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チャドウィック・ボーズマン遺作 『マ・レイニーのブラックボトム』が痛烈に描く社会問題

リアルサウンド

21/1/30(土) 10:00

 2020年8月、病によって43歳の若さでこの世を去った俳優チャドウィック・ボーズマン。アフリカ系初のメジャーリーガーだったジャッキー・ロビンソンや、ファンクの帝王ジェームス・ブラウンなど、歴史に残る著名な人物を映画で演じ、アフリカ系キャストが主要な役柄を占める映画として最大のヒット作となったヒーロー作品『ブラックパンサー』(2018年)で大ブレイクを果たしたことで、自身も伝説的な存在となった。『マ・レイニーのブラックボトム』は、そんな彼の遺作となった映画だ。

 人格者のイメージをまとっていたボーズマンだが、本作の役柄は、才能はあるが喧嘩っ早く思慮の足りないミュージシャンだ。にもかかわらず、本作はボーズマンの俳優としての功績や、彼の人間性を感じられる、代表作と言ってもいい映画となっている。ここでは、本作『マ・レイニーのブラックボトム』の内容を追いながら、その理由を解説していきたい。

 本作のタイトルともなっているマ・レイニーとは実在の人物で、音楽を録音できるようになった時代に活躍した、初期のブルース・シンガーだ。彼女のトレードマークは、キラキラした衣装と金歯。「ブルースの母(マザー・オブ・ザ・ブルース)」と呼ばれ親しまれた彼女の歌は、当時の録音された音源によって、いまも気軽に聴くことができる。本作は、まさにその録音の現場が舞台となっている。

 彼女をもともと物語の題材にしたのは、劇作家のオーガスト・ウィルソンである。彼は自身がアフリカ系アメリカ人として生きた経験から、アフリカ系の人々を生き生きと表現し、アメリカの社会的な問題を描き出す数々の舞台作品を書いた。本作の『マ・レイニーのブラックボトム』は、そんな彼の同名舞台が原作となっているのだ。本作のプロデュースを務めているデンゼル・ワシントンは、ウィルソンの戯曲『フェンス』(2016年)を、自身が監督、主演で映画化している。

 映し出されるのは、1927年真夏のシカゴのレコーディングスタジオだ。そこでは、マ・レイニーお抱えのバックバンドが、レコーディングを控える彼女の到着を待ちながらリハーサルを行っていた。チャドウィック・ボーズマン演じる新進のトランペット奏者レヴィーは、そのバンドに新しく参加したものの、自分の才能を認めさせようと躍起になり、ベテランの奏者たちのひんしゅくを買ってしまう。そこで交わされる議論や、ついに現れレコーディングを行うマ・レイニーが、白人のスタジオのオーナーたちと交渉する場面などによって本作は構成されている。そして、物語は意外な展開へと転がっていく……。

 この物語からあぶり出されてくるのは、音楽業界における人種差別と搾取の構造だ。マ・レイニーもレヴィーもバックバンドのミュージシャンたちも、それぞれの立場や違った意見を持っているが、白人たちに搾取されているという点では、全く同じなのだ。黒人の曲やパフォーマンスがビジネスになることに気づいた白人たちが、人種差別による黒人の立場の弱さを利用し、安い賃金で曲を作らせたり演奏させたりして不当に利益を得ていたというのは、歴史的事実である。Amazonプライム・ビデオで配信されている『あの夜、マイアミで』(2020年)では、後年のソウルシンガー、サム・クックが、そのような搾取構造を打破して正当な利益を得ようと活動をしていたことが示される。

 また、この搾取構造の仕組みは、Netflixの音楽史ドキュメンタリー・シリーズの一作『リマスター:ソロモン・リンダ』を観ると、より詳しく理解できる。このドキュメンタリーでは南アフリカでの出来事を追っているように、このような差別的な構図はアメリカだけで行われてきたわけではないし、音楽業界に限ったことでもない。アフリカ諸国がヨーロッパ各国の植民地であったことも、アメリカ南部の綿花畑で黒人奴隷が家畜のように扱われて働かされていたことも、全ては地続きなのだ。

 本作に登場する人物たちは、そんな理不尽な立場に対してアフリカ系の人々がどう対処してきたかを物語るための象徴となっている。バンドマンたちは、あくまで白人の要望に従うことで自分たちの食い扶持を稼ごうとする。レヴィーはニコニコして従うふりをしながら、自分の要求を通そうとし、マ・レイニーは、物怖じせずに自分の人気を最大限に利用しながら、ギャラを少しでも多く得ることに腐心する。もちろん、それぞれに立場の違いがあり、どれが「完璧な正解」とは言えないものの、本作のドラマでは、白人に対する怒りや不信感を隠さずに正面から本来の権利を要求するマ・レイニーの態度に、未来の希望を託しているように思える。そして、マ・レイニーの性的指向についても触れられていることで、本作はさらに現代的な要素を獲得しているのだ。

 本作のラストとなる白人たちによる演奏シーンは、あらゆる映画のなかで、おそらく最も悲劇的で“心躍らない”ものとなっている。それは、黒人文化の簒奪そのものを象徴する場面であるからだ。現在、われわれが聴いている音楽の多くは、様々な人種によって形成されてきたものである。そのなかでも、とりわけアフリカ系ミュージシャンの功績は大きい。だが、レヴィーやバンドマンたちのように音楽史に大きく名を刻めなかった者たちはもちろん、マ・レイニーのような著名なミュージシャンでさえも不当な扱いを受け、理不尽と闘うことを余儀なくされてきたのだ。その功績と犠牲の上に現在の音楽ビジネスが成り立っているということを忘れてはならない。本作の皮肉なラストシーンは、そんなメッセージをうったえかけている。

 チャドウィック・ボーズマンが主演を務めた『ブラックパンサー』でも、文化の簒奪は大きなテーマとなっていた。もし白人が黒人に対して人権を蹂躙するような歴史的な犯罪を行なっていなければ、ブラックパンサーが治める王国のように、アフリカ諸国はより豊かで、より文化が発展する場所になっていたことだろう。

 ボーズマンは生前、アメリカのメディアにおいて、「心が惹かれる作品にしか出演しない」と語っていた。重い病と闘いながら、彼は自分が出演する意義のある作品を選んでいたのだと思われる。不幸中の幸いは、近年のハリウッドは大きな変化を見せ、人種問題を題材にした作品や、アフリカ系やアジア系など白人以外の監督やスタッフが主導する作品を多く送り出し始めたことだ。

 そして本作はまさにそのような映画となっている。原作のオーガスト・ウィルソン、製作のデンゼル・ワシントン、ブロードウェイでキャリアを積んだジョージ・C・ウルフ監督、本作の演奏曲をアレンジしたジャズの名奏者ブランフォード・マルサリスら、多くのアフリカ系の才能ある人々によって本作は世に送り出されている。さらに、本作で誰よりも頼もしい姿を見せたマ・レイニーを演じたヴィオラ・デイヴィスもまた、『ヘルプ 〜心がつなぐストーリー〜』(2011年)や『フェンス』など、アフリカ系アメリカ人の直面する問題を描く作品に出演してきた俳優である。このような人々の尽力によって、本作は社会問題を痛烈に描いた一作であるとともに、ボーズマンの最後の出演作品としても、深い内容と志を感じるものに仕上がったといえるのだ。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

■配信情報
『マ・レイニーのブラックボトム』
Netflixにて独占配信中
監督:ジョージ・C・ウルフ
脚本:ルーベン・サンチャゴ=ハドソン
出演:ヴィオラ・デイヴィス、チャドウィック・ボーズマン

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