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TBSドラマに見る、女性の作り手たちの活躍 “理性を重んじる”人間を肯定的に描く作品が増加傾向に

リアルサウンド

19/1/2(水) 6:00

 近年のテレビドラマは、女性の作り手の活躍が目立つ。その筆頭と言えるのが、TBSドラマだろう。

参考:『アンナチュラル』最終回、第1話から仕組まれた伏線に驚愕

 例えば、不自然死の原因を究明する架空の研究機関UDIラボを舞台としたドラマ『アンナチュラル』。脚本を担当したのは、2016年にTBSの火曜ドラマで『逃げるは恥だが役に立つ』(以下、『逃げ恥』)を大ヒットさせた野木亜紀子だが、『逃げ恥』同様、社会における女性差別や労働問題に対する意識が強く現れた社会派娯楽作品だった。

 チーフ演出は『Nのために』等で知られる塚原あゆ子。プロデューサーは塚原とよくチームを組む新井順子と『ケイゾク』や『SPEC』で知られる植田博樹。今回、植田はサポートに徹し、作品世界の中核を作ったのは野木たち3人だったとのことだが、興味深かったのは『アンナチュラル』の中に、植田の出世作である『ケイゾク』に対する批評性を感じたことだ。

 『ケイゾク』は一話完結の刑事ドラマだが、物語の中心にあるのが妹を自殺に追いやった犯人を追う刑事・真山徹(渡部篤郎)の物語だ。『アンナチュラル』でも妻が何者かに殺された法医解剖医の中堂系(井浦新)の物語が中心にあるのだが、後半になるにつれて、どんどん狂気の世界に突入していく『ケイゾク』に対し、『アンナチュラル』は、どうにか理性の領域にとどまろうとする。最後に登場する猟奇犯罪者の描き方にしても、それは同様だ。

 社会からの逸脱ではなく、どうにかとどまろうとする理性的な振る舞いに美学を見出している印象は、金子ありさ脚本で塚原、新井が手がけた『中学聖日記』にも強く感じる。女性教師と中学生男子の「禁断の恋」という触れ込みから、始まる前は90年代にTBSでヒットした野島伸司脚本の『高校教師』や遊川和彦脚本の『魔女の条件』を連想したが、この2作が社会に居場所のない男女の逃避先として禁断の恋があったのに対して、『中学聖日記』は、むしろ必死に社会の側にとどまらせようとする少年の母親・黒岩愛子(夏川結衣)の立場から物語を描いているように見えた。

 愛子を演じた夏川結衣は90年代TBSドラマの傑作『青い鳥』で、夫との辛い生活から逃げるために、主人公の駅員と不倫の果ての逃避行の末に自殺してしまう人妻を演じたのだが、風景を美しくみせる叙情的な演出も含めて、本作は『青い鳥』を彷彿とさせる。その意味で『高校教師』『魔女の条件』『青い鳥』という90年代ドラマの古典を継承していたのだが、着地点は真逆のものとなっていたように感じた。

 これは綾瀬はるか主演の『義母と娘のブルース』(以下、『ぎぼむす』)も同様である。脚本を担当した森下佳子は『世界の中心で愛をさけぶ』『白夜行』『JIN-仁-』『わたしを離さないで』等の綾瀬はるか主演のTBSドラマを多数手がけてきた。今回、『ぎぼむす』で綾瀬が演じたのは、とある事情から契約結婚をして義理の娘を育てることになったキャリアウーマンの宮本亜希子。契約結婚というモチーフは同枠でヒットした『逃げ恥』を連想させるが、亜希子の造形は、森下の師匠筋にあたる遊川和彦・脚本の『女王の教室』の阿久津真矢(天海祐希)や『家政婦のミタ』の三田灯(松嶋菜々子)といった、感情を表に出さずに機械的に振る舞う女性ヒロインの影響を強く感じる。

 彼女たちは不気味な佇まいで学校や家庭に現れ、圧倒的なカリスマ性で秩序を徹底的に破壊した後、共同体を再生させる機械仕掛けの女神である。遊川が生み出した機械のような女性たちが周囲を翻弄していくキャラクタードラマのパターンは『ハケンの品格』や『家売るオンナ』といった日本テレビ系のお仕事ドラマにも受け継がれており、今や一つのスタイルとして定着している。

 一方の『ぎぼむす』は日本テレビではなくTBSによる制作だったのだが、そのことが微妙な違いとなって現れていたように思う。『女王の教室』等の作品が、露悪的で秩序の破壊を目的としていたのに対し、『ぎぼむす』は、今までロボットのように働いてきた亜希子が、家族を知ることで救われて、現実に軟着陸していく話に思えた。コメディがうまい綾瀬が演じていることもあってか、むしろ強調されていたのは亜希子のポンコツ加減で、有能だが融通の効かない亜希子の姿に愛嬌があったのが、本作の心地よさだろう。

 『アンナチュラル』『中学聖日記』、そして『ぎぼむす』は、過去作の影響を踏まえた上で、2018年現在ならではの現状認識と結論に着地させた作品だった。その結論とは、感情よりも理性を重んじようとする振る舞いと、ある種の社会性であり、その筆頭が野木亜紀子の脚本だったと言えるだろう。

 それが結果的に過去のヒットドラマにあった、社会に対するカウンターとして発していた狂気や破壊願望を退け、現実に着地する話になっていたのは、大きな傾向だったと言えるだろう。これを女性脚本家ならではと言っていいのかはよくわからないが、理性を重んじる人間を肯定的に描く作品が増えているのは、喜ばしい限りである。

(成馬零一)

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