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音楽の世界を駆け抜けた冒険家ミシェル・ルグラン 映画音楽で開花させた才能を紐解く

リアルサウンド

19/2/23(土) 10:00

 フランスを代表する作曲家、ミシェル・ルグランが1月26日にこの世を去った。享年86歳。半世紀以上に渡って数多くの映画音楽を手掛け、ジャズやポップスの歴史にも大きな足跡を残し、さらに自ら歌手として歌い、必要とあらば映画監督にも挑戦したルグランは、冒険家のように果敢に音楽の世界を駆け抜けた。

【写真】ルグランが手がけた名盤

■ルグランの作曲家としてのエッセンス

 ルグランは1932年2月24日にパリで生まれた。父親のレイモン・ルグランは音楽家。姉のクリスチャンヌ・ルグランは歌手という音楽家の血を引くルグランは、子供の頃からピアニストとして才能を発揮。パリ国立高等音楽院に入学すると、数々の才能を世に送り出した音楽家、ナディア・ブーランジェのもとで学び、作曲家としての基礎を叩き込まれる。フランスで最高の教師からクラシックを学びながら、同時にルグランはジャズにも惹かれるようになり、酒場でジャズを聞きながら女の子たちとダンスに興じた。ブーランジェはルグランがジャズを演奏すると眉をひそめたそうだが、ルグランいわく「ナディアが教えてくれる音楽が天使だとしたらジャズは悪魔」。クラシックとジャズがルグランの作曲家としてのエッセンスだった。

 学校を卒業したルグランはクラシックの道には進まず、ジャズ楽団やシャンソン歌手の伴奏など食べて行くためには何でもやった。そして、映画やテレビの仕事をしていた父を手伝ううちに才能を認められて、セルジュ・ゲンスブールやジュルジュ・ブラッサンスなどシャンソンのスター達が所属していたレコード会社、フィリップスと契約。アレンジャーとして活躍した。そして、ルグランの名前が知れ渡るきっかけになったのが軽音楽集『アイ・ラヴ・パリ』(54年)だ。パリを題材にした名曲の数々を、ルグランがオーケストラ・アレンジした本作はアメリカで大ヒットを記録した。

■映画音楽の作曲家として活躍

 60年代に入るとルグランは映画音楽の作曲家として活躍するようになる。なかでも、ジャック・ドゥミ、アニエス・ヴァルダ、ジャン=リュック・ゴダールなど、同世代のヌーヴェルヴァーグの監督との交流はルグランに刺激を与え、サントラを手掛けた『5時から7時までのクレオ』(61年)では、役者として出演してピアノを弾いている。そして、ルグランにとって最良のパートナーになったのがジャック・ドゥミだった。二人はセリフもすべて歌にした画期的なミュージカル『シェルブールの雨傘』(64年)を制作。本作はカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞し、当時は無名だった主演女優、カトリーヌ・ドヌーヴをスターにした。そして、主題歌をはじめミュージカル・ナンバーは世界中でカヴァーされることになる。

 ドゥミ=ルグラン・コンビは、続いてミュージカル映画『ロシュフォールの恋人たち』(67年)を制作。ヨーロッパ的な哀愁を感じさせた『シェルブールの雨傘』と対照的に、『ロシュフォールの恋人たち』はアメリカのミュージカルにオマージュを捧げた明るく開放的な作品になった。『雨傘』も『恋人たち』もドゥミの映像とルグランの音楽はぴたりと重なり、色彩豊かな映像と音楽がファンタジックな世界を生み出している。二人はその後もタッグを組み、おとぎ話をミュージカルにした『ロバと王女』(70年)など様々な作品を送り出した。

 1967年にルグランは活動拠点をアメリカのLAに移したが、そこで初めて手掛けたハリウッド映画のサントラが『華麗なる賭け』(68年)だ。ルグランは編集前の映像素材を観て、その印象をもとにサントラを書き上げた。バロック音楽とジャズを融合させた独創的なサウンドはルグランの真骨頂。映画は大ヒットを記録し、ノエル・ハリスンが歌う主題歌「風のささやき」もヒットチャートを駆け上がってルグランの新たな代表曲になった。ハリウッドでも成功を収めたルグランは、『おもいでの夏』(71年)、『愛と哀しみのボレロ』(81年)、『ネバーセイ・ネバーアゲイン』(83年)など、国境を越えて数々のサントラを手掛けた。そんななか、手塚治虫の漫画を実写化した『火の鳥』(78年)のテーマ曲とイメージ・ソングや『ベルサイユのばら』(79年)のサントラなど日本の作品も作曲。親日家として知られる彼は何度も日本を訪れ、昨年の7月にはまるでお別れを言うように最後の日本公演を行った。

■ジャズへの愛と情熱

 映画音楽の仕事と並行して、ルグランは様々なジャズ・ミュージシャンと共演してジャズ・アルバムを発表した。その出発点となったの『ルグラン・ジャズ』だ。1958年、ルグランはアメリカを代表するジャズ・ミュージシャンを集めて、自身が編曲したジャズ・アルバムを作る企画に挑む。声をかけたのは、ジョン・コルトレーン、ビル・エヴァンス、フィル・ウッズ、ハービー・マンなど目もくらむような豪華なメンツ。なかでも、ルグランにとって憧れの人だったのがマイルス・デイヴィスだ。録音当日、マイルスはスタジオの扉の近くでリハーサルを静かに見守っていて、関係者は「彼は音楽を聞いて気に入らなかったら、スタジオから出て行って二度と戻らない」とルグランに囁いた。ルグランは神に祈る気持ちだったら、しばらくするとジャズの帝王は席に座ってトランペットを吹き、演奏が終わるとルグランに「君が望んだ通りの演奏だったかい?」と訊ねたという。『ルグラン・ジャズ』はジャズに捧げた花束であり、そこにはジャズへの愛と情熱が満ち溢れている。

 ルグランは音楽家としてスタートする時、クラシックの道を行くか、ジャズの道を行くかで悩んだという。そして、その両方の技術を活かすことができる映画音楽の世界で才能を開花させた。次々と溢れ出るような美しいメロディーや躍動感溢れるカラフルなアレンジは、聴く者の感情を揺さぶらずにはいられない。ルグランは「自分の可能性を試したい」と作曲家としては珍しいボーカル・アルバム『ルグランは歌う』を64年に発表。また。自伝的映画『6月の5日間』(89年)では監督に挑戦するなど、自分を突き動かす衝動や感情を音楽で表現してきた。華麗でありながら親しみやすく、繊細でありながらダイナミックな音楽は生の輝きそのもの。作家のフランソワーズ・サガンは「ミッシェルはすべてについて思いのままに、尽きることなく叫び声をあげる」と書いたが、ルグランの音楽はルグランの声であり、きっと天国から我々のために力強く叫び続けてくれるだろう。

(村尾泰郎)

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