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『修羅の門』が格闘技ファンの心を掴んだ理由 古武術vs現代格闘技のロマン

リアルサウンド

20/9/13(日) 10:00

 あの異常なまでの格闘技ブーム。その炎が世間的にも鎮火し、私自身も現在はどんな選手がいてどのような闘い模様となっているのかもわからくなってしまってからもう久しい。だがしかし、そのような現状でも今も心の中でメラメラと燃え続ける物語があり、ある男の復活をどこかで待ち続けている自分がいる。

 その男の名は陸奥九十九。そして物語の名は『修羅の門』という。

“一子相伝”の古武術vs現代格闘技

 『修羅の門』(講談社)は『月刊 少年マガジン』において1987年から1996年まで連載された後に長期休載され、2010年11月号より『修羅の門 第弐門』として連載を再開し、2015年7月号で完結した作品である。

    四百戦無敗どころか、千年間無敗を誇る幻の古武術”陸奥圓明流(むつえんめいりゅう)”。その唯一の継承者である陸奥九十九がすっとぼけた顔でふらりと現代格闘技界に現れ、陸奥圓明流こそが地上最強であることを証明するため、フルコンタクト空手や柔術、レスラーにボクサーに元力士、更には傭兵あがりなどの各分野のスペシャリストと死闘を繰りひろげる物語がこれだ。

 「ゴチャゴチャ言わんと、誰が一番強いか決めたらええんや!」とかつて現実社会で某格闘王が言い放ったセリフ通り、陸奥九十九の出現が引き金となって「全日本異種格闘技選手権」が行われ、死闘の末に陸奥は優勝を果たす。それどころか海を渡りボクシングのルール内でも陸奥圓明流の技を駆使しボクシング統一王者にもなり、はたまたブラジルのヴァ―リトゥード大会でも優勝。「K-1」や「PRIDE」以前に異種格闘技の決定盤ともいえる大会を劇中で実現させたことに格闘ファンは大いに興奮させられることとなった。

 “一子相伝”の古武術vs現代格闘技というなんともそそられる構図、「ナメてた相手が実は武術の達人でした!」な痛快の展開、小さき者が大男をぶっ倒すブルース・リーやジャッキー・チェンから続くカンフー映画の王道を行く路線がマニアックな格闘技ファン以外の読者の心をも見事に掴み、90年には第14回講談社漫画賞少年部門を受賞している。

 いわば格闘マンガ界の金字塔ともいえる作品、それがこの『修羅の門』。キャラの強さや過激さでは板垣恵介による格闘漫画『グラップラー刃牙』(秋田書店)の方に軍配があがるかもしれぬが、次のページやコマを見ないように注意しなければならないほど突然の展開が待っている予断を許さぬスリリングな攻防の描き方は天下一品。何度も何度もハラハラさせられつつも結果的に大きな感動が毎試合ごとに押し寄せてくる話運びにひたすら夢中になったもんである

連載時の格闘技界の様子

 さて、連載がスタートした87年という時代が我が国の格闘技界においてどういう時代だったかというと、 “初代タイガーマスク”佐山聡が「修斗」を創設したのがその3年前の84年。佐山は虎のマスクを脱ぎ捨てて現在の総合格闘技ルールの基礎となる理論と概念を追い求めていた。86年には『格闘技通信』(ベースボール・マガジン社)が創刊され、『ゴング』(日本スポーツ出版社)も『ゴング格闘技』へ改題。また1988年5月には、第2次UWF(新生UWF)が設立され「現象」と言えるほどの一大ムーブメントを起こした。

 一方、空手会に目を向けてみると、極真空手の86年と87年のオープントーナメント全世界空手道選手権大会の覇者は松井章圭(現・国際空手道連盟極真会館 館長)であり、87年の決勝で松井がくだしたのはかのアンディ・フグである。

 つまり時代の流れはプロレスから格闘技へと移り変わろうとしており、ショー的な要素が排除されたリアルファイトに近い闘いを選手もファンも求め始めていた頃である。また格闘技が更なるビッグビジネスへと転換する可能性が見え始めた時期であったともいえよう。

 そんな時代背景の中で生まれた本作には単なるショーではない格闘技としてのプロレスを提唱し、試合中に対戦相手に怪我をさせ真日本プロレスより謹慎処分を受けていたレスラー「飛田高明」が登場するのだが、このモデルはもちろん前田日明。陸奥九十九との試合後、自分の理想を追い求め新格闘団体RWFを旗揚げするところまでも含めて完全に前田である。

 そんな前田日明率いるUWFの誕生を機に時代もイデオロギーも変わってしまった。プロレスという壮大な幻想のなかに見え隠れするリアリティ(ガチンコでの強さ)を嗅ぎ取って楽しむ時代から、確固たるリアリティのなかに逆に幻想を見つけ出す時代へ移り変わっていったわけだが、我々のように根っこの部分がプロレスや梶原一騎作品で人間を形成された者としては何事にもファンタジーを追い求め続ける性(さが)がある。現在のように、いかにプロレスがエンターテイメントだと割り切った上での盛り上がりをみせようと、アントニオ猪木が撒いた種や梶原作品の呪縛から離れられないのだ。

 話はそれたが、本作は古武術の幻想のみならず、そういった古(いにしえ)のプロレス幻想、極真幻想、それから相撲最強説からグレイシー幻想までもをキッチリと守り、どの格闘技も貶めることなく敗者の美学すらきっちりと魅せてくれる。そんな作者の格闘愛と心遣いにいつも敬服させられてしまうのだ。

 ただし、ここまで述べてきたのは『修羅の門』の第一部でのお話。2010年からスタートした「第弐門」は中国の暗殺一族の登場で一気にファンタジー色が強くなっていき、繰り出される技も“神”や“超人”の領域ではないと不可能なものばかりである。もちろんこれはこれで楽しめる内容であるし、我々は幼少期に読んだ『「リングにかけろ』」においてリアルファイトから突然ファンタジーファイトへ突入していく免疫は十分についている。

 大晦日に民放TV3局で格闘技イベントが放映されるという異常事態となった2003年以来、急激に終焉を見せた格闘技ブーム。未知の技術の攻防にしてもやる側も観る側も展開がよめるようになってきた。そんな現状を打破するにはやはり本作も実在しない古武術ならではのファンタジックなスーパーファイトで魅せるしかなかったのかもしれない。

 現実世界の格闘技ブームよりも長く続いた本作だが、第弐門のラストで生涯のライバルである海堂晃との決戦の後、陸奥九十九はどこへ向かったのか? 伝説は美しいまま幕を閉じた方が良いような気がしつつも旅の行く末も気になる。続編が難しいならばその子供や弟子たちによる闘いを見せてほしいという期待もある。現在話題のよく出来たドラマ『ベスト・キッド』の続編『コブラ会』(YouTube Premium/NETFLIX)を観ながら、そんなことをつい想ってしまうのであった。

■恒遠聖文(つねとお・きよふみ)
73年生まれ。ライター。音楽雑誌を中心に幅広く執筆。

■書籍情報
『修羅の門』
川原正敏 著 
価格:電子版・462円(税込)
出版社:講談社
公式サイト

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