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『麒麟がくる』はまるでファンタジーRPG? 今後の見どころは明智光秀の“弱者”としての人物像

リアルサウンド

20/3/29(日) 6:00

 NHK大河ドラマ『麒麟がくる』は、明智十兵衛光秀(長谷川博己)の生き様を描いた戦国時代の物語だ。国民人気の高い織田信長を裏切り、本能寺の変を起こした明智光秀は主君を討った逆賊として知られており、過去の大河ドラマでは“悪役”として描かれることが多かった。

参考:『麒麟がくる』本木雅弘、ついに“剃髪”姿に 「ますます道三パワーを巻きちらしていきたい」

 そんな光秀をどう描くのか? が本作の見どころだが、第10回までの印象で言うと、物語はとても見やすく、まるで『ドラゴンクエスト』シリーズ(スクエア・エニックス)のようなファンタジーRPG(ロールプレイングゲーム)を楽しむように、戦国時代の世界に入ることができた。

 たとえば、RPGでは、プレイヤーが依頼を受けてあちこちを旅して重要なアイテムを探したり、敵を倒すといった小さなイベントをこなしていく様子を「おつかい」というが、光秀が主君の斎藤道三(本木雅弘)や帰蝶(川口春奈)の命を受けて各所を旅する展開はRPGの「おつかい」そのもの。その過程で、光秀たち明智家が仕えている斉藤家を中心とした戦国時代の戦力分布図(世界観)が、肌感覚で理解できるようになっていくという丁寧な作りとなっている。そのため、戦国時代の専門知識がなく、敷居が高いと思っている視聴者にとっても、徐々に作品世界に慣れることができる。

 つまり、ゲームで言うところのチュートリアル(操作方法や機能の解説)が丁寧なのだ。下落した視聴率がじわじわと盛り返しているのは、こういった作り手が設定したゲーム的な導入がとてもうまくいっているからだろう。

 2016年のNHK大河ドラマ『真田丸』でも、歴史シミュレーションゲーム『信長の野望』の制作会社・コーエーテクモホールディングスが「フル3D全国一枚マップ」の技術提供をしたことが話題となったが、そもそも『真田丸』自体が戦略シュミレーションゲーム的な駆け引きの面白さが盛り込まれた大河ドラマだった。こういったゲーム要素の移植は、今後の大河ドラマの生き残りを考える上で、とても重要な取り組みだと言えるだろう。

 物語としては、やはり光秀と織田信長(染谷将太)の対話が印象に残る。染谷将太が演じる信長は人懐っこい子供じみた愛嬌がある一方で、何を考えているかわからない不気味さがある。第10話で嬉しそうに母親との想い出を語る姿は、音楽とのギャップもあってか、とても不穏で、その後、後の徳川家康となる松平竹千代(宮田琉望)が登場する場面となると、信長だけでなく竹千代の不気味さも際立ってくる。

 染谷は映画『バクマン。』で天才漫画家・新妻エイジ、NHK連続テレビ小説『なつぞら』では天才アニメーター・神地航也といった、子供っぽい天才役を演じさせたら右に出るものがいない俳優だ。この信長の不気味さも、染谷が過去に演じてきた子供っぽい天才が持つ人懐っこさと残酷さを同時に兼ね備えているように見えるからだろう。

 そんな信長と対峙することではっきりするのが、本作における光秀の現代性である。雑誌『PRESIDENT 2020.3.20号』(プレジデント社)に、先日亡くなられた野球監督の野村克也の最後のインタビューが3本収録された。そのうちの1本は「日本人よ、いい加減、明智光秀を許しなさい」というタイトルで野村監督の著作『野村克也、明智光秀を語る』(プレジデント社)の一部を再編集したものだった。野村監督は生前、光秀に深い共感を示していたそうで「英傑ではあったが、英雄にはなれなかった男」だったと言う。

 インタビューでは「弱者の道を歩み続けた」男と光秀を定義し、野球監督の視点から見た光秀論が語られるのだが、読んでいて「なるほど。今の日本は、織田信長でも坂本龍馬でもなく、明智光秀の時代なのだな」と思った。

 光秀は謎の多い人物で、歴史の表舞台に現れるのは信長の家臣となる41歳の時で、若い時は流浪の日々で、貧困にあえいでいた時もあったという。仕える主君も転々としており、今でいうと非正規雇用の派遣社員といった感じだろうか。41歳まで安定しない立場は、就職氷河期を体験してロストジェネレーションと呼ばれた団塊ジュニア世代のようでもある。

 そんな光秀が年下の織田信長の家臣となるのだが、ブラック企業のワンマン社長のような信長に理不尽な働き方を強いられ、パワハラの果てに謀反を起こしてしまうのだから、実にやりきれないものがある。

 暴君だが頭の切れる信長に見出されて、下っ端の武家奉公人から天下人に出世した豊臣秀吉が戦後生まれの団塊世代のロールモデルだったとすれば、光秀はその子供世代にあたる団塊ジュニアの分身であり、格差社会で非正規労働にあえぐ人々にとっては、光秀の方がシンパシーを感じる存在だと言えるだろう。

 「光秀は弱者であり、敗者だった。つまり、私たちもまた光秀になる可能性を持ち合わせている。だから私は、『人はみな明智光秀である』と思うのだ」と野村監督は評しているが、こういった光秀像を描けるかどうかが、今後の『麒麟がくる』の見どころだろう。今のところ的確に駒を進めていると思う。(成馬零一)

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