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川本三郎の『映画のメリーゴーラウンド』

『かくも長き不在』のジュークボックスの話から…山田洋次監督の『虹をつかむ男』と『遥かなる山の呼び声』、ともに『かくも長き不在』につながる作品です。

隔週連載

第44回

20/2/18(火)

 ジュークボックスが印象的に使われた映画にマルグリット・デュラ脚本、アンリ・コルピ監督の『かくも長き不在』(1960年)がある。日本公開は1964年の夏。東京オリンピックのあった年で、このころから日本でもジュークボックスが普及している。
 アリダ・ヴァリ演じる主人公のテレーズ・ラングロワはパリの西郊ビュトーで小さなカフェを営んでいる。カフェにはジュークボックスが置かれている。レコードの入れ替えの場面があるからレンタルのものだろう。
 ヴァカンスで人が少なくなった夏のある日、テレーズは、町を歩く中年の浮浪者(ジョルジュ・ウィルソン)に気付き、胸騒ぎがする。戦時中にナチスに連れ去られ収容所に入れられ、そのまま戦争が終わっても帰ってこない夫のアルベールによく似ている。しかし、確証はない。
 浮浪者に話しかけてみて、記憶喪失であることを知る。戦争後遺症か。当然、テレーズが誰か分からない。
 十年以上、夫の帰りを待っているテレーズはこの浮浪者のことが気になって仕方がない。戦争によって引き裂かれた夫ではないのか。
 テレーズはある試みを思いつく。
 一日、ジュークボックスに、かつて夫が好んで聴いていたオペラのレコードを何枚か入れる。そして浮浪者をカフェに招き入れ、レコードをかける。
 流れてくるのはロッシーニ『セビリアの理髪師』のアリア『蔭口はそよ風のように』。浮浪者は一瞬、懐しそうに聴き入るが、それ以上の反応は示さない。
 夫ではないのか。別の日、テレーズは今度は浮浪者を食事に誘う。店は休業にし、二人だけになる。ジュークボックスから今度は、やはり夫の好きな曲だったのだろう、『セビリアの理髪師』のアリア『アルマヴィーヴァの歌』が流れてくる。
 二人は椅子に並んでジュークボックスから流れてくる愛の歌を聴く。その姿をうしろからカメラでとらえる。まるでジュークボックスが劇場で、二人はそこで上演されているオペラを鑑賞しているようでこのシーンは美しく胸を締めつけられる。
 次にテレーズはシャンソンのレコードをかける。その曲に合わせ、テレーズは浮浪者の手を取って踊り始める。
 流れる曲は、この映画のために作られた『三つの小さな楽譜』。作曲はジョルジュ・ドルリュ。作詞は、この映画が1964年にアートシアターで公開された時のプログラムにある音楽評論家、蘆原英了の文章によれば、監督のアンリ・コルピ自身だという。歌っている歌手はコラ・ヴォケールで、ジャン・ルノワール監督の『フレンチ・カンカン』(1954年)で主題歌の『モンマルトルの丘』を歌ったので知られる。
 テレーズは踊りながらふと手を浮浪者の頭のうしろにやる。頭に大きな傷跡があり驚く。この人は収容所でひどい目にあったらしい。
 曲が終わったあと、浮浪者はなぜか逃げるように去ってゆく。

 山田洋次脚本・監督の『虹をつかむ男』(1996年)は、徳島県の吉野川沿いの小さな町で、経営難になりながらもなんとか昔ながらの映画館を続けてゆこうとする映画好きの館主の物語。
 西田敏行演じるこの主人公は、好きな映画の話になると夢中になる。ある時、町の数少ない映画好きの前で熱を込めて話す映画は『かくも長き不在』。それも、テレーズが愛のシャンソンに合わせて浮浪者と踊るシーン。このフランス映画の名場面であることが分かる。ちなみに、浮浪者が本当にテレーズの夫のアルベール・ラングロワであるのかどうかは最後まで明らかにされない。

 『かくも長き不在』には、こんな印象的な場面もある。
 自分一人では浮浪者が夫のアルベールかどうか自信がないので、ある時、テレーズは故郷からアルベールの叔母と甥を呼び、確認してもらおうとする。
 浮浪者を店に呼び入れ、ビールを出し、椅子に座らせる。少し離れたテーブルのところに叔母と甥、そしてテレーズが座る。三人は浮浪者に故郷のこと、テレーズがイタリアから移住してきたこと、アルベールが逮捕されたあとも独身でいることなどを浮浪者に聞えるように大声で話し、反応をうかがう。
 結局は何の反応もないのだが、このシーンを観て、ある映画を思い出さないだろうか。
 いうまでもなく山田洋次監督の『遥かなる山の呼び声』(1980年)。
 警察に逮捕され、網走刑務所へ護送されてゆく高倉健の乗った列車のなかに、気のいい隣人、ハナ肇と、互いに愛し合うようになった倍賞千恵子が乗り込んでいる。護送の警官が付いているので二人は直接、高倉健には話しかけられない。
 そこで隣の席に座り、大声で高倉健に聴えるように、倍賞千恵子が出所するまで高倉健を待つつもりでいることを話す。それを聴いて、高倉健が泣く!
 この感動的な場面は、『かくも長き不在』のカフェの場面に想を得たのではあるまいか。

 

イラストレーション:高松啓二

紹介された映画


『かくも長き不在』
1960年 フランス
監督:アンリ・コルピ
脚本:マルグリット・デュラス/ジェラール・ジャルロ
出演:アリダ・ヴァリ/ジョルジュ・ウィルソン/ジャック・アルダン
DVD&Blu-ray:KADOKAWA



『虹をつかむ男』
1996年 配給:松竹
監督・原作:山田洋次
脚本:山田洋次/朝間義隆
出演:西田敏行/吉岡秀隆/田中裕子/倍賞千恵子/前田吟/永瀬正敏/田中邦衛/すまけい/柄本明/下絛正巳/三崎千恵子
DVD&Blu-ray:松竹



『遥かなる山の呼び声』
1980年 配給:松竹
監督:山田洋次
脚本:山田洋次/朝間義隆
出演:倍賞千恵子/高倉健/ハナ肇/武田鉄矢/鈴木瑞穂/大竹恵/吉岡秀隆/神母英郎/粟津號/杉山とく子/畑正憲/渥美清
DVD&Blu-ray:松竹



プロフィール

川本 三郎(かわもと・さぶろう)

1944年東京生まれ。映画評論家/文芸評論家。東京大学法学部を卒業後、朝日新聞社に入社。「週刊朝日」「朝日ジャーナル」の記者として活躍後、文芸・映画の評論、翻訳、エッセイなどの執筆活動を続けている。91年『大正幻影』でサントリー学芸賞、97年『荷風と東京』で読売文学賞、2003年『林芙美子の昭和』で毎日出版文化賞、2012年『白秋望景』で伊藤整文学賞を受賞。1970年前後の実体験を描いた著書『マイ・バック・ページ』は、2011年に妻夫木聡と松山ケンイチ主演で映画化もされた。近著は『あの映画に、この鉄道』(キネマ旬報社、10月2日刊)。

  出版:キネマ旬報社 2,700円(2,500円+税)

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