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スマホを持ったヒロインの恋愛はどう変わった? 『愛していると言ってくれ』の反響から紐解く

リアルサウンド

20/6/24(水) 6:00

 1995年の大ヒットドラマ『愛していると言ってくれ』(TBS系)の「2020年特別版」への反響として、非常に多かったのが「ケータイ・スマホがない時代はよかった」という声である。「待ち合わせで待ちぼうけとか、今はない」「待ち伏せもなかなか面白かった」などの意見もあったが、確かに、恋愛ドラマにおいて「すれ違い」は重要な要素。

【写真】令和版東京ラブストーリーのキャスト

 恋愛ドラマが盛り上がった90年代などの作品に比べ、ケータイやスマホが登場したことで、すれ違いがなくなり、恋愛ドラマが衰退していったという指摘はしばしば囁かれる。

 はたして本当にそうなのか。

■ケータイの有無が表れる「ライバルの関わり方」

 『愛していると言ってくれ』の場合、豊川悦司の演じる榊晃次が後天性聴覚障害を持つこともあって、余計にすれ違いまくっていた。

 例えば、紘子(常盤貴子)の出演するお芝居を観に行くと約束した晃次だが、嫉妬した義妹(矢田亜希子)がタクシーの運転手に別の場所を告げたことで、会場になかなかたどり着けない。しかも、ようやく会場に到着した晃次が、入場を拒まれ、紘子への手紙を託すと、それも義妹が邪魔して奪ってしまう。

 ケータイ(携帯電話)があれば、遅れることも、さらに会場に来たが入れなかったことも、メールで本人に直接伝えられただろうに。

 また、ケータイがないから、直接家に会いに行き、よせばいいのに、ちょうど義妹が抱きついている場面を目撃してしまう。初めてFAXが来たときは、嬉しくてすぐ家まで会いに行った紘子と、紘子の家に向かった晃次がすれ違い、待ちぼうけとなるシーンもあった。これもケータイがあれば、相手が自宅にいるかどうか確かめた上で行くはずなので、今ではなかなか起こりえないすれ違いだろう。

 ところで、改めて振り返ってみてケータイの有無の違いを大きく感じたのは、「ライバルの関わり方」である。

 序盤~中盤まではことごとく二人の仲を邪魔するのが晃次に思いを寄せる義妹だが、そもそもケータイがあれば二人が直接やりとりできるので、誤解やすれ違いが成立しない。恋愛ドラマのすれ違いを大いに盛り上げてくれるのは、嫌がらせ、横恋慕するライバルの存在だが、そうしたライバルが秘密裏に暗躍しやすかったのが、ケータイのない時代だった。

 しかし、既にスマホを持ってしまった現在の人間から見ると、無い時代の人々の距離の近さや無防備さは恐ろしくも感じられる。

 例えば、劇場の入り口にいた人(しかも、紘子に思いを寄せる健一/岡田浩暉)に個人情報が書いてある手紙を渡したり、紘子の公演バイト仲間に手紙を託したりする晃次の無防備さには、「悪用されると考えないのだろうか」と心配になる。

 また、そこはキャラクター性による部分も大きいが、相手の都合もわからないのに、いきなり自宅に訪ねていったり、手紙を見つけると、卒業アルバムを勝手に引っ張り出して差出人の名前と顔をチェックする紘子のことを非常に厚かましく感じてしまう。

 素直で猪突猛進型のヒロインや、意地悪な横恋慕をするライバルが恋愛ドラマを盛り上げていた90年代。それはドラマチックで、刺激的で、大きな魅力を持つ一方で、スマホのある現在に生きる自分たちの感覚からすると、恐ろしく感じられる部分はある。

 さらに、1991年に放送された鈴木保奈美×織田裕二らの平成版『東京ラブストーリー』(フジテレビ系)と、伊藤健太郎×石橋静河らの出演で約29年ぶりに再ドラマ化された『東京ラブストーリー』(FOD)では、ケータイ・スマホの有無が様々な場面に影響を与えている。

■平成/令和版『東京ラブストーリー』で描く“すれ違い”

 インタビュー記事で「令和版」の清水一幸プロデューサーは、「現代でも、携帯電話があるからといって確実に連絡が取り合えるとは思いません」(引用:https://mantan-web.jp/article/20200529dog00m200058000c.html)と語っていたが、その言葉通り、「令和版」ドラマでも様々なすれ違いが見られる。

 固定電話と公衆電話で連絡を取り合っていた平成版では、待ち合わせ場所に来ない相手をひたすら待ちぼうけするシーンがあった。その点、令和版ではスマホによって約束を簡単に反故してしまう。

 例えば、リカ(石橋静河)との食事に向かう途中、さとみ(石井杏奈)からLINEで呼び出されたカンチ(伊藤健太郎)は、リカに電話をし、ウソの理由であっさり食事をキャンセルしてしまう。このあたりの感覚は、スマホでいつでも直接すぐに連絡を取り合えるからこその、約束の軽さなのだろう。しかし、軽く嘘をつき、軽くキャンセルできても、その無計画な嘘がバレたときの怖さを知らないというのも、現代ならではかもしれない。

 また、三上(清原翔)のスマホに表示されたLINEが見えてしまったさとみは、その名前から相手のインスタのアカウントを突き止め、顔写真などを確認する。平成版では突然おでんを持って押し掛ける「おでん女」として恐れられていたさとみが、令和版では期待通り浮気疑惑でのSNSチェック&LINE連発・スマホかけまくり女に変わっていた。

 また、カンチの優柔不断ぶりは相変わらずで、「リカに会いたい」の一言だけ入力し、思いとどまり、ようやく送信したのは翌日というところに、スマホを持つことによって増していく臆病さ・慎重さが見える。

 逆に、平成版ではよく待ちぼうけを食らっていたリカは、スマホがある令和版ではもっと自由奔放で、気がまわり、デリカシーのあるタイプになっている。カンチに自分の位置情報をスマホで送ったり、「明太子買ってきて!」などのLINEは「既読無視」しつつ、カンチのデスクの上に明太子を置いていったり。また、さとみと三上が交際を始めたことを聞き、カンチが動揺しまくる場面では、仕事の連絡が入った風を装い、席を外し、カンチを連れ出してあげる口実にスマホを利用していた。

 三上の女たらしぶりも、スマホの扱い方に現れている。複数の女性と交流があるくせに、LINEを非表示にするなどの小細工をしない「そのまんま」ぶりには自信やポリシーが窺える。さらに、食事を誘い続けていた相手がようやくOKしたかと思えば、自分のスマホを無造作に渡し、「じゃ、連絡先入れといて」と相手に能動的に介入させるラフさとズルさ。モテる男がやりそうなことだ。

■スマホを持った令和版のキャラクター像

 平成版に比べ、スマホを持った令和版の登場人物たちは、感情表現や詮索の仕方、相手との関わり方が複雑に、あるいは繊細に、ときには狡猾になっているように見えた。

 特にキャラクターが大きく変わったように見えるのはリカで、鈴木保奈美が演じた華やかでテンションが高くて「恋愛脳」で直感的で痛々しさがあったリカに比べ、石橋静河のリカはナチュラルで軽やかで自由だ。

 なかなか会えない距離・時間が、思いを募らせ、突っ走らせるエネルギーとなる面が大きいだけに、スマホを持って、いつでもすぐに直接つながれるようになった時代では、猪突猛進型ヒロインや直情径行の登場人物はどうしても生まれにくい。

 すぐに伝わってしまうからこそ、言葉を選び、相手の気持ちや状況・空気を読み、慎重になったり、距離が遠くなったりする部分はあるだろう。

 スマホがあっても恋愛ドラマの「すれ違い」は成立する。ただし、スマホを手に入れたことで、相手との距離感や付き合い方、なんなら性格も変わってしまう気がする。それが良いか悪いかはさておき、スマホを持った時代の恋愛ドラマの登場人物も、視聴者である私たちも、スマホのない時代と全く同じテイストのドラマを同じ気持ちで観ることはもうできない。

 パワフルでドラマチックな90年代の恋愛ドラマを懐かしむ一方で、林檎を食べる前の時代には戻れないことを改めて再確認してしまった。

(田幸和歌子)

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