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池上彰の 映画で世界がわかる!

『ある人質 生還までの398日』―いまも終わっていないシリア内戦

毎月連載

第32回

中東シリアの内戦はいまも続いています。ここで取材中あるいは人道支援活動中にISIS(イスラム国)などの過激派の人質になった人たちや、その家族はどんな思いをしていたのか。実際にあった物語を再現したドラマは、人間の愛と死について深く考えさせます。

シリアでの内戦が始まったのは2011年のこと。北アフリカのチュニジアで始まった民主化運動“アラブの春”が、独裁国家シリアにも広がり、アサド政権に対する民衆の抗議活動が始まるや、アサド政権はこれを政府軍を使って弾圧します。

しかし、自国の国民に銃を向けることを潔しとしない政府軍の一部は離反。“自由シリア軍”を結成して武力で抵抗を始めます。そこに周辺からさまざまな過激派が介入し、シリア内戦は悲惨な状態に陥ります。

このシリア内戦の様子を取材する記者やカメラマンが次々に人質になったのです。

この映画のダニエル・リューは、デンマークの体操選手でしたが、足を負傷し、体操選手の道を断念。カメラマンとして紛争地の人々の暮らしの様子をカメラに収める仕事を始めます。紛争地での取材は、安全に十分気を使っていたはずなのに過激派の人質になってしまいます。

しかし、デンマーク政府は、人質解放のための交渉を拒否します。アメリカもEU諸国も、「テロリストと交渉して身代金を払うと、次々に誘拐事件が起きてしまう」という理由で交渉しないのです。

この立場は、客観的な立場では理解できますが、家族にしてみれば、たまりません。自力で身代金を集めて解放させようとします。

この映画では、人質になったダニエルと、故国デンマークの家族たちの救出に向けての奮闘ぶりが交互に描かれます。

人質たちは一か所に集められますが、家族や政府が身代金を払った人質は解放されていきます。残された人質の気持ちを思うと胸が張り裂けそうな気になります。

過激派のメンバーは、「グアンタナモで受けた仲間の仕打ち」ということを言っています。これは米軍がアフガニスタンを攻撃した際、捕虜にしたイスラム過激派をキューバにある米軍のグアンタナモ基地に連行し、オレンジ色の囚人服を着せて数々の拷問をしたことを指しています。これへの報復として、人質たちもオレンジ色の囚人服を着せられるのです。

この映画を観て私が思い出すのはシリアで人質となって2015年に殺害されたジャーナリストの後藤健二さんのことです。後藤さんとは、リビアやレバノン、ヨルダンでご一緒しました。危険地帯でのリスク管理のノウハウを教えてもらったのです。この映画を観ると、どうしても後藤さんのことが思い出されて冷静な気持ちではいられませんでした。

映画の中で人質になったジャーナリストは、「“シリアの悲惨な様子について”誰かが実情を伝えなければ」と語っています。後藤さんもまた、戦地の様子を伝えなければ、悲惨な内戦はいつまでも終わらないのだと思っていました。

後藤さんも、映画の中の人質と同じような目にあったのだろうと思います。そして後藤さんも、人質になっていてもクリスチャンとしての愛と希望を忘れなかったのだろうと思います。

「イスラム国」と名乗って支配地域を確保していた武力勢力は、2019年に消滅したとされています。しかし、彼らのテロの呼びかけは、いまも残り、ヨーロッパなどで散発的なテロは続いています。

人質のひとりが「彼らの憎悪に負けない」と語っていました。ISISは消滅しても、彼らの憎悪はいまも残っています。

過激派が生まれ、拡大する基盤をなくさなければテロは終わりません。誘拐・人質事件も終わらないのです。そしてなによりもシリア内戦はいまも終わっていないことを、私たちは忘れてはなりません。

掲載写真:『ある人質 生還までの398日』
(C)TOOLBOX FILM / FILM I VAST / CINENIC FILM / HUMMELFILM 2019

『ある人質 生還までの398日』

2021年2月19日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷、角川シネマ有楽町にて公開!
配給:ハピネット
監督:ニールス・アルデン・オプレヴ/アナス・W・ベアテルセン
出演:エスベン・スメド、トビー・ケベル、アナス・W・ベアテルセン、ソフィー・トルプ

プロフィール

池上 彰(いけがみ・あきら)

1950年長野県生まれ。ジャーナリスト、名城大学教授。慶應義塾大学経済学部卒業後、NHK入局。記者やキャスターをへて、2005年に退職。以後、フリーランスのジャーナリストとして各種メディアで活躍するほか、東京工業大学などの大学教授を歴任。著書は『伝える力』『世界を変えた10冊の本』など多数。

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