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milet、ちゃんみな、AK-69らプロデュース Dr.Ryoに聞く、海外での挫折や成功で培った音楽制作メソッド

リアルサウンド

21/3/22(月) 16:00

 ちゃんみなやmilet、AK-69などの楽曲提供〜プロデュースを手がけ、その美しいメロディとダイナミックなサウンドによって日本の音楽シーンをリードするプロデューサー/トラックメーカーDr.RyoことRyosuke Sakaiが、Dr.Ryo名義で自身のアーティストプロジェクトをスタート。英国はマンチェスター出身のアーティスト、バイポーラ・サンシャインとLAのラッパー、バディーをフィーチャーしたシングル「Late Night Flex (REMIX) feat. Bipolar Sunshine & Buddy」を、彼が主宰するレーベル<MNNF RCRDS(モノノフレコーズ)>よりリリースした。

 ビリー・アイリッシュやセレーナ・ゴメスらを擁する米国の名門メジャーレーベル<INTERSCOPE Records>とマネージメント契約を結び、今や国内外で引っ張りだこのRyosuke Sakai。しかし30代後半で初めて海外スタジオの門を叩いた頃は、「挫折」と「試行錯誤」の繰り返しだったという。一時期は「どん底」を経験した彼が、名だたる世界のプロデューサーたちと肩を並べる存在になるまで一体どれほどの苦労があったのだろうか。本インタビューではRyosuke Sakaiのこれまでのヒストリーはもちろん、プロデューサーとして大切にしていること、楽曲制作のエピソードなどじっくりと語ってもらった。(黒田隆憲)

歯科医師との兼業で始めた音楽活動

ーーもともとSakaiさんは、どのようなきっかけで音楽に目覚めたのでしょうか。

Sakai:小学校1年生くらいから6年間クラシックピアノをやっていまして、そこで基礎的な音感や読譜を身につけました。中学生になってからは野球部に入っていたので、一度音楽から離れるんですけど、中三からギターを弾き始めたんですね。その頃はハードロックが流行っていたので、Guns N’ RosesやSkid Row、Metallica、Megadethなどを聴いていました。高校ではバンドを組んでいたので、友人のベースを弾かせてもらったり、ドラムを叩いてみたり、楽器はそこで満遍なくマスターしました。

ーーロック畑の人だったのですね。

Sakai:そうなんです。大学ではラグビー部に入って、またしばらく音楽から離れるんですけれども(笑)、また音楽がやりたくなってラグビーは辞めて、DJやラッパーを入れたミクスチャーバンドを組みました。そこからHouse Of PainやBeastie Boys、Cypress Hillのような、ハードコア・ヒップホップから入って普通のヒップホップを聴くようになり、元ネタのジャズやソウルも好きになって。Mo’ WaxやNinja Tuneを経由してエレクトロも一緒に聞いていたので、気づけばオールジャンル聴くようになっていったんですよね。

ーーしかも、全てちゃんとつながっている。

Sakai:バンドを解散してからは、1人でMPCを叩くようになって。だんだん通っていた大学がある小倉のクラブ界隈で、ラッパーやシンガーのプロデュース的なことをアマチュアながらやるようになりました。今から20年くらい前ですね。そんな時にとある人から「Sakaiくんは作曲家になったらいいんじゃない?」と勧められました当時は「作曲家」という概念がなくて、ドクター・ドレーやロドニー・ジャーキンス、ジャム&ルイスみたいな“プロデューサー”と称される人たちが曲を作るものだと思っていたくらい無知だったんですよ(笑)。それで、日本で作曲家として活動するならと、そこからようやく「邦楽」を本格的に聴くようになりました。

ーーSakaiさんの作る楽曲は、日本人の琴線に触れる美しいメロディが特徴ですよね。

Sakai:それはかなり研究しましたね。いいメロディとは何かを紐解くため、当時は日本のヒット曲を片っ端から聴いて、メロディはどう動いているのかを調べてみたり、アメリカのカントリーバラードって日本のバラードに近いものがあるので、そういうものもずっと聴いたりしていましたね。そのおかげで、メロディを作ること自体はとても上手くなったし、やっていて楽しいですね。

ーーずっとフリーランスで活動していたのですか?

Sakai:はい。当時、仲の良かった友人がCrystal KayのA&Rをやっていて、まずは彼女のアレンジやプロデュースから少しずつ仕事を増やしていきました。とはいえ、まだその頃は本数も少なく当時の本業の歯科医師をやりながら、年に数曲手がけるなどしていましたね。でも、仕事が増え始めると歯科医師をやりながら続けるのは難しくなってきて。人生一回きりだし、音楽で頑張ろうと決めました。

ーー現在、海外と日本を行き来しながら活動しているSakaiさんですが、そもそものきっかけは?

Sakai:日本での仕事がかなり増えて、何年も多忙を極めていたのですが、ある時に「あれ、俺ずっとJ-POPばかり作っているな」と思ったんです。もちろんJ-POPも好きだし素晴らしいのですが、コードの展開が目まぐるしい、いわゆる日本の様式美をずっと作り続けているうちに、本来好きだった洋楽を思いっきりやってみたくなったんですよね。36歳くらいの時だったと思います。それで、思い切って日本の仕事を1カ月休んでアメリカへ行ったんですよね。ニューヨークでブロードウェイやオフブロードウェイ、ジャズクラブなどを周り、ギャラリーなどを覗いて刺激をたくさんもらってきたんです。

 その時に、マスタリング・エンジニアのクリス・ゲリンジャーとアポを取って、スターリングサウンドという世界屈指のマスタリングスタジオを見学させてもらえることになりました。ちょうどジェイソン・ムラーズの「I Won’t Give Up」を手掛けていて、それを聴かせてもらって衝撃を受けたんです。目を閉じて聴いていると、本当に目の前で演奏して歌っているようなビッグなサウンド。「こういうのをやりたい!」と強く思いました。

日本人で初めて<INTERSCOPE Records>と契約

ーー本場のサウンドに洗礼を受けたと。

Sakai:それで帰国して2週間くらいで今のスタジオの物件を見つけて、自宅の作業部屋から引っ越したんです(笑)。クリスに聴かせてもらったサウンドが忘れられなくて、それに近づけるために機材も入れ替え試行錯誤しました。そうすると、今度は海外のアーティストをプロデュースしたくなってくるんですよ。そんな時に、ある方の紹介で2014年ごろからLAのスタジオでコライトセッションをするようになりました。最初は10曲くらい作ったのかな。いい感じで出来たと思って米国ソニーの副社長さんにデモを聴いてもらったところ、全く評価してもらえなくて。「何がいいのかさっぱり分からない」と言われてしまいました。自分がいいと思っているものと、本場で良いとされているものはかなり違うことをそこで思い知るわけです。なかなか厳しいスタートでしたね(笑)。

ーーそんなに違うものなのですか?

Sakai:今思うと、音の太さが全然違う。向こうのシンガーにセッションで歌ってもらっても、「Ryosukeの作るトラックはひどい」とかめちゃくちゃダメ出しされるんですよ(笑)。俺、日本でそこそこ頑張ってきたはずなのにおかしいなあ、みたいな。

ーーそれはキツいですね……。

Sakai:そこで諦めてしまう人も多いと思います。でも俺は、その2、3カ月後にはまたLAへ飛んでセッションをしていました(笑)。結局その時は年に4、5回行くようになっていましたね。もちろん全て自腹で。とにかく研究しまくって。だんだん「そうか、こういうことか」と分かってきて。こればっかりは、現地で体験しないとなかなか違いが理解できないと思うんですよね。とにかくそのグルーヴを文字通り身体で体得していくみたいなことをやっていました。

ーーその行動力と粘り強さは圧巻です。

Sakai:日本でずっとやっていたら、結構いい歳にもなってきたし、ダメ出しをされるなんてこともおそらくなかったと思うんですよ。でも37歳とかのタイミングでもう一度原点に帰るというか、味わったことがないくらいどん底を経験したのは(笑)、すごく良かったと思いますね。とにかく純粋に「かっこいいトラックを作りたい」としか思っていなくて、「苦しいからやめよう」なんて微塵も考えませんでした。

 それを2年くらいやっていたら、自分でも気づかないうちにレベルが向上していて。海外のクリエーター勢からもダメ出しされるどころか、ものすごく褒められるようになっていきました。それはもう、ただがむしゃらにやってきたおかげだったのかなと思っています。

ーービリー・アイリッシュやセレーナ・ゴメス、レディー・ガガを擁する<INTERSCOPE Records>とマネージメント契約をすることになった経緯は?

Sakai:いいトラックが作れるようになると、優秀な人たちともどんどん繋がっていくようになるんです。まあ、それは日本も同じですね。で、日本のカルチャーが大好きなPoppyという女性アーティストのプロデュースをやりました。そうしたら、たまたま彼女のマネージメントが<INTERSCOPE Records>だったんです。マネージャーのニック・グローフが僕のことを気に入ってくれて、「Ryosukeのこともマネージメントしてみたい」と。それが縁で契約の話が進んだんですよね。ニックは音楽のセンスが良くて、ジェイコブ・コリアーやYUNGBLUD、古くはロビン・シックやBlack Eyed Peasなども担当していた人物です。

ちゃんみな、miletらとの共作秘話

ーー日本では、ちゃんみなやmilet、AK-69などへの楽曲提供もされていますが、Sakaiさんから見たそれぞれのアーティストの魅力についてお聞かせいただけますか?

Sakai:ちゃんみなとはタッグを組んで4年くらい経ってきているのですが、最初の頃に比べると彼女のアーティスト性もどんどん上がってきていますよね。サウンド先行で作って、それに合いそうなリリックを考えようという感じで制作していたのが、最近は彼女の中で「こういうことが歌いたい」というイメージがはっきりとある場合が多いので、それに合いそうなサウンドを考えながらトラックを提案して、それに対して彼女がまたトップラインを考えるみたいな。より多くのキャッチボールをしながら作るようになってきました。

 彼女はジャンルに囚われない人だし、音楽に対するハングリー精神もすごくある。音楽のスタイルよりも、伝えたい物事の本質を常に探している印象があります。言葉の使い方も独特なんだけど、みんなの心を使うキラーフレーズを生み出す力もある。そういう人って、今はいそうでいないんじゃないかなと思います。あと、トップラインのセンスもすごくいいんですよ。海外のクリエーターとコライトするのも楽しいのですが、ぶっちゃけ彼女と僕がいれば海外に行かなくても事足りるなと思う時もあります(笑)。

ーーmiletさんの印象は?

Sakai:miletもすごく面白いですね。僕と会う前はコライトセッションを全く経験してきていなかったのですが、僕と初めて会って作ってきた曲とか「本当に作ったことないの?」っていうくらいのレベルでした。あの小柄な風貌から、あの歌声が出てくることも驚きですよね。それに、根底で流れている音楽が僕と一番近いのはmiletだと思っています。なので、特に会話をせずとも「あ、そういうことだよね」みたいな阿吽の呼吸もある。「この展開には、こういうメロディを付けてくれたら嬉しいな」と思ったことを、パッとやれちゃうようなところがあって作業がしやすいです。

ーーラッパーのAK-69さんとは、プライベートでも交流があるそうですね。

Sakai:彼はめちゃくちゃ面白いですね(笑)。知り合いのエンジニアさんに紹介してもらったんですけど、彼もヒップホップに軸足を置きつつ貪欲にいろんな音楽を吸収しているし、「世界のクリエイティブを見たい」という気持ちもすごく強い人。初めて出会ってひと月後には「じゃあ一度、一緒にLAに行こう」となりました(笑)。そこでの吸収力もすごいし、向こうのソングライターともすぐ仲良くなるんですよね。彼も自分が出したいサウンドやリリックのビジョンが明確にあって、バンと打ち出す人なので一緒に作業がしやすいです。

音楽活動の根底にある“日本文化へのリスペクト”

Dr.Ryo – Late Night Flex (REMIX) feat. Bipolar Sunshine & Buddy [Directed by Koh Yamada]

ーーでは、今回Sakaiさんがソロ名義でリリースした「Late Night Flex」についてもお聞かせください。

Sakai:それこそこの曲は、AKくんとLAへ行った時にセッションで作った曲なんですよ。その時はAKくんと僕と、今回フィーチャリングしているマンチェスター出身のバイポーラ・サンシャインと3人でコライトしていて。それをマネージャーのニックに聴かせたら、「これめちゃくちゃいいじゃん!」となって。「Ryosukeのプロジェクトに使うべきだ」とずっと言ってくれていたんです。それでAKくんに相談したところ、快諾してくれたのでリリースすることになりました。

ーーどんなイメージで作った曲ですか?

Sakai:まずは「日本的な強さ」を出したいと思いました。「Late Night Flex」って、日本語に訳すのがちょっと難しいんです。flexには「見せびらかす」とか「カッコつける」みたいなニュアンスなんですけど、アメリカの「カッコつけ」だと、金とか車とか、すごく分かりやすい態度なんですけど、もうちょっとサムライ的というか。humble(謙虚)だけど、内に秘めた強さを静かに見せる感じがテーマになっています。

ーーオリエンタルな音色が入っているのも印象的です。

Sakai:僕もアメリカで音楽をやり出して7年とか経つんですけど、やっぱり日本ってものすごくカッコいい独自のカルチャーが多いと思っていて。ただ、和太鼓を入れるとかこれ見よがしにやるのは違うのかなと思っているんですよ。テイストとして日本やアジアの要素をトラックに馴染ませるのが、すごく楽しい。例えば向こうの和食屋さんとか見ていると「あ、こういうところを向こうの人はいいと思っているのだな」みたいに気付くことが多くて。それを音楽に応用していく感じですかね。

ーーラッパーのバディーはどういう経緯で参加することになったのですか?

Sakai:ニックの元同僚が、現在<RCAレコード>にいて「いいラッパーいない?」と聞いてもらったところ、バディーを紹介してくれて。しかも「Late Night Flex」を聴いて参加したいと言ってくれたんです。僕も彼の音源を聴いたところ、ラップのスタイルもカッコいいしスタイリッシュだし。僕らが提示したかった日本流のflexを、彼なら表現してくれるだろうと思ってお願いしました。

ーーそういう「日本らしさ」「サムライ感」みたいなものは、今後ソロを出す上でやはり大事にしていきたいところですか?

Sakai:僕の中にある「日本らしさ」は拭えるものではないし、意識しなくても出てくるものだなと思っていて。音源を出すにあたって自分のレーベルを作ろうということになり、レーベルの名前も「MNNF(モノノフ)」にしたわけです。僕、実は20代の時に会社を作ったんですけど、その時は「サムライ・エンタテインメント」という名前だったんですよね(笑)。15年以上前から、考えていることはそんなに変わっていないんです。「三つ子の魂百まで」じゃないですけど、日本文化へのリスペクトはもともと持っていたのだと思います。

ーー生き方としても「日本らしさ」は大切にしたいですか?

Sakai:誰に対してもhumbleでありたいという気持ちはあります。謙虚さって海外の人にもすごく伝わるし、日本人だからこそ培われてきた、意識せずとも立ち現れる振る舞いや気遣いに、自分自身もめちゃくちゃ助けられていて。世界中のクリエーターと一緒に仲良くさせてもらっているのは、そうやって自然と育まれた文化のおかげだと強く思っています。

ーーちなみにMVはどんなイメージで撮影したのでしょう。

Sakai:僕でもバイポーラでもない、全く違う人物がリップシンクすると面白いんじゃないか、という話を映像監督のKoh Yamadaと話をしていて。他にも、ジャケットに使われている模様を顔にペイントするとか、全体的に「Neo Tokyo」感を出そうとかいろんなアイデアを出して最終的にああいう作品に仕上がりました。リリックの中に〈late night cruising〉というフレーズが出てくるので、深夜に東京の街をオープンカーで走りながら、自問自答をしつつも静かに自信を滾らせているような雰囲気を、DJ エレナ・ミドリに演じてもらっています。

ーーところでコロナ禍になって、Sakaiさんの活動にはどんな影響がありましたか?

Sakai:海外に全く行けなくなったのは結構大きいですね。これまで1年の4分の1は海外にいたので、ちょっと体の一部を失ってしまったような喪失感がありました。でも、いつまでも落ち込んでいても仕方ないので、とにかくどんどんクリエイティブにやっていこうと今は思っています。ステイホームになって、みなさんが音楽を聴く機会も増えてきているだろうし、もちろんエンタメ業界に逆風はありますが、その一方で音楽がこれまで以上に求められている気もするので、より一層クリエイティブな方向に意識が向かっていますね。

ーーしばらくは、予断の許さない状況が続くのでしょうね。

Sakai:おそらく今年も海外へ行くのは厳しいかも知れない。これまで自分は海外で刺激をもらっていた部分が大きかったのですが、これからは日本でどうやって自分に刺激を与えられるかが課題ですね。プロデュースの仕事もそうですし、モノノフのレーベル運営もそう。今回は第一弾として自分の音源を出したのですが、実はこのあと3組ほどアーティストの音源リリースが決まっていて。すでに名が知られている、びっくりするような人もいます。音楽だけでなく、今後はアートなどにも絡めた音楽なども展開できたらと思っていますのでぜひ期待していて欲しいです。

■リリース情報
Dr.Ryo「Late Night Flex feat. Bipolar Sunshine」
配信はこちら

Dr.Ryo「Late Night Flex (REMIX) feat. Bipolar Sunshine, Buddy」
配信はこちら

■Ryosuke “Dr.R” Sakai 関連リンク
公式Twitter
https://twitter.com/ryosukedoc
公式YouTube
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公式Instagram
http://instagram.com/iamdrryo​

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