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『TENET テネット』徹底解説! “時間の逆行”、登場人物の背景、そしてノーランの哲学まで

リアルサウンド

20/9/27(日) 12:00

 ジャン・コクトーが監督した実験映画『詩人の血』(1930年)は、夢のように幻想的な世界を映し出す、55分の作品である。その冒頭に映し出されるのは、工場の巨大な煙突が崩れ始めるという、唐突な短いカット。そして、映画の終わりには、煙突が崩れ去る瞬間のカットが、再び挿入されている。つまり『詩人の血』の内容は、煙突が崩れ始めてから崩れ去る瞬間に起きた出来事だったということだ。映画は現実に似た虚構であり、時間をどのようにも圧縮し、引き延ばし、逆回転し、操ることができる。その試みは、映画の歴史の初期より行われてきたことだ。

 作家としての個性と、娯楽性を兼ね備えた作風で、いまや最も注目される映画監督といえるクリストファー・ノーランは、『メメント』(2000年)や『インセプション』(2010年)に代表されるように、映画における時間の表現や概念を、いまもなお更新し続ける作家だ。そして、彼の新しい挑戦作『TENET テネット』は、映画という“時間の芸術”に、クラシカルな逆回しの手法を応用することで、さらなる視点を加える画期的なものとなった。ここでは、そんな本作が何を目指し、やり遂げたのかを、できる限り掘り下げて考察していきたい。

 「TENET」という謎めいたタイトルは、前から読んでも後ろから読んでも「TENET」と読める単語だ。これは、“SATOR AREPO TENET OPERA ROTAS”という、ポンペイ遺跡で発見された、ラテン語による人類最古の“回文”から引用されている。それは、本作の登場人物の名前や場所、団体名として、これらの単語が使用されていることからも裏付けられている。そして、前から読んでも後ろから読んでも同じ……この回文の構造が、本作の試みそのものを示しているともいえるのだ。

 ジョン・デヴィッド・ワシントンが演じる、たぐいまれな体術をものにしている工作員“名もなき男”が、本作の“主人公”である。彼は、クリストファー・ノーラン監督が製作を切望していた『007』シリーズのように世界を股にかけ、ジェームズ・ボンドのような高級スーツ談義を交わしつつ、世界の脅威に飛び込んでいくことになる。

 名もなき男は、「TENET」というキーワードとともに、人類最大の脅威に対抗するミッションを、何者かによって依頼される。そのために彼がまず学ぶことになるのは、“時間の逆行”という概念だ。彼は部屋で特別な弾丸を銃で撃つ実験をさせられる。弾が込められてない銃を壁に向けると、壁にすでに撃ち込まれていたはずの弾丸が、銃口、弾倉へと帰ってくる。局所的に“時間が逆に進んだ”のである。

 時間が逆行する……果たしてそんなことがあり得るのだろうか。娯楽映画の設定を真面目に考えるのは滑稽に感じられるかもしれないが、ノーラン監督の過去作『インターステラー』(2014年)が、理論物理学者キップ・ソーンの監修のもとに、近年の“膜宇宙論”やブラックホールの構造などについて扱う画期的な内容になっていたこと、そして本作のコンセプト部分にも彼の監修があったという事実を踏まえると、本作の内容が、よくあるこけおどしに終わらないものとなっているだろうことは、容易に予想できる。

 さて我々が、この“時間の逆行”というものを科学的に考えるのなら、“そもそも時間とは何なのか”ということを、まず考え直していかなくてはならない。

 早くから「時間論」を述べた人物といえば、古代ギリシアの哲学者アリストテレスである。彼によると、時間というものは物体が運動することによって存在し得るのだという。つまり、何も動くものがなければ、そこに時間は存在しないというのだ。

 “時間”の謎に迫るためには、いつどこで“時間”が誕生したのかが問題になる。それは、「ビッグバン」といわれる、宇宙創生の瞬間だったと考えられる。あらゆる物質を発生させた大爆発による、中心から外側へと向かっていく星々や物質の運動。この爆発の余韻はいまも続いていて、我々の太陽系も含めた星々は、爆発の中心点より外側へと動き続けている。これが、よく言われる「宇宙は広がり続けている」という言葉の意味である。

 劇中で、“エントロピーの増大”というセリフが現れる。熱力学の用語で、「無秩序化」を意味する言葉だ。それはしばしば、コーヒーに入れたミルクが、次第に混じり複雑な状態になっていく状態に例えられる。ものごとは不可逆的に(後戻りできずに)無秩序化していく。その状況は、いまも広がりつづける宇宙そのものの姿と重なっていく。爆発の力で飛び散って無秩序化していく天体たちが、ふたたび元の、より秩序的な状態に戻ることはない。この考え方は、時間を後戻りさせることができないという証明とされてきた。

 ビッグバンから現在に至る、この星々が広がり続ける運動には、果たして終わりがあるのだろうか。理論物理学者たちは宇宙の運命を考える上で、こんな一つの可能性を示している。宇宙は膨張するだけでなく、膨張と収縮を繰り返しているのかもしれないという説だ。広がりきった宇宙は、ある時点で反転し、収束に向かい、逆に中心に向かって縮んでいくのではないかというのだ。もしそんなことが起こるとすれば、それはエントロピーの減少であり、“時間の逆行”といえるのではないか。

 本作では弾丸だけではなく、人間までもが“回転ドア”と呼ばれる装置に入ることによって、時間の流れを逆に進むことができるという仕組みが明かされていく。そして、もう一度“回転ドア”を通過すれば、再び時間に順行することができる。劇中では見分けがつきやすいように、レッド、ブルーの色を、それぞれ順行者、逆行者に与えている。それは、前述したように星々の運動を基にしていると考えられる。順行時間は、ビッグバン以来の現象として宇宙は広がっていき、逆行時間では宇宙が狭まっていく。遠ざかっていく光は赤く目に映り(赤方偏移)、近づいてくる光は青く感じられるというのが、“光のドップラー効果”と呼ばれる物理法則である。

 また、本作で“陽子”や、粒子・反粒子同士の“対消滅”などの概念を持ち出していることからも分かる通り、ここではミクロの世界が、“時間の逆行”の存在を補強しようとする。これまでに多くの物理学者が、宇宙の法則を全て説明できる“大統一理論”の完成を目指してきたが、そこで障害となっていたのが、極小の世界の物理法則だ。それを研究する“量子力学”といわれる学問では、我々が生活し、普段意識している世界の常識が通用しない。同じ物質が同時に二つの場所に存在できたり、二つの状態が重ね合わされた、不確定的なかたちで存在することもあると考えられている。

 このような奇妙な物理法則は、学者の頭を悩ませ、大統一理論の完成を妨げることになったが、同時に人類にとって、これは新たな可能性を示唆するものでもある。例えば、量子力学を応用した量子コンピューターを使うことで、演算速度が驚異的に上がるという結果が出ている。さらに2019年、ロシア、アメリカらの研究者たちは、“アルゴリズム”によって、量子情報のエントロピーを減少させることができるという結果を生み出した。つまり、人為的に局所的な“時間の逆行”を起こすことに成功したのである。本作の“回転ドア”は、この実際の技術を応用し、人間が量子の力をさらに利用することができるようになった未来の人々によって開発されたものなのである。

 さて、なぜ“時間の逆行”という技術が、本作における未来の人類にとって重要なものとなったのか。それは劇中で述べられているように、地球環境の変化が大きく関係している。人間の生産活動による温室効果ガス排出や、有毒物質の発生によって、世界各地の気候や海洋に深刻なダメージが与えられ続けていることは、現在の世界でも問題となっている。多くの人々や団体が、未来への懸念を訴えているものの、事態は不可逆的に悪くなり、未来の地球はとうてい人の住めない環境となっていた。そのため未来人は時間を逆行することで過去に向かって生き延びることを決めるのである。そのために利用するのが、劇中でケネス・ブラナーが演じるセイターという男だった。

 未来人にとって問題は、任意の時間に一瞬でジャンプすることができないという“回転ドア”の使い勝手の悪さだった。つまり、1ヶ月前の時間に行くためには、逆行状態で1ヶ月過ごす必要があるのだ。さらに不便なのは、酸素を吸って二酸化炭素を吐き出すという、人間にとって生命維持に必要な行為が、逆行状態だと困難になるという事実だった。多くの未来人たちが過去に生きるためには、回転ドアは不向きなのである。

 そこで局所的ではなく、地球規模、もしくは宇宙規模のスケールで時間を逆行させるという“アルゴリズム”を、まだ地球に人が住むことのできる状態の時点で発動させるという発想が生まれてくる。未来人たちがその時点まで逆行状態で辿りつくことができれば、そこからは反転した時間を順行し、生存することができるだろう。問題は、世界全体が逆行すれば、過去の順行者たちは逆行状態に塗り潰されていく時間のなかで死滅していくのではないかということだ。そこで起こることが予測されるのが、“祖父殺しのパラドックス”である。過去の人間たちが死滅すれば、未来の人間たちの存在そのものがなくなるかもしれない。

 だが、過去の人間たちの大量死滅やパラドックスなどに構わず、自分たちの現在の生を優先させる、“ならず者”のような未来人たちの姿は、現在の我々の生き方と重なるところがある。我々人類は、「未来など知ったことか」という態度で大規模な生産活動を続けて地球環境を悪化させることでツケを子孫にまわし、自分たちの未来を破壊している。そのようなモラルを引き継いだ未来人たちは、今度は“アルゴリズム”を利用し、“過去など知ったことか”と、過去の世界を破壊していくのである。それは、汚染された世界を押しつけられた未来人たちの逆襲ともいえよう。

 しかし、未来の人々も一枚岩ではない。ならず者としての未来人と、それを回避しようとする、より理性的な未来人との対立が、セイターと名もなき男の代理戦争として、現在で展開されるというのが、本作の内容なのだ。劇中で起こる戦闘の背景には、このように気が遠くなってくるようなスケールの事情が用意されているということになる。

 名もなき男と、彼を助ける謎の相棒ニール(ロバート・パティンソン)。そして彼らの敵となるセイターは、それぞれに回転ドアを何回も利用し、逆行、順行状態で時間を行き来しながら、戦闘や追いかけっこを繰り返す。そのなかで、過去と未来から順行、逆行状態で二手に分かれて敵を挟撃するという、奇想天外な作戦も行われる。いくつかの場所で、二つの時間の流れが交差する様子は、奇妙で魅惑的だ。それらは綿密な準備を行った俳優たちが、台詞を逆にしゃべり、逆向きの動きでアクションをこなすなど、クリストファー・ノーラン監督らしい、CGを極力使用しない古典的な方法で表現される。

 この時間の交差の描写のなかで最も仰天するのは、戦闘のなかで一つの建物が順行の未来で破壊され、同時に逆行の過去でも破壊されるという一連の流れを、一方の時間の流れから映し出すシーンである。過去と未来、両側で破壊される建物は、破壊されるまでの一瞬だけしか、この世に存在しないことになる。では、この建物はそもそもどうやって存在していたのか? そう、“祖父殺しのパラドックス”が、そのまま映像として示されるのである。この狂気の演出は、本文の冒頭で紹介した『詩人の血』の煙突が倒壊するシーンが進化したもののようにも見える。

 狂った世界の醸成に一役買っているのは、劇伴を担当したルドウィグ・ゴランソンの仕事も大きい。音楽制作の作業が新型コロナの影響による自粛期間と被ってしまったため、オーケストラによる同時演奏を実現できなかったゴランソンは、演奏家の個々の演奏を集めて重ねたということだ。しかし、おそらく自宅での作業が中心となったことで、音楽は良い意味で、より内省的で実験的なものになったように思われる。10年以上ノーラン監督と仕事をともにしている巨匠ハンス・ジマーも、作品ごとにもちろん見事に劇伴を担当しているが、今回のゴランソンの突き抜けた姿勢は、ノーラン監督の狂気に負けていない。狂った映像に狂った音楽が乗っていることで、観客は拠りどころなく異世界に連れて行かれている気分を味わうだろう。しかし、その突き放したような姿勢にぞくぞくさせられるのだ。

 前述したように、ノーラン監督は、映画作品のなかで、これまで時間に関する要素を多く扱ってきた。『インセプション』については、“夢の中の夢”、さらに“夢の中の夢の中の夢”と、夢の世界の階層を描き、それぞれに時間の流れが異なるというシステムを表現していたし、『インターステラー』では、理論物理学における膜宇宙論やブラックホールの理論を基にした高次元空間の表現を達成していた。ノーラン監督の試みが圧倒的に画期的で独創的なのは、このような複雑なアイディアを思いついたとしても、多くのクリエイターはそれを映画で表現しようなどとは思わないところにある。

 2時間前後の上映時間しか持たない、映画で伝えられる情報量は限られている。製作者たちはできるだけ単純に還元された世界を観客に提示し、そこに叙情的な映像を加えていくのが常道である。その叙情性が、ときに「映画的」などと呼ばれたりする。だがノーラン監督が最も観客に提示したいのは、自分の考えた複雑な発想そのものである。それを観客に伝えることに注力することで、しばしば叙情的な雰囲気は希薄になっていく。絶大な人気を誇りながら、ノーラン監督に“映画的”な充実を感じないという映画ファンは少なくない。それは映像の大部分が、監督の頭の中を再現する意図で構成されているという部分が大きいからではないか。

 しかし、それもまた一つの“映画”のかたちであることも確かだ。ノーラン監督は間違いなく独自の世界を、執念によって誰にも真似のできない完成度で映画にしている。その作風は、いびつだが圧倒的にユニークである。その個性が前面に出た本作は、『インセプション』や『インターステラー』同様に、ノーラン監督における最良の作品だといえよう。

 そして、本作がいままでになく進化しているのは、可能な限り“映像そのもの”で状況を説明しようという意識が、これまでの作品よりも強いところだろう。そのため、一回の鑑賞ではストーリーがよく分からないという観客が続出しているのだ。この、観客をぐいぐいと引っ張り、ついて来れなければ置いていくという姿勢が、本作のような娯楽大作でも通用するというのは、ノーラン監督が大作の巨匠として当代一の存在である証左だともいえる。ノーラン監督は、自身の希少な立場をも利用して、作品の独自性をさらに先鋭化しているのである。

 しかし本作は、ノーラン監督の過去の作品の多くがそうだったように、人間の感情にうったえる表現を中心に置くことを忘れていない。それが分かってくるのは、アメリカ娯楽映画の代表的な存在である『カサブランカ』(1942年)からの引用が見られるシーンで意識することができる。『カサブランカ』が、男女の愛の果てに、ささやかな友情を得るように、本作もまた、名もなき男とある人物との友情を描いた作品であることが、ここで明らかになるのだ。

 ノーラン監督は、それをいくつかのシーンにおける演出によって暗示し、本作の表面を冷ややかな感触にしながら、その中に感動的で熱い物語を隠したのである。ニールの正体は誰だったのか、そしてニールのこれからの運命はどうなるのか。これらの真相を劇中の描写から知ることによって、本作は異なる作品として再び立ち上がることになるだろう。

 かつて『インターステラー』でノーラン監督は、ウェールズの詩人ディラン・トマスの書いた一節を引用した。「穏やかな夜に身を任せるな 老いても怒りを燃やせ、終わりゆく日に……」これは作中で、人類滅亡の危機に瀕した主人公たちに、困難な道を諦めずに進ませようとする精神を与えようとするものだ。そして、これはただ個人に送られるエールにとどまらず、人類そのものを鼓舞する力となっている。

 “テネット”という言葉には、“信念”や“信条”という意味もある。本作『TENET テネット』で映し出されるのは、人類が“時間の制御”という技術に触れた後の世界である。人間はものごとを思考し続ける限り、あらゆるものを征服し、未来の扉を自分自身の力で開くことができる。それは、人類に脅威をもたらす危険性もある反面、その力で人を救い、世界や大事な人を守るためにも使うことができる。どちらにせよ、自身の信念によって行動する自主性を持つことが、人間の素晴らしさであるという、ノーラン監督の哲学が、ここに流れているはずである。

 名もなき男は、一見すると、ただ状況に応じて動くだけの魅力の薄いキャラクターに感じられるところがある。だが、彼がエリザベス・デビッキ演じる女性を苦境から救おうとした優しさに注目してほしい。そんな彼の自主的で善良な行動は、劇中のある人物の心を動かし、結果として世界の命運を決定することにつながるのである。そんな彼らの熱い精神“テネット”こそが、人類を救う最後の希望となったのだ。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

■公開情報
『TENET テネット』
全国公開中
監督・脚本・製作:クリストファー・ノーラン
製作:エマ・トーマス
製作総指揮:トーマス・ハイスリップ
出演:ジョン・デヴィッド・ワシントン、ロバート・パティンソン、エリザベス・デビッキ、ディンプル・カパディア、アーロン・テイラー=ジョンソン、クレマンス・ポエジー、マイケル・ケイン、ケネス・ブラナー
配給:ワーナー・ブラザース映画
(c)2020 Warner Bros Entertainment Inc. All Rights Reserved
公式サイト:http://tenet-movie.jp
公式Twitter:https://twitter.com/TENETJP

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