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藤井風、特異な言語感覚によって引き出される豊かなストーリー “言葉のグルーヴ”と“演出の妙”を解説

リアルサウンド

20/12/6(日) 12:00

 2019年秋、シングル『何なんw』でデビューを飾って以来、大きな注目を集めている藤井風。R&B的な洒脱さと昭和歌謡を思わせるシンプルな骨太さをあわせもつメロディラインや和声感覚、そしてたしかな歌唱力を持つシンガーソングライターとして、その楽曲やパフォーマンスは新人とは思えない貫禄を持つ。Yaffle(Tokyo Recordings)をプロデュースに迎えた1stアルバム『HELP EVER HURT NEVER』は、オーセンティックさをにじませるソングライティングにコンテンポラリーな響きが加わった一枚に仕上がっている。2020年の日本のポップミュージックを代表しうる作品だ。

 先述したシングルのタイトル「何なんw」から伺えるように、藤井の言語感覚はかなり特異だ。ふざけたようなネットスラング(「w」の用法)を折り込みつつ、しかし歌詞のなかにそのフレーズを置くと、途端に藤井ならではの世界の不可欠なパーツとして存在感を放ちだす。それは言葉としての意味に限らない。たとえば、「何なんw」という一言のなかで繰り返される「ん」の撥音がつくりだす表拍を強調したグルーヴは、ややスローにハネる楽曲のリズムを心地よく強調する。さらに、〈何で何も聞いてくれんかったん〉というように、郷里の言葉である岡山弁を活かして「ん」を畳み掛けることで、アタックを強調するのではなく、むしろ音と音のあいだに弾力をもたせて独特の力強いリズムを生み出しているのがおもしろい。

藤井風(Fujii Kaze) – “何なんw”(Nan-Nan) Official Video

 「何なんw」に次ぐシングル曲「もうええわ」では、同じフレーズが発音やメロディ、コードの違いによってさまざまなニュアンスを生んで楽曲に複雑な陰影を与えている。16ビートを基調とする譜割りのなかでぽっかりとあらわれる8分音符の〈もうええわ〉が、輪郭を少しずつ変えながら繰り返され、ひとつの言葉に多様な感情が注ぎ込まれていく。そうした〈もうええわ〉のそれ自体豊かなトーンに、語りのようにリズミカルで、しかし抑制された〈言われる前に先に言わして〉といった節回しの部分が背景を肉付けし、ストーリーへの想像をかきたてる。

藤井 風(Fujii Kaze) – “もうええわ”(Mo-Eh-Wa) Official Video

 以上のように、作詞の面から藤井風の楽曲を聴いていくと、耳をひく印象的な言葉選びに輪をかけて、歌として口に出したときの響きやリズム感が持つ力をぞんぶんに活かしてイメージを紡ぐ手際がすぐれていることがわかる。それによって抽象的で関係性の希薄なイメージをぐっとひとつの流れのなかに巻き込んだり、逆に流れを転換させたりしているのだ。

 たとえば『HELP EVER HURT NEVER』のリードトラックである「優しさ」のサビ。〈あなた〉、〈あの人〉、〈あの腕〉と「an-」の韻を踏むことで、断片的なイメージにゆるやかなつながりをもたせている。詞の語り手、〈あなた〉、〈あの人〉という三者の関係ははっきり明かされないままに、語り手のなかでのそのつながりの強さが浮き彫りになるのだ。

藤井 風(Fujii Kaze) – “優しさ”(YASASHISA) Official Video

 押韻でいえば、「死ぬのがいいわ」では、〈飲ませていただき Monday〉と〈if it’s Sunday〉、〈愛をくれるのは だれ〉と〈it’s my darling〉というように、日英バイリンガルな詞のなかにこめられた音の類似関係が印象的だ。また、先ごろリリースされたシングル曲「へでもねーよ」でも押韻は面白い使われかたをしている。怒りをあらわにする〈おどれ〉とダンスの〈踊れ〉の同音異義語を使ったAメロもユーモラスかつ効果的。しかし、岡山弁のグルーヴィーにさえ響く話し言葉から、律儀に「ai」の韻を踏むBメロに移ってがらっと歌の印象が変わるのが巧みだ。話し言葉のリズム感がもたらす統一から、意図され整えられた音韻がつくりだすまとまりへの移行が、そのまま「怒り」からその超克に重ねられる。

 押韻に加えて印象的なのは譜割りで、藤井の書く鋭く、ときにねっとりとシンコペーションするメロディが、詞の方向性をぐっとコントロールする快楽がある。先に挙げた「もうええわ」での16ビートのなかにあらわれる8分音符の〈もうええわ〉もその一例だ。さらに、「キリがないから」での、16ビートに淡々と並べられた音から一気にシンコペートする部分。具体的には、〈気づけばハタチは遠い過去/いや夢?マボロシ!〉の〈遠い過去〉でぐっと裏に入る譜割りは、そこまで「記憶」や「過去」を描いていた詞が一気に「現在」や「未来」へと方向転換する内容の変化を劇的に演出している。こうした転換は、後の〈ここらでそろそろ舵を切れ/いま行け、未開の地〉のほうがぐっとわかりやすいかもしれない。

 本稿ではあえて歌詞の主題やメッセージといった解釈には踏み込まなかったが、豊かなストーリーやメッセージを藤井の歌に感じられるとすれば、それには方言を駆使したリズミカルな言葉のグルーヴや、押韻とかシンコペーションを巧みに用いた場面場面の演出の妙が大いに貢献しているだろう。それは洗練であると同時に、ある種の「泥臭さ」や「エグみ」にもつながってる。藤井の詞にはシニシズムのような達観がある一方で、ヒューマニズムにあふれきわめて人間くさい。そのようなことをあわせて考えると、藤井の詞は、刹那主義と無臭化にかたむきがちな「シティポップ」の(さまざまな文脈が複合した)再評価にわく日本のポップミュージックに対する、ひとつのアンチテーゼのようにも思える。私見だが、なぜ藤井に「次」を感じ、託したくなるかといえば、その点が大きい。

■imdkm
1989年生まれ。山形県出身。ライター、批評家。ダンスミュージックを愛好し制作もする立場から、現代のポップミュージックについて考察する。著書に『リズムから考えるJ-POP史』(blueprint、2019年)。ウェブサイト:imdkm.com

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