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阿部和重、町田康、赤坂真理……“J文学”とは何だったのか? 90年代後半「Jの字」に託された期待

リアルサウンド

20/6/14(日) 10:00

 最近好調な純文学系文芸誌『文藝』(河出書房新社)は、かつてJ文学のブームを仕掛けていた。ーーといったところで今、どれくらいの人に通じるのか。2009-2012年にNHK Eテレで日本の作品を英語翻訳で紹介する「Jブンガク」という番組があったが、それとは違う。1990年代後半、『文藝』がJ文学なる呼び名を掲げ、出版界で話題になったのだ。

『文藝別冊 ’90年代J文学マップ』

 売行きが低迷する純文学が注目されるように『文藝』がキャンペーンに動き『文藝別冊 ’90年代J文学マップ』(1998年)が発行された。同ムックで作家マップを作成した佐々木敦は、J文学の呼称を提案したのは自分だと後に語っている(『ニッポンの文学』)。

 明確な定義があったわけではない。阿部和重、町田康、赤坂真理、藤沢周など1990年代にデビューした作家たちの総称として、とりあえずJ文学が使われたのである。ただ、ムックには論者4人が各々キーワードを掲げた原稿を寄せ、それらがJ文学の傾向を解説していた。1990年代後半は、1980年代のバブル景気がはじけて以降、不況が色濃くなった時期である。論者たちは、いずれも時代の変化を小説から読みとっていた。

 石川忠司は「黒人化(リラクシン)」と述べ、以前よりも「リラックス」した「自然体」で小説が書かれるようになったと主張。中条省平は「モラトリアム野郎からプロレタリア文学へ」と題し、フリーターなど労働の不安定化を語った。永江朗は、直前のバブルの恩恵で触れることができた美術、映画などのカルチャーの影響を「セゾン系」と称した。斎藤美奈子は、言葉をオモチャにするような若手作家の姿勢に触れ「ガジェット派」と指摘した。

 まとめていうと、経済的な豊かさが失われる一方、深刻になるわけではなく従来の文学の権威からも遠ざかり、自分たちなりに表現の形・遊びの形を作った。そんなイメージだろう。こうしてみると労働環境の問題や言葉のオモチャ化は、現在の小説にも散見される。バブルの恩恵のかわりに、今では広く普及したインターネットが小説以外のカルチャーの安価な供給源となっている。

 J文学は、J-ポップを意識したネーミングだった。1988年開局のJ-WAVE、1991年発足のJリーグをはじめ、日本の略称Jを使った言葉がいろいろ作られた時期である。J-WAVEが使い、当時隆盛だった外資系CDショップを中心に定着したJ-ポップのジャンル名も、その1つだった。ワールドカップと日本サッカー、洋楽と肩を並べるジャンルとしてのJ-ポップというように、Jの1字には世界のなかの日本という含みもあった。純文学をもじったJ文学は、そんなJのニュアンスを小説にも与えようとするものだった。

阿部和重『インディヴィジュアル・プロジェクション』

 『’90年代J文学マップ』に中原昌也とともにインタビューが掲載され、J文学の中心的存在と位置づけられたのは、阿部和重である。スパイ私塾訓練生だった映写技師がプルトニウムをめぐるヤクザや旧同志との争いにまきこまれる阿部の『インディヴィジュアル・プロジェクション』(1997年、新潮社)は、若い女性の写真を使った常盤響の装幀がJ-ポップのアルバム風だった。『文藝』のJ文学路線では、この種のデザインが踏襲された。

 『インディヴィジュアル・プロジェクション』の帯のキャッチフレーズは「渋谷はいま戦争状態みたいだ!」。当時の音楽シーンでは渋谷系が注目されており、J文学は渋谷系の小説版のように語られた。CD売上のピークは1998年だったし、景気全体とは別にJ-ポップはバブル状態であり、J文学はそのおすそ分けをもらおうとしたともいえる。

 当時『文藝』編集長だった阿部晴政は『スタジオ・ボイス』2006年12月号の談話で「(略)J文学って、僕らが勝手に文学をリミックスしたという感じなのかな。文学をカジュアルにして、敷居を低くしたいというのが僕らの狙いだったから、同世代の音楽やコミックと結び付けてリミックスして純文学の古臭いイメージを刷新したかった」と回顧している。

 文学を外部と反応させ活性化しようとしたのは、J文学が初めてではない。『’90年代J文学マップ』では、1990年代デビュー組だけでなく、「W村上以後の作家」と銘打ち中堅たちも紹介した。

 1970年代後半デビューの村上龍と村上春樹は、ロック、ジャズ、ポップスなどの音楽や映画への言及、アメリカのカルチャーの影響などから今日的なサブカルチャー文学の嚆矢となった。ムックでは時間をさかのぼってW村上をJ文学の先駆けと位置づけ、文学史の書き換えを試みたのである。

 さらにいえば『文藝』を発行する河出書房は昨年、長山靖生『モダニズム・ミステリの時代 探偵小説が新感覚だった頃』を刊行している。この評論は、1920年代に江戸川乱歩、横溝正史などの探偵小説作家と川端康成や横光利一など新感覚派の文学者の間で、双方の雑誌に相互乗り入れしていたことをたどり直したもの。純文学は他の領域と接触し、取りこむことで変化してきたのだし、その波の目立つ1つがJ文学だった。

『J文学をより楽しむためのブックチャート BEST200』

 J文学では、パンク・シンガーだった町田康、ノイズ・アーティストの中原昌也、ボンデージなどを扱う雑誌の編集者だった赤坂真理、日本映画学校卒の阿部和重など、小説以外のカルチャーを通った作家が多い。また『’90年代J文学マップ』ではハードボイルド作家の新鋭・馳星周と藤沢周の対談が掲載されたほか、作家ガイドでは京極夏彦、鈴木光司、清涼院流水、麻耶雄嵩といったホラーやミステリーなどのエンタテインメント作家も人選された。続編的ムック『J文学をより楽しむためのブックチャート BEST200』(1999年)の顔ぶれも同様である。

 河出書房では2000年にJ文学のエンタメ版的なムック『Jミステリー』を刊行し、ミステリーやSFの執筆と同時に硬派な批評を書く笠井潔と純文学とミステリーを行き来する奥泉光の対談、現在ではミステリーよりも純文学のイメージのほうが強い古川日出男のインタビューを載せていた。こちらでもジャンルのプロパーだけでなく、阿部和重や久間十義などエンタメ的手法を使う純文学系作家を紹介した。Jの字を掲げ、小説をめぐる領域侵犯の演出が、様々な角度からされたのだ。

 しかし、J文学は話題になったが、くくりへの反発やおさまりの悪い語感への揶揄も多く、『文藝』のキャンペーンは短期に終わった。

 2000年代にはJ文学の作家リストにも登場した清涼院流水に影響を受けた若手が講談社の雑誌『ファウスト』を中心に活躍し、舞城王太郎、佐藤友哉という三島賞作家を生んだ。彼らはミステリー、ライトノベル、純文学のアマルガムのような作風で、J文学×Jミステリーの延長線上のごとき存在だった。

斎藤美奈子 編集『L文学完全読本』

 また、『’90年代J文学マップ』に寄稿した斎藤美奈子編で2002年に『L文学完全読本』(マガジンハウス)と題した小説ガイドが出た。J文学をもじって命名したと思われるL文学について斎藤は、女性を主人公にした女性作家の作品としつつ従来の女流文学とは異なると説いた。男性が権力を握る文壇に適応した女流文学ではなく、女性の価値観に基づく小説という意味だろう。また、1980年代にL文学の萌芽があったとして、少女マンガ、コバルト文庫とともに例にあげたのが山田詠美や林真理子の作品である。男女雇用機会均等法が成立した1980年代は、フェミニズムへの関心が高まった時代でもあった。

 『L文学完全読本』は、文芸誌『鳩よ!』最終号(2002年5月号)の特集を書籍化したものだった。同号の斎藤との対談で編集長だった喜入冬子は、1999年の同誌リニューアルをふり返り、「女の子向けということでは当時J文学というのがあったけれど、あれは痛くて。もう少し大らかに楽しくできないかと思いました」と明かした。

 J文学に抱いた違和感の先に斎藤を編者にしたL文学の企画が立てられたと推察される。赤坂真理、角田光代、川上弘美、多和田葉子などJ文学にもマッピングされた作家たちが『L文学完全読本』にも多く登場したが、ここではさらに別の形の文学史を見出そうとしたのだ。その意味では、反発や違和感も含めJ文学からの流れは後の時代へつながっている。

文学ムック『ことばと』

 そして、今の文芸誌を見渡せば、文学と他の領域の混交がいっそう進んだ誌面になっている。純文からエンタメへ、エンタメから純文への越境はもう珍しくない。J文学の命名者だった佐々木敦は今春、自らが編集長となって新たな文学ムック『ことばと』を始動し、創刊号で異業種参入作家の現在の代表格である又吉直樹と座談会を行った。村田沙耶香や古谷田奈月など近年目立つ女性作家の活躍を、現在のL文学と見立てることもできる。

 一方、かつてのJの字は、グローバルと日本の関係を漠然と連想させるものだった。それに対し、赤坂真理は『東京プリズン』(2012年)で東京裁判を、『箱の中の天皇』(2019年)で天皇制をテーマにし、阿部和重は昨年発表の『オーガ(ニ)ズム』で完結した神町トリロジーで日米関係を扱った。J文学の代表格だった2人は、もっと明確に日本やアメリカと対峙する小説を書くようになったのだ。昨年リニューアルしてからの『文藝』も「天皇・平成・文学」、「韓国・フェミニズム・日本」、「中国・SF・革命」と方向づけをはっきりさせた特集を組み、J文学の頃とは大きく変化している。社会における差別や分断が強まっているからでもあるだろう。

 ただ、J文学の時代から現在までの推移をざっとおさらいしてみて、嫌でも気づいてしまうことがある。「モラトリアム野郎からプロレタリア文学へ」といわれた頃から、景気はずっとパッとしないままなのだ。この面に関しては、新しい景色をみたいと本当に思う。

■円堂都司昭
文芸・音楽評論家。著書に『ディストピア・フィクション論』(作品社)、『意味も知らずにプログレを語るなかれ』(リットーミュージック)、『戦後サブカル年代記』(青土社)など。

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