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『少女邂逅』は“瞬間”の尊さを教えてくれる 忘れがたい光景として胸に焼きつく“煌めき”

リアルサウンド

18/7/10(火) 10:00

 「少女」とは、何を指してそう呼ぶのだろう。『少女邂逅』という、どこかいかめしく、神聖さすら感じさせるこの映画のタイトルを前にして改めてそんなことを考えてみる。「少女」とは、普通18歳前後までの女性のことを指す。この映画の登場人物たちは高校3年生の女性たち。つまり、まもなく「少女」であることを終えようとしている者たちだ。

 “映画×音楽”をコンセプトとした「MOOSIC LAB」の企画の一編として製作された本作は、23歳の新鋭監督・枝優花と、ミュージシャン・水本夏絵のコラボレーションによって、少女たちの限られた時間の尊い煌めきを、1本の映画(=永遠の中)に閉じこめた。

参考:商業映画が太刀打ちできない作品も 「MOOSIC LAB」と「PFFアワード」に見る、日本映画の多様性

 本作には“蚕”という重要なモチーフが登場する。一般的にイモムシと呼ばれる幼虫からサナギになり、生み出した繭が人間のために利用されるか、成虫である蛾に“変身”し、ごく短い寿命をまっとうするしかない、あのカイコだ。“カイコ”と“カイコウ”、単純に音の響きが似た言葉遊びかと思いきや、そうではない。“邂逅”、つまり思いがけない出会いとは、その良し悪しは別として“変身”の契機となり得る。邂逅という言葉もまた、蚕という言葉と同じように変身という意味を含んでいるのだ。

 そんな契機を得ることになる小原ミユリ(保紫萌香)は、クラスメイト3人(土山茜、斎木ひかる、里内伽奈)からいじめを受けている。タイトルから一方的に想像していた神聖さや、少女の園といったユートピアはそこにはなく、寒々しい色合いの画面には、まるで“映画×音楽”の企画にアンチの旗でも掲げたように、彼女の陰湿な日常が、まったく“ムージック”していない鈍いリズムで映し出されていく。

 ミユリは言葉をうまく話せず、授業中に教師に指名されても返事すらうまくできない。この教師いわく、思春期である“少女”たちは心の病を抱えがちで、その多くは変身願望を持ち、それがピアスやタトゥー、あるいはリストカットといったものに反映されるのだという。ミユリは例に漏れず、リストカットをたびたび試みながらも、うまくできないでいる。あるとき、彼女が手首にカッターナイフの刃をあてようとすると、そこには1匹のイモムシが這っている。彼女はそれに“ツムギ”と名付け、大切にひそかに飼っていた。ところが、ツムギはいじめっ子グループに見つかり、森の中で捨てられてしまう。

 自信がなく、学校にも家庭にも居場所のない彼女の、“私ではない何かになりたい”、“ここではない何処かに行きたい”といった想いが、リストカットを試みることに現れていたのだろうか。その彼女のささやかな変身願望を満たしてくれるのが、転校生の富田紬(モトーラ世理奈)である。あか抜けた存在である彼女は、たちまちクラスの人気者となり、ミユリは憧憬の念をつのらせていく。そんなミユリに「私が君の価値を見つける」のだと紬はつぶやく。ものの価値とは、それそのものにあるのではなく、それに触れた者だけが決められるものだろう。映画や音楽の価値が、観客によってそれぞれ違うのと同じである。他者の存在、その出会いによって、初めて自分の価値というものを認めることができる。

 こうして“少女”が“邂逅”したことで、映画も少しずつ趣を変えていく。少女2人の楽しいひと時は、2つの画面に分割して映し出される。私たちが見つめるスクリーンの左半分は、ここまで観てきたこの映画の画面そのままで、右半分は彼女たちの手にするスマートフォンによる、互いを捉えた映像となっている。左の画面が相変わらず寒々しいものであるのに対し、右の画面は明るく躍動的だ。いまや誰もが持つ機動性のあるスマホらしく、自由自在に少女たちのあらゆる瞬間を収めていく。“彼女たち自身が構える”このスマホ越しの画面の明るさと躍動感とは、彼女たちにとっての、いまこの瞬間の世界の見え方だろう。つまり、いま目に映る、ただひとりの“君だけがいる”世界である。ここに「きみにまほうをかけました」を歌う水本の切ない声がリフレインし、ようやく“ムージック”する瞬間が訪れる。

 たしかに紬は、ちょっとばかりミユリを変身させ、ちょっとばかり日常を変えてくれる存在だ。紬の手によって少しだけ髪型を変えられ、印象が変わったミユリの周りには陽気なクラスメイト3人(近藤笑菜、根矢涼香、秋葉美希)が集まり、いまこの瞬間を楽しもうという彼女たちの明るい声が、ミユリの日常を、そしてこの映画を活気づけていく。しかし変化とはいえ、それはほんの少し髪型が変わっただけのことである。重要なのは、髪型の少しの変化で「可愛いは作れる」ということだけでなく、髪型の変化ひとつでも世界は一変することがあるということだ。

 そんな紬は、やたらとミユリを急かしがちである。ミユリに何かを求めるとき、たびたび彼女は「3…2…1」とカウントダウンしては急かすのだ。このときに、ふとオープニングシーンを思い出す。高速で流れていく車窓からの風景に、時計の秒針、そして「人が一生のうちに親友と出会う確率は24億分の1らしい」というミユリの声が重ねられたものだ。時間はあっという間に過ぎていく。少女たちは周囲の風景を置き去りにして時を刻み、やがて“少女”の期間を終えることになるだろう。ひとつひとつの彼女たちの姿が胸に迫るのは、あらかじめ終わりが明確に設定されているからこそである。“少女”、“蚕”、“邂逅”といったモチーフを巧みに織り交ぜて、大切な人との出会いで世界が変わることや、いまこの瞬間がいかに尊いかということを教えてくれる『少女邂逅』の煌めきは、永遠に忘れがたい光景として私たちの胸に焼きつく。

(折田侑駿)

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