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『映像研』はクリエイターに原体験を思い出させる 「想像する快楽」描く青春漫画の魅力

リアルサウンド

20/5/4(月) 12:54

 『映像研には手を出すな!』(以下、『映像研』)は大童澄瞳が『月刊!スピリッツ』(小学館)で連載している人気漫画だ。

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 舞台は2050年代。ダンジョンのような複雑怪奇な形をしている芝浜高校を舞台に、浅草みどり、金森さやか、水崎ツバメの3人はアニメを作ろうとする。タイトルの映像研とは映像同好研究会の略。すでにアニ研(アニメ文化研究会)が存在するが、俳優の親からアニ研に入ることを反対されている水崎ツバメのために金森が「アニメだって映像でしょ」と言ってでっち上げた部活だ。

 背景画や設定を描くのが好きな浅草みどりと、キャラクターを描くのが好きで動き(アニメーション)を追求する水崎ツバメがアニメを作り、2人の才能を目の当たりにした金森さやかが資金調達やスケジュール管理といったプロデュース業をおこなう。このてんでバラバラの個性と能力を持った3人の姿を追いかけることで、本作はアニメを作る楽しさと、物語を紡ぎ、表現でお金を得るとはどういうことか、ということを楽しく戦略的に描いていく。

 もともと、高い評価を得ていた『映像研』は、今年の1月に湯浅政明監督によるアニメシリーズがNHKで放送されると、一気に話題沸騰となった。そして現在は乃木坂46の齋藤飛鳥、梅澤美波、山下美月の3人が主演を務めるテレビドラマが深夜に放送されており、ドラマの後に映画化されることも決まっている。

 つまり、アニメと実写ドラマ、そして原作漫画の3本の『映像研』が今は存在する。描こうとしているテーマやストーリーの骨格は概ね同じなのだが、表現を題材にした作品ゆえに、それぞれのジャンルの特性に応じた違うカラーが出ているのが興味深いところだ。

 アニメ版はアニメという手法を使ってアニメの素晴らしさを語るアニメ讃歌、ドラマ版は役者の身体とCGを駆使することで、どこまでアニメという表現を実写に取り込めるかという果敢な挑戦。このアプローチは、人気読者モデルで俳優の娘であるツバメが第1話で「アニメーターは立派な役者なんだよ。」と言うことを考えると納得の表現で、まるでドラマ版は「役者だってアニメなんだよ。」と言っているかのようだ。

 では、これらの原作となる漫画版『映像研』はどういう作品なのか?

 アニメや実写映像と漫画の最大の違いは、表現に流れる時間感覚だろう。画面を観ていると時間の経過と共に物語が進み、結末まで突き進むアニメやドラマと違い、漫画は読者がコマを追い、ページをめくらないと時間が進まない。同時に漫画の場合は絵を観るだけでなく、文字を読まなければならない。つまりそれだけ主体的に関わらないと物語が進まないのだが、だからこそ漫画でしかできないこともある。

 この漫画版『映像研』における一番の快楽は、新作アニメについて浅草が妄想する場面であり、そこで広がっていく細かい設定が見開きで提示される瞬間にある。たとえば第1話なら、汎用有人飛行ポッドカイリー号の設定画が登場するのだが、ここで重要なのは設定画だけでなく、乗員:2~3名、全長5.4m(ピトー管含まず)、アーム伸長時8.5mといった細かい設定がびっしりと書かれていて、これを“読む”のが実に楽しい。

 これがアニメやドラマだと台詞で処理されてしまうので、音として流れてしまうのだが、ここで一度、時間が止まり隅々まで眺めることができるのは漫画ゆえの利点だろう。この見せ方はアニメ的と言うよりはアニメ雑誌的な表現だと言える。

 アニメ雑誌やオフィシャルムックに載っているキャラクターやメカ、作品の舞台となる街の設定画を読んでいる時のワクワク感は、アニメ本編とはまた違った面白さがある。それは一言で言うと「想像する快楽」だ。頭の中でどんな作品かと想像している時の快楽は、時にアニメ本編を観る以上に楽しかったりする。

 アニメ版『映像研』は完璧に近いアニメ化だったと思うが、設定資料を観ている時に頭の中で無限に広がっている作品は自分だけの理想の作品である。これには誰も敵わない。もちろん本作は、ただ夢想しているだけでなく、それを具現化していく過程も描いている。アニメ作りの物語と浅草たちが夢想する架空のアニメを同時進行で味わえる二重性こそが本作の魅力なのだが、根底にあるのは「想像する」ことで生まれる「ごっこ遊び」の楽しさである。だからこそ本作は、優れた青春漫画としても読めるのだ。

 彼女たちの姿を観ていると、学生時代を思い出す。筆者には浅草やツバメのような画力も、金森のようなプロデュース力もなかったので、漫画やアニメを肴に友達と馬鹿話をするだけだったが、それでも充分楽しかったし、あれはまさに浅草が言うところの「私の考えた最強の世界。」だった。

 誰しも自分だけの「最強の世界」を持っている。その世界に浸り「ごっこ遊び」に明け暮れた原体験を思い出させるからこそ『映像研』は多くのクリエイターを刺激する青春漫画と成り得たのだ。

(文=成馬零一)

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