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川上未映子、柳美里、村田紗耶香、松田青子……世界で評価される日本人作家、その理由は?

リアルサウンド

20/12/22(火) 10:00

 米国TIME紙が選ぶ2020年の必読書100冊に、日本で出版された4作品が選出された。川上未映子さんの『夏物語』。柳美里さんの『JR上野駅公園口』。村田紗耶香さんの『地球星人』。そして松田青子さんの『おばちゃんたちのいるところ Where The Wild Ladies Are』。

 なぜこの4冊だったのだろう? と考えたときに、思い浮かんだのは昨年刊行された2冊の小説だ。

 1冊は、フランスの映画監督レティシア・コロンバニが書いた小説『三つ編み』。インド、イタリア、カナダというまるで文化のちがう三か国を舞台に、それぞれ異なる苦しみを抱えた女性たちの人生を描きだしている。関わることなどないはずだった三人が、ラストの思いがけない交錯によって救われていく姿が人々の心をうち、フランス国内では100万部を突破。日本をふくめ32か国での翻訳出版が決まった作品だ。

 もう1冊は『なにかが首のまわりに』(チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ)。ナイジェリア出身の著者が、内戦中の母国や移民先のアメリカを舞台に、それぞれの苦境や葛藤を描きだした短編集だ。

 どちらも読んで感じたことは、これは自分たちと無関係の物語ではない、ということ。言葉や文化はもちろん、国の状況もちがう。けれど社会を形成して生きる以上、抑圧や格差、男女間の不平等など、発生する問題は多かれ少なかれ似通ってくる。そのはざまで苦悩する人々の感情に、違いはない。だからおそらく、「人」と「社会」を真正面から見つめてその揺らぎを描きだした小説は、どんな言語でかかれようとも、読む人の心をうつのだろう。

 今年、日本から翻訳された小説のなかで、とくにきわだって真摯に、高い文学性をもって書かれていたのが、この4冊だった。そういうことではないだろうか。

 『夏物語』は、人を愛することはできても、性行為をすることができない38歳の夏子を主人公に、AID(非配偶者間人工授精)の是非を通じて「子を産むこと」の倫理に切り込んでいく。

 夏子の「なんだかよくわからないけど、痛切に自分の子どもに“会いたい”」という想いに共感する女性は、おそらく日本国内に限らず、少なくないだろう。同時に、小説家である夏子の仕事相手である仙川涼子のように「子供なんて産み育ててご苦労なこと」「結果的にはもたなくてよかった」と仕事に邁進する女性にも、そして彼女の「AIDで子を産むなんてありえない。経済的にも十分じゃないくせに」という批判にも同じくらい共感する女性はいるはずだ。

 子を産み育てることはすばらしいことだとされる一方で、社会的な枠組みにおさまった範囲で成すことが基本的には望まれている。想いの通い合ったパートナーと、愛をもって子をもうけ、できれば苦労させないだけの経済的な余裕をはかる。それは確かに、理想だろう。だが、夏子の「パートナーをもたず、性行為もできない自分は、子をほしいと願ってはいけないのか」という問いに、真正面から答えられる人がどれだけいるだろう? 「だってそういうものでしょう!」と感情的になることなく、ちゃんと、真正面から、問いを受け止められる人が。

 本作で、それができたのは善百合子だけだったように思う。AIDによって生を受けた当事者で、そのせいで育ての(戸籍上の)父から性的虐待を受けて育った女性だ。彼女は、なぜ人が生まれてくることは素晴らしいと信じられるのか、と逆に問う。人が人を産むというのは、とりかえしのつかないスタートラインに立たせる一方的で暴力的な行為なのに、と。

 そんな彼女の主張もまた、「そういうものだから」と社会に否定され続けている。「そういうものって、どういうもの?」という百合子の疑念は、私たちがあたりまえに信じているものの根幹を揺さぶるのだ。もっともらしく社会が規定しているものたちは、本当のところどういう意味をもっているのか? その規定からあぶれてしまう人たちは、いったいどのように生きていけばよいのか?

 その問いに、国境などないのだろう、と思う。だが日本の小説がとくに強い切実性をもったのは、今の日本が価値観の変容という過渡期にあるからだろう。

 『地球星人』で問われるのは、子を産み育てることの社会的意義、押しつけられる社会的な性の役割、それに通ずる性的な搾取。主人公は女性だが、同様にその枠組みに適合できない、男性の姿とともに描きだす。『JR上野駅公園口』は、天皇・皇后が訪れるのに先立ち上野で行われた「山狩り」によって、住む場所を追われたひとりのホームレスの物語。

 誰もが当たり前に信じてきた「こういうものだ」という正義や常識を、問い直す時期に日本はきている。選出された作家たちがみな女性なのはおそらく、社会的な裏方に立つことを強いられてきたぶん、機会の不均等や性的被害にさらされることが多いことも影響しているだろうが、だからといって作中でも、そしてもちろん現実社会でも、当事者となりうるのは女性だけではない。『おばちゃんたちのいるところ』に〈これまでどれだけたくさんの女たちが、ある才能をないことにされてきたんだろう。これまでにどれだけの男たちが、ない才能をあることにされてきたんだろう。〉という文章があるが、勝手にゲタを履かされる男性も抑圧されてきたであろうし、『JR上野駅公園口』のホームレスは家族を養うため出稼ぎに上京してきた男。すべての人間を当事者として、社会の揺らぎを描いている作品だから、これらは国境と性別を超えて読者の心を打ったのではないだろうか。

 なお『おばちゃんたちのいるところ』は切実さの高い3冊に比べ、読み心地が軽妙で笑わされる場面も多い。

 というのも、収録されている17編はすべて歌舞伎や落語、民話をもとにした「おばけ話」だからだ。怨念や嫉妬の力強さを見こまれ雇われた幽霊たちが、追い詰められた人間のもと、ときにひっそり、ときに堂々とあらわれ、手助けをする。その姿からは、社会の枠組みから自由になりさえすれば、こんなにも軽やかに自分の道を邁進できるのか、と感じられるし、こんなふうにひらりと境界を飛び越え、手をとりあって生きていきたいものだ、と思う(幽霊は死んでいるけれど)。

 そして何より、物語の定型や常識を次々とひっくりかえしていくその展開が、ただただおもしろい。元ネタを知っていればなおさら「えっ、この話がこんなふうになるの⁉」と驚くはずだ(どうせなら海外の方々にも、元ネタをセットで知っていただきたい)。

 しかしそれは他の3冊も同じで、さんざん分析めいたことを書いてはみたが、日本の小説が4冊も選出された理由は、単純に“おもしろい”は言葉も文化も超えるからに他ならない、ということにしておきたいのが本音である。

■立花もも
1984年、愛知県生まれ。ライター。ダ・ヴィンチ編集部勤務を経て、フリーランスに。文芸・エンタメを中心に執筆。橘もも名義で小説執筆も行い、現在「リアルサウンドブック」にて『婚活迷子、お助けします。』連載中。

■書籍情報
『おばちゃんたちのいるところ Where The Wild Ladies Are』
著者:松田青子
発売中
価格:本体640円(税別)
出版社:中央公論新社
公式サイト:http://www.chuko.co.jp/bunko/2019/08/206769.html

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