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『知らなくていいコト』は上下移動のドラマだ 大石静が問いかける“人間のあるべき姿“とは?

リアルサウンド

20/3/10(火) 6:00

 まさかこんなところに連れて行かれることになるとは。

参考:柄本佑は誰かを愛するとき、最高に魅力的になる “尾高さん”の虜になってしまう理由

 ヒロイン真壁ケイトがキアヌ・リーブスの娘かもしれないという奇想天外な“素晴らしき嘘”から幕を開けた、大石静脚本による、吉高由里子主演ドラマ『知らなくていいコト』(日本テレビ系)が、3月11日に最終回を迎える。

 まず、柄本佑が、持ち前の包容力とセクシーな魅力を存分に発揮し、複数のドラマ・映画で演技力が絶賛されていた重岡大毅(ジャニーズWEST)が圧巻の“クズ”を演じるといったキャスティングの妙を特筆したい。そして、黒川班の福西(渕野右登)、庶務係の里見(宮寺智子)といった「週刊イースト」編集部1人1人のキャラクターが活きていることも、お仕事ドラマとしての魅力を最大限に引き出している。

 実際に起こった事件やスキャンダルを彷彿とさせるスクープを追い、真相を次々と暴く週刊誌「週刊イースト」の敏腕記者であるケイトが直面した、「不倫の末に生まれた殺人犯の娘」という自分の出自を巡る隠された真実と、踏みとどまることができなかった、尾高(柄本佑)との不倫関係。スクープを追い、糾弾する立場にありながら、自身もマスコミに追われ、「最低」と糾弾されても何も言えない秘密を抱えている。

 『セカンドバージン』(NHK総合)、『大恋愛~僕を忘れる君と』(TBS系)など数々の傑作恋愛ドラマを描いてきた大石静が、週刊誌編集部を舞台にして、週刊誌が世間を賑わす格好のネタである「不倫」に、真っ向から挑んだ。

 一斉に世間からのバッシングを負うことになる不倫。不倫した夫(あるいは妻)と愛人は糾弾される。それは当然のことだ。だが、糾弾する側であるはずのケイトは、妻子ある尾高と不倫の恋に落ちている。もちろん、決して許されることではない。でも、ケイトの出自の事実を告発した時の野中(重岡大毅)の勝ち誇った顔と、殴られて流血しながらの卑屈な笑い顔は、「最低」なことをしているはずのケイトと尾高よりもはるかに「最低」である。

 『知らなくていいコト』は、上下移動のドラマだ。ケイトの父親・乃十阿(小林薫)は、上京し、ビル街をキョロキョロと見上げているところで尾高に声をかけられる。

 野中はわかりやすく「見上げる」「見下ろす」を繰り返す。会社でも疎外感を抱き、自分から別れたケイトへの未練たっぷりに尾高との仲の良い姿を見つめ続け、逆恨みし、暴走する。そんな野中の心情を最も的確に示しているのが、打ち上げ会場の2階で楽しそうに会話するケイトと尾高を、1階からじっと見上げている姿である。尾高に殴られて卑屈に笑う時も当然ながら、下から尾高を見上げている。一方で、尾高に共通の元恋人であるケイトの秘密を共有しようと話し出すのも、告発の電話をするのも屋上だ。そこには、無意識にではあるが、最も高い場所に立つことで少しでも自分の立場を優位に立たせようとする心情が透けて見える。

 ケイトの家と尾高のスタジオにはそれぞれ真ん中に印象的な階段が配置されている。マンション内で起きている芸能人の不倫を暴いていた過去の2人は、自分たちがやがてそちらの立場になるとは思わずに、対象の人物たちを下から見上げている。

 次に第5話において、自宅で、尾高にすがるように抱きついたケイト。暗い部屋にいるケイトから見ると、尾高のいる場所から光が差している。そんな2人が抱き合う瞬間をカメラが上方から映すことで、まるでケイトは教会で救いを求めて何かにすがる人のようだ。

 一方、スタジオでの一線を越えるキスシーンは、正面からの2人の横顔を示すショットであり、そこに光が重なっていくのは、2人の初めてのキスである朝方の車内のキスシーンを重ねるためである。

 そして極めつけは、ケイトの「なんで下に降りてきちゃったんだっけ、もっと上にいればよかった」という第7話における、2階で一夜を共にした後の台詞だ。禁じられた恋に溺れる恋人たちは、宙に浮いたような場所でつかの間全てを忘れたように愛を求め合う。だから、地上にはいたくない。現実に引き戻されてしまうのが嫌だから

 小泉(関水渚)の台詞「人の気持ちなんて日々変化しますから」、ケイトの台詞「幸せってさ、手に入らないから幸せなんじゃないの」。第9話において「あの時は好きだったけど今は違う」と野中に告げる女性2人の台詞は、女性の残酷さ含めて、このドラマの恋愛の全てを語っていた。最初から小泉は、ケイトと付き合っている野中を好意の目で見つめ、野中は、ケイトと尾高を見つめていた。そして妻子がいる尾高をケイトが見つめている。彼らはいつも「手に入らないから」その誰かを求めている。簡単に手に入る時は、その魅力に気づかない。「あの時」はどうしようもなく好きだったけれど、今は違う。「あの時」は興味を失ったけれど、今はどうしようもなく好き。人は失った過去を追い求め、手に入らない幸せを渇望せずにはいられない。

 「人間の様々な側面を伝え、人間とは何かを考える材料を提供する」とは岩谷(佐々木蔵之介)が語る「週刊イースト」のあるべき姿だ。まさにこのドラマは、そういった人間の様々な側面を捉え、問いかけるドラマだった。

 最終回、ケイトは何を見つめ、彼女の恋はどこに辿りつくのか。すっきりした答えは望んでいない。それが彼らの描いてきた、「人間」のあるべき姿だからだ。ただ、このドラマがどこに行き着くのか、固唾を呑んで見つめたいと思う。(藤原奈緒)

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