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ぴあ

いま、最高の一本に出会える

植草信和 映画は本も面白い 

ケヴィン・ブラウンロウ著『サイレント映画の黄金時代』訳者宮本高晴さんにきく

毎月連載

第34回

20/2/10(月)

令和元年師走、画期的かつ感動的な映画研究書が刊行された。

それがサイレント映画の知られざる、驚きの秘話満載の “The Parade’s Gone By…”〈パレードは過ぎ去った〉という原題の訳書『サイレント映画の黄金時代』だ。

著者ケヴィン・ブラウンロウは、「第一章 はじめに」で著書の意図を以下のように述べている。

「サイレント映画の時代は、映画業界で働く人間にとってさえ、先史時代と見なされている。粗野で、ぎこちなく、洗練とはほど遠い映画群であり、忍び笑いの対象として存在しているにすぎない(…)本書はそのような誤謬を正そうとする試みである」。

「サイレント映画の黄金期は1916年に始まり28年までつづいた」とする1968年刊行のその原著は、「最も古くて最も新しい『映画』の永遠の魅力のすべてがよみがえり躍動する名著」(山田宏一)として世界的に知られている。

だが、翻訳には該博な映画知識とリテラシーを求められる大部な原書に取り組もうとする翻訳家も出版社も、現れなかった。

つまり本書『サイレント映画の黄金時代』は、原書刊行から半世紀という長い時間を経て邦訳刊行された、記念碑的映画研究書なのだ。

その翻訳を遂行したのは、過去に『ワイルダーならどうする? ビリー・ワイルダーとキャメロン・クロウの対話』(キネマ旬報社)、『王になろうとした男 ジョン・ヒューストン』(清流出版)、『ロバート・アルドリッチ大全』『ルビッチ・タッチ』『ジョージ・キューカー、映画を語る』(国書刊行会)などを手掛けた宮本高晴さん。

その宮本さんに邦訳刊行に至る経緯とエピソードをお聞きした。

『サイレント映画の黄金時代』ケヴィン・ブラウンロウ著/宮本高晴訳
(国書刊行会・8,800円+税)

『サイレント映画の黄金時代』から

「原書をいつごろ購入したかは忘れましたが、本棚に置いて気が向いたときにパラパラと読んでいました。一気に読める本ではないし断続的に読める構成になっている本ですから。

それで『ジョージ・キューカー、映画を語る』の翻訳が終わって次は何にしますか、と版元に聞かれたので“The Parade’s Gone By…”はどうでしょうかと提案したわけです。2016年の夏ごろでした」。

本書を手にしてまず驚かされるのは907ページという分量と1.3キロという重量だ。宮本さんは翻訳作業と人名録執筆に3年かかったという。

「編集担当の樽本さん(『映画監督 神代辰巳』の編集者)には2年の時間を下さいとお願いしました。どんな翻訳でも困難はつきまとうものですが、今回一番辛かったのは終りが見えないということでしたね。今はそういう言い方はしませんが、400字詰め原稿用紙にして1600枚くらいになりますから」。

文字数にすると64万字、気が遠くなるような翻訳作業だ。筆者が過去に読んだ一番分厚い本はピーター・ボグダノヴィッチ著『私のハリウッド交遊録』(821ページ)だから、今回はそれを凌ぐ読書体験となった。

本書宣伝文には「サイレント映画の豊饒なる世界が鮮やかに痛快に甦る」とあるが、訳者にとって一番興味深かったのはどんな箇所だったのだろうか。

「全部面白かったのですが、強いてあげれば“美術”“編集”“小道具”“スタント”についての記述でしょうか。映画が誕生して間もない頃ですからスタッフ全員が前例のないことをやっている。“映画事始”の息吹のようなものを感じつつ訳していました」。

著者ブラウンロウはそういう技術者の仕事について、「サイレント映画のスクリーンに魅惑をもたらしたのはストーリーやスター俳優だけではない。それはサイレント映画に携わった技術者の辛抱強さ、刻苦勉励、忍耐力、そして技術力そのものであり、彼らは10年に満たないあいだにそれぞれの技術をひとつの芸術にまで高めた」と述べている。

この大部な研究書を最後まで興奮しつつ興味深く読み遂せたのは、そうしたサイレント時代の映画人の情熱と奮闘が余すところなく活写されているからだ。

その他、本書では誰もが知るチャップリン、キートン、メリー・ピックフォードや名監督D・W・グリフィス、ジョゼフ・フォン・スタンバーグ、ウィリアム・ウェルマン、アベル・ガンス、さらにはプロデューサー、脚本家、キャメラマンの仕事ぶりも熱く語られている。なかでも飛びぬけて熱がこもっているのはアベル・ガンスに関しての記述だ。

「著者が一番好きな監督はアベル・ガンスのようですね。ガンスについて書いている第四十六章が一番長くて、翻訳していても何回かアクセルを踏み直さなければなりませんでした」

『サイレント映画の黄金時代』から

本書発売には間に合わなかったが、シネマヴェーラ渋谷でのその刊行記念企画「素晴らしきサイレント映画」には若い観客が押し掛けたという。周防正行監督の昨年の話題作『カツベン!』の製作意図は存じ上げないのだが、近年、澤登翠さんに続くような若い女性の弁士が生まれつつあるという現象は、そんな流れと無関係ではないのかもしれない。

最後に『サイレント映画の黄金時代』が及ぼした影響について語っていただいた。

「ブラウンロウのこの本がきっかけになってサイレント映画が注目されるようになり、世界中の映画アーカイブが保存・発掘・上映に力を注ぎ始めたのは事実です。1960年代にはまったく無視されていたサイレント映画はその流れが進んでいれば消滅していたかもしれない。それに歯止めをかけ、サイレント映画の重要性を世界的にアピールした原書の意義は大きいと思います」

かつて、小津安二郎はアメリカのサイレント映画の魅力に憑かれ、黒澤明はアベル・ガンスの『鉄路の白薔薇』を観て映画監督を志した、といわれている。

本書はそんなサイレント映画の面白さと魅力を教えてくれる貴重な一冊であるばかりでなく、映画史文献として大学や公共図書館に常備しなければならない本なのだ。

今はYouTubeでもかなりのサイレント映画が全編視聴できるとのこと。本書巻末の映画作品名索引には英文タイトルが併記されている。そちらで検索し、一度試してみてはどうだろうか。

プロフィール

宮本高晴(みやもと・たかはる)

1952年、福井県生まれ。英米映画関係の翻訳にたずさわる。主な訳書に『ワイルダーならどうする? ビリー・ワイルダーとキャメロン・クロウの対話』(キネマ旬報社)、『王になろうとした男 ジョン・ヒューストン』(清流出版)、『ロバート・アルドリッチ大全』『ルビッチ・タッチ』『ジョージ・キューカー、映画を語る』(いずれも国書刊行会)など。

植草信和(うえくさ・のぶかず)

1949年、千葉県市川市生まれ。フリー編集者。キネマ旬報社に入社し、1991年に同誌編集長。退社後2006年、映画製作・配給会社「太秦株式会社」設立。現在は非常勤顧問。著書『証言 日中映画興亡史』(共著)、編著は多数。

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