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秋吉久美子 秋吉の成分

スケールの大きい映画が教えてくれること

全10回

第2回

20/9/25(金)

「空気を読む」ばかりでは危うい

映画って撮影や編集やCGみたいな技術は昔よりぐんと進んでいいところもあるかもしれないけれど、たとえば1950年代の日本映画の黄金期の作品などに比べたら、ちょっと中身の部分でペースダウンしちゃったと思うんです。黒澤明監督とか溝口健二監督、そして私がご一緒できた今井正監督もそうだと思うんですが、作品的にも太くて強くて素晴らしくて、しかもそういう試みにお金をかけられた時代があったわけですよね。

それはやっぱり映画会社がちゃんと映画を作っていて、しかも余裕があったからで、今やそれぞれに優れた監督がいても、一本作って失敗したら終りになるかもしれないと思うと、どうしても思いきって打って出ることができないと思う。もちろんそれゆえに一本を命がけで撮る、という迫力が出ることもあるかもしれないけれど、昔のように映画会社のシステムのなかで安心して撮れないと、逆にいろいろなリスクヘッジに頭が行ってブレてしまう側面もあるのでは。

たとえば『七人の侍』などを観ていると娯楽大作でありながら、社会や人の生き方についての図太い意見や姿勢も備わっています。その頃の映画は、芸術としてリスクを背負って社会の矢面に立って主張するという志があったと思う。周りの顔色をうかがってこぢんまりとしたものを創るのではなくて。そろそろ私たちも、そういうかつての志をとり戻さないと本当にまずい気がします。それは芸術分野に限らず、政治から私たちのいつもの暮らしから、すべてに言えることですが、とにかく周りを気にする、いわゆる「空気を読む」みたいなことばかりしていると文化も生活も危ういと思うんです。

古典は大きな物差しをくれる

ちょうど今回の『秋吉久美子 調書』には、私がこれまでさまざまな映画の現場で「やらかして来た」ことが語られていますが、これを読んで「ああ、こんな人もいたんだ。何やってるんだ、この人は」(笑)みたいな発見をしてほしい。私の、この脳が幼いがゆえにズバズバ本音を言ってきたことで失ったものもけっこうあったとは思うんですが、凄く得たもの、実現できたものも大きかったはずなんです。今は真綿で首を締めるような雲のなかにみんなが不自由そうにさまよっているけれど、「こんな自由で天真爛漫な人もいたんだ」と解放されてほしいですね。

もちろんこれを読んで、まんま私みたいに生きてほしいとは思いません。だってやっぱり不器用にもほどがある生き方なので(笑)。でも、ちょっと刺激されて、何か自分の手の届く範囲だけでなく、自分を超えた大きなものに関わってゆくという気持ちにみんながなってくれたらいいなあと思う。「涓滴岩を穿つ(けんてきいわをうがつ)」ではないですが、私はかすかなひとしずくですけど、こういう考えの自由な人が増えたら社会も変わるかもしれない。

そういう大きな物差しでものを考えるには、やっぱり『カラマーゾフの兄弟』みたいな古典を読むのがいいかもしれない。むろん俳優を志すような人であれば、もう業界の誰それとお近づきになろうとか努力する前に(笑)まず『カラマーゾフの兄弟』を読むべき。たとえばあの小説のカラマーゾフ家の使用人のスメルジャコフは、小説『指輪物語』に出て来るゴクリ、映画版の『ロード・オブ・ザ・リング』ではゴラムという呼び名になっていましたが……あの“マイ・プレシャス”という台詞で有名なゴラムの原点だと私は思うんです。私のなかではゴラムが現れると、「出た!スメルジャコフ」という感じになる。

そんなふうにたくさんの純文学の名作が、映画の骨格や設定の原点になっているはずで、本をたくさん読んでいるとそういう気づきが楽しい。本と映画の面白さが両方広がります。同じように『復讐するは我にあり』という映画が凄く面白いのは、後ろにキリスト教という骨格があるからで、別に無宗教であってもいいわけですが、いちどキリスト教でも仏教でも神道でもいいので宗教的なディメンションでものごとを考えてみる、という経験はあったほうがいいのでは、と思います。そうすることで、まわりの目線をおどおど気にしてがんじがらめになるような日常からも解放されるし、文学や映画の理解も深まるでしょう。

『秋吉久美子 調書』より

信仰の前にまず「私」あり

たとえばヴィスコンティの『地獄に堕ちた勇者ども』という映画は禁断の性愛が描かれますが、あれもキリスト教の地盤がある国であれをやってしまう、というところで衝撃度が増しているはずなんです。あそこで描かれているのは宗教的背景がなければただのマザコン(笑)や富裕層の乱痴気騒ぎに過ぎないけれど、キリスト教が前提にあるがゆえに「地獄」になる。たまたまあの映画は背徳的な内容ですが、そうやって何につけ宗教のような大きな背景があると物語にダイナミズムが生まれますよね。

そこから派生した話ですが、たとえば宗教のバックボーンがある国でLGBTの権利を主張して闘うというダイナミックな運動が起こったのに、はるか戦国時代からお小姓文化のある日本はどうだったか。真っ先にLGBTの権利がうたわれてもいいはずなのにそうではなかった。海外だとカトリックの国なのにイタリアでは『禁じられた恋の島』だのフランスでは『個人教授』だの(笑)何十年も前に作っちゃう。敬虔なカトリックなのに、恋愛至上主義(笑)。宗教は大事にしつつ、まずは我あり。日本はそういう意味では穏やかで平和な国かもしれないけれど、こういう海外の人たちのあり方って凄いですよね。

私が遠藤周作さん原作の『深い河』に出演した時も、あの主人公は神から逃げている時は自分自身がわからなくなっていて、神と対峙した時にはじめて自分を得たヒロインだった。でもヨーロッパの人たちは神と対峙することによって、自分が神よりも前に出ちゃう(笑)。つまりあの人たちのエゴというのは日本人の「わがまま」とは本質的にステージが違うんですね。だから、日本人の私はいくら突っ張ってもあのステージに行くことは出来ないんだな、文化的に勝てないんだなって思ったりします。

でも最近はイタリア映画もフランス映画も、そういう強烈なエゴを感じさせないかも。やっぱり世界じゅうがハリウッドや中国のビッグマネー大作に席巻されているのかな(笑)。だから新首相の菅さんは「自助、共助、公助、そして絆」の社会像を目指すとおっしゃっていますが、もう私たちは日々の大変な暮らしから自助も共助も絆も心がけておりますのでぜひ公助をこそお願いしますと申し上げたい。つまり、ぜひ海外のように映画産業をもっともっと助成して、作り手が安心して存分にいいものを創れる環境を実現してほしいですね。

秋吉久美子 成分 DATA

『七人の侍』
1954年 東宝
監督・脚本:黒澤明 脚本:橋本忍/小国英雄
出演:三船敏郎/志村喬/木村功/加東大介/宮口精二/稲葉義男/千秋実/津島恵子/土屋嘉男/藤原釜足

『カラマーゾフの兄弟』
ロシア/フョードル・ドストエフスキー著

『指輪物語』
イギリス/ J・R・R・トールキン著

『ロード・オブ・ザ・リング』
2001年 アメリカ・ニュージーランド
監督・脚本:ピーター・ジャクソン
出演:イライジャ・ウッドフロド/イアン・マッケラン/リブ・タイラー/ビゴ・モーテンセン/アンディ・サーキス

『復讐するは我にあり』
1979年 松竹
監督:今村昌平 原作:佐木隆三 脚本:馬場当/池端俊策
出演:緒形拳/三國連太郎/倍賞美津子/小川真由美/ミヤコ蝶々

『地獄に堕ちた勇者ども』
1954年 イタリア・スイス・西ドイツ
監督・脚本:ルキノ・ヴィスコンティ
出演:イングリッド・チューリン/ヘルムート・バーガー/ウンベルト・オルシーニ/シャーロット・ランプリング/ダーク・ボガード

『禁じられた恋の島』
1962年 イタリア
監督・脚本:ダミアーノ・ダミアーニ
出演:ヴァニ・ド・メイグレ/ケイ・マースマン/レジナルド・ケルナン

『個人教授』
1968年 フランス
監督・脚本:ミシェル・ボワロン
出演:ナタリー・ドロン/ルノー・ベルレー/ロベール・オッセン/ベルナール・ル・コク

『深い河』
1954年 東宝
監督・脚本:熊井啓 原作:遠藤周作
出演:秋吉久美子/奥田瑛二/井川比佐志/沼田曜一/菅井きん/香川京子/三船敏郎

『秋吉久美子 調書』(筑摩書房刊/2,200円+税)
著者:秋吉久美子/樋口尚文

特集上映「ありのままの久美子」
2020.10.17〜30 シネマヴェーラ渋谷

上映作品:『十六歳の戦争』(1973)/『赤ちょうちん』(1974)/『妹』(1974)/『バージンブルース』(1974)/『挽歌』(1976)/『さらば夏の光よ』(1976)/『あにいもうと』(1976)/『突然、嵐のように』(1977)/『異人たちとの夏』(1988)/『可愛い悪魔』(1982)/『冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-』(1981)/『さらば愛しき大地』(1982)/『誘惑者』(1989)/『インターミッション』(2012)

取材・構成=樋口尚文 / 撮影=南信司

当連載は毎週金曜更新。次回は10月2日アップ予定です。

プロフィール

秋吉久美子(あきよし・くみこ)

女優・詩人・歌手。1972年、松竹『旅の重さ』で映画初出演、その後、1973年製作の『十六歳の戦争』で初主演を果たし、1974年公開の藤田敏八監督『赤ちょうん』『妹』『バージンブルース』の主演三部作で一躍注目を浴びる。以後は『八甲田山』『不毛地帯』のような大作から『さらば夏の光よ』『あにいもうと』のようなプログラム・ピクチャーまで幅広く活躍、『異人たちとの夏』『深い河』などの文芸作での主演で数々の女優賞を獲得。早稲田大学大学院公共経営研究科修了。

樋口尚文(ひぐち・なおふみ)

映画評論家、映画監督。著書に『大島渚のすべて』『黒澤明の映画術』『実相寺昭雄 才気の伽藍』『グッドモーニング、ゴジラ 監督本多猪四郎と撮影所の時代』『ロマンポルノと実録やくざ映画 禁じられた70年代日本映画』『「砂の器」と「日本沈没」70年代日本の超大作映画』ほか多数。共著に『有馬稲子 わが愛と残酷の映画史』『女優水野久美』『万華鏡の女女優ひし美ゆり子』『「昭和」の子役 もうひとつの日本映画史』など。監督作に『インターミッション』『葬式の名人』。早稲田大学政治経済学部卒。

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