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ボブ・ディラン、8年ぶりオリジナル新曲を徹底解析 アメリカ現代史を振り返る壮大な鎮魂歌に秘められたもの

リアルサウンド

20/5/9(土) 12:00

 ボブ・ディランとThe Rolling Stonesという二大ロック巨頭が、コロナウイルス下の世界に向けて新曲を発表した。「タイミングよくスターが、調子よく曲を出すな」と思う向きもいるかもしれない。僕が思い出したのは1960年代後半の激動の時代だ。あの頃、世界は揺れ動いていて、The Beatlesが「All You Need Is Love(愛こそはすべて)」「Revolution」、The Rolling Stonesも「We Love You(この世界に愛を)」「Street Fighting Man」といったメッセージ性の高い曲を出していた。かつてロックは時事に対応した存在だった。今回の大物のメッセージもまさにそんな雰囲気を彷彿とさせる原点回帰の感覚を持っているな、と。この共時性は貴重なものだ。世界が同時に何かショッパイものを味わっている時の、筋金入りのアーティストからの言は一聴に値する。音のはしばしに、半端ない緊張感が憑依している。彼らはかつての哲学者や文学者達に成り代わった「賢者」かもしれない。

(関連:ボブ・ディラン、8年ぶりの新曲を徹底解析

 とはいっても難解なディランの詞を無理に理解する必要はない。その昔ディランの「Like a Rolling Stone」という最大のヒット曲が流行った時、日本人でその詞を正確に理解していた人はほんの一握りじゃなかろうか? みんな煽情的なディランの「ボーカルの響き」に酔っていたのであって、内容なんか知ったこっちゃなかった。

 それでいいのである。ディランもストーンズも、理屈よりも「流行り歌」「ポップス」なのだ。本人達もそう思ってる。「まずは内容なんかいい、とにかく聴いてくれよ」と。心をまっさらにして楽しみ、この不思議な時代に共鳴する楽曲の響きに酔いしれていただきたい。

 とはいえ詞にアプローチすると、楽しみは倍増する。

 まずはディランが「皆さん、どうか安全に、油断せず、神とともにあらんことを」というコメントと共に3月27日に発表した新曲第一弾「Murder Most Foul(最も卑劣な殺人)」について調べよう。

 近年アメリカを代表する楽曲のカバーアルバムが続いたディランとしては、オリジナルの新曲はなんと8年ぶり。そして17分近くに及ぶとんでもなく長尺の曲だ。こぼれるようなピアノと、バッハ曲のように通低音を奏でるチェロの響きが限りなく美しく、サウンドを聴いてるだけでウットリしてしまう。ある意味アンビエント音楽だ。癒しの響きだ。

 ディランの長尺曲というと6作目『Highway 61 Revisited(追憶のハイウェイ61)』(1965年)の最後に入った曲「Desolation Row(廃墟の街)」を思い出す。そちらでさえ、11分だから、いかに今回が長いかわかる。

 ストーンズのキース・リチャーズは、ディランとの初対面に際し、ディランにこういわれたという。「俺には『(I Can’t Get No) Satisfaction(サティスファクション)』が書けたけど、君には『Desolation Row』は書けなかったろう」ーーそれだけ、ノーベル賞作家、ディランは「Desolation Row」に思い入れが深かったということだ。ストーンズもその後「Like a Rolling Stone」をカバーしたり、ライブゲストに呼んだり、仲は問題ない。

 ディランの長い詞が始まったのは、1965年の初頭に初めてエレキ化した曲「Subterranean Homesick Blues」。曲は短いが、マシンガンのようにラップ調に歌う曲で、詞は以前の3倍量になった。その詞は〈ジョニーは地下室でクスリを調合している〉というとんでもない内容から始まる。それまでの上品なプロテスト伝道者ぶりをかなぐり捨て、ハグレ者、ヤクザみたいな若者の巷を描いた詞だった。そこには激しいロックのストリート感覚があった。ビデオクリップにはビートニク詩人の大物、アレン・ギンズバーグが登場していることから、社会のアウトロー、はみだし者が作り出した路上文学、ビートニクを強く意識したと考えて間違いない。〈彼らは絞首刑を描いた絵ハガキを売り、パスポートを茶色く塗っている〉という言で始まる「廃墟の街」の世界観は、シュールで終末的だが、ロードムービー風に場面が次々と移動して描かれているところが、ジャック・ケルアックの『オン・ザ・ロード』のようにビートニク風だ。そして、歌も語りっぽくなり、ビートニクの伝統、ポエトリーリーディングに近づいた。

 今回の「Murder Most Foul」も、その系譜を正統に継いでいる。カメラが次々と移動するように、視点も大きく場所を変えていくことに注目したい。まるで映画を見ているように、情景が変わり、エピソードが挿入されていく。ボーカルはもはや、達観したモノローグだ。そんな仕組みになっている。黄泉の国のリアル版の「廃墟の街」といってもいい。まずはバーチャルな旅映画を見ているような気持ちで聴いてみよう。

 題材は、1963年11月22日に起こった、ケネディ大統領の暗殺だ。現代史を塗り替えた忌まわしい事件だった。それまで希望に溢れていたアメリカを一気に暗転させ、世界中が大きなショックで包まれた。その憂鬱はその後、晴れることはなかったといえるほど、歴史に傷跡を残した。つまり、第二次世界大戦後では、最も影響力の大きな事件だったと言っていい。今回のタイミングでこの曲の発表を決断したのは、コロナ禍がそれに匹敵し得る(あるいはそれ以上の)歴史的節目とディランが考えたからだろう。

 歌詞は、まずオズワルドによって銃撃される、そのシーンから始まる。〈絶好調の日は死ぬにももってこいの日〉など、含蓄の厳しい表現が満載。〈彼〉〈あなた〉〈わたし〉という言葉がケネディを指しているのか? 犯人を指しているのか? 意図的にパートによって入れ替わっている。英語は日本語と違って主語を追う言語だが、この詞では主語で物語を追うことは不可能だ。どうしてだろう? それは「しょせん人間のすること」だからではないだろうか? 単純な人間の断罪など、ディランはしない。あまりにも悲惨だったこの事件について「神の視点」のように描いているのだ。それは〈とんでもなく多くの人たちが見守っていたが、誰一人として何も見えていなかった〉という一文に明らかだ。人間に光景は見えても、その真実について何も見えてなかったという意味だろう。

 そして最初の芸能人、ウルフマン・ジャックが登場する。ケネディが活躍した当時のラジオを代表するDJで、小林克也の大先輩。映画『アメリカン・グラフィティ』(1973年)にも登場する若者のシンボルだ。この後、ウルフマンがDJをやりながら、曲を紹介するように、ケネディ以後のポップスの名曲やアーティストが登場していく。

 まずはThe Beatlesだ。〈ビートルズがやって来る、「抱きしめたい」って彼らがあなたの手を取るよ〉と。ビートルズのブレイクは、英国では1963年だが、この詞の舞台である米国では1964年以降。つまり話は、ケネディの死後になる。

 この〈あなた〉をどうとるかも問題だ。ケネディなのか? それとも民衆である聴衆か? どちらにせよ、話はケネディの没後へも漕ぎ出したことは間違いない。

 続いて、ウッドストック、アクエリアス(ミュージカル『ヘアー』の主題歌)、オルタモントと一気に、1969年のロック文化爆発に言及。〈いい時代よこのままいつまでも〉とは歌うが、ケネディ暗殺以降に、あてもなく漂流した米国の作り出した状況なんだな、と当時を知る聴衆は思い出させられる。

 〈ダラスがあなたを愛していないなんて言わないで、大統領殿〉という一節から、詞がケネディから目を逸らしてないことが解る。ダラスは右寄りの危険な地域ではあるのだ。〈三重の立体交差のいちばん下の道まで何とか行ってみるんだ〉は検証しないとわからないが、ケネディのパレードが通る予定の道路にある場所だろうか?

 〈Don’t ask what your country can do for you/国が自分に何をしてくれるかなんて聞くもんじゃない〉という詞は「Ask not what your country can do for you; ask what you can do for your country」という有名なケネディの演説からとられてる。「国があなたのために何をしてくれるのかを問うのではなく、あなたが国のために何を成すことができるのかを問うて欲しい」というケネディの有名な言を挿入し、まるで霊が語っているかのような効果を出している。

 〈ディーレイ・プラザ、左手に曲がる〉という部分は、ケネディ大統領が狙撃された場所にある公園で、車の行方を描いている。〈わたしは十字路に向かっている、旗を掲げて進んで行こう/信頼と希望と慈悲とが死に絶えた場所へと〉と死に向かう悲痛な状況が描かれる。

 〈いったい何が真実で、それはどこに消え去ってしまったんだ?/オズワルドとルビー(オズワルドをさらに暗殺した男)に聞くがいい、彼らは知っているはず(中略)仕事は仕事、そしてそれは卑劣なことこの上ない殺人〉という一節こそ、この詞の趣旨だろう。ケネディが造り出した理想の火、真実に向かっていると思われた道は砕かれた、その営みは金で雇われた仕事だ、ということ。卑劣極まりない仕事だ、と。

 さらに〈わたしたちは通りを進んで行く、あなたが暮らしている場所から続いている通り〉とケネディを乗せた車は、あくまで僕らの生活している場所の上を走っているのだが、そこでは〈彼らは彼のからだを切断し、彼の脳みそを取り出した/それ以上どんなひどいことができるというのか?〉と、非日常のヒドい世界が繰り広げられている様を語る。〈パークランド病院まで、あとたった6マイル〉と、ケネディが入院する病院が登場、この詞が地理的にケネディの死の道行きを追っていることが確認できる。

 そして〈ニュー・フロンティアまでたどり着けそうもない〉と歌う。ケネディが掲げた政策の名前で、公共の利益、国力の強化、進歩を実現しようという理想社会。ドナルド・フェイゲンも「The Nightfly」で歌った。

 〈What’s new, pussycat? What’d I say?/何かいいことないか子猫チャン? わたしは何て言ったのかな?〉と、2年後の1965年のトム・ジョーンズによる映画サントラのヒット曲と、4年前の1959年のレイ・チャールズによる大ヒット曲名が並べられ、閑話休題的に問いかけ「国家の魂が引き裂かれたとわたしは言ったんだ/そして腐敗と衰退へとゆっくりと向かい始めたと〉と、ディランの決定的な見解が述べられる。

 ここまで読み込めば、詞の仕組みが解るだろう。狙撃されたケネディの車を追いながら、その後のアメリカの漂流を、ポップス曲を引用しながら、タイムマシンのようにマルチアングルで描いていく。ジョン・リー・フッカー、Eaglesのドン・ヘンリー、グレン・フライ、The Beach Boysのカール・ウィルソン、ジャズのオスカー・ピーターソン、スタン・ゲッツ、アート・ペッパー、セロニアス・モンク。サザンロックのThe Allman Brothers Bandはギターのディッキー・ベッツと、『Eat a Peach』に含まれた代表曲「Blue Sky」という曲名まで出てくる。ヒット曲満載の映画『アメリカン・グラフィティ』のようではないか?

 死んだ人も生きている人の曲も併置である。どれもアメリカ感覚満載のアーティスト。ディッキー・ベッツとその曲に至っては、ディランのフェイバリットなのではないか? ダラス・ラブフィールド空港というケネディが到着した空港から、二度とケネディが離陸することはないと語られ、最後は「Misty」をはじめ、1930年代から50年代、アメリカが前に向かっていた時代の曲を洪水のように挙げて鎮魂していき、エンディングへと向かう。

 ディランの生涯のラストスパートで発せられた曲が、アメリカの現代史への壮大な鎮魂曲なのであった。死を正しく見つめることなくして、前に進むことはできない、というディランのメッセージが聴こえてくる。米『ビルボード』誌によるチャートで自身初となる1位を獲得している。

 続き、4月17日には、早くも新たなバラード曲「I Contain Multitudes」を発表。こちらは親しみやすいバラード曲で、ギターとスチールギター、チェロなどが温かくソツのないバッキングをしている。

  タイトルはウォルト・ホイットマンの詩から引用したもので、それを読み解くと前作よりも理解はしやすい。ホイットマンの原詩の冒頭を読んでみよう。

「I make the poem of evil also—I commemorate that part also; I am myself just as much evil as good, and my nation is—And I say there is in fact no evil.」

「私は悪の詩を作る, その一面も讃える。私自身が善であると同時に邪悪な面もある, また実際、我が国家にも私にも悪というものは存在しない」といったところ。

 で、この詞の冒頭にタイトルになった「l contain multitudes.」と記してある。つまり「私は善悪を同時に包含する『多義的な存在』である」という意味なのだろう。これは、道教や方丈記のような考え方に親しんでいる日本人にとっては理解しやすい考え方なのではないか? と思う。一つの物事にも、一人の人格にも、悪とも善とも判別がつかない部分がある。一つの物事はある方向から見れば善であり、違う角度から見れば悪になる。

詞を見てみよう。2番が一番わかりやすい。

Got a tell-tale heart like Mr. Poe
Got skeletons in the walls of people you know
I’ll drink to the truth and the things we said
I’ll drink to the man that shares your bed
I paint landscapes and I paint nudes
I contain multitudes

「エドガー・アラン・ポー氏のように作り話を創作する心を持ち、
壁には知り合いの骸骨を埋めている
真実と我々のしゃべったことに乾杯!
君が寝た男に乾杯!
俺は風景を描き、同じように裸を描く
俺は(人間とは)多義的な存在なのだ」
(筆者訳)

 なんとなく意味は伝わるだろう。

 人間は人にもよるが、年をとると、多くのウソをつき、時には恋人を他人と共有する。ことによると他人を犠牲にする。実際、戦争や疫病のような災厄下においては、しばしば善悪の判断が裏返る。第二次世界大戦中において、日本は戦争を継続することが善だったのか? 悪だったのか? 戦争中においては誰も冷静な判断などできやしない。

 また、このコロナ禍においても、集団免疫を獲得するという見地に立つならば、方策は真っ向から逆のものになっていくという場合がある。接触を禁じることだけが真実とは限らない。どんな物事でもそうだ。

 人間や社会はしょせん多義的な存在なのであるという真実を、諭すような穏やかなトーンで歌う、これも今でしか味わえない、感慨を与えてくれる。知とポップの巨人が与えてくれる、時代の狭間から射抜かれた閃光、それは赤ん坊や老人さえも平等に楽しめる優しい「音楽」なのである。

 今すぐ味わえ! 人生を、社会を、ほろ苦い現実を美酒に変える音楽を!

 そして、この文章を提出した後に、中川五郎さんによる訳詞が到着しました。

 〈Mr.Poe〉については、エドガー・アラン・ポーと踏み込まず、ポー氏と書かれています。上記の部分を載せましょう。

「ポー氏のようにわたしの心も何でも告白してしまう「告げ口心臓」だ
民衆の壁には骸骨が埋まっているよね
わたしは真実とわたしたちが言ったことに乾杯しよう
わたしはあなたのベッドを共にする男に乾杯しよう
わたしは風景画を描き、そしてわたしは裸婦の絵を描く
わたしの中にはいろんな面がいっぱいあるんだ」

 こちらも素晴らしい訳詞ですので、ぜひ、お読みください。
https://www.sonymusic.co.jp/artist/BobDylan/info/518441

※「最も卑劣な殺人」は中川五郎によるオフィシャル訳詞を引用。
(サエキけんぞう)

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