれしいんですけど、本業作家には使わない褒め言葉じゃないですか。例えば、村上春樹に「文章がうまい」とは言わないわけで(笑)。いつかそう言われないくらいの力は身に付けたいです。(西森路代)

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