Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play
Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play

脚本家・野木亜紀子は“小さな声”に耳を傾ける ドラマをヒットさせる、視線と言葉の鋭さ

リアルサウンド

18/9/1(土) 6:00

「気が弱い人や声が小さい人が損しちゃう世の中なのよね、悲しいかな。そういう人の味方をするのが弁護士の仕事」

 『アンナチュラル』(TBS系)の第3話で、主人公・三澄ミコト(石原さとみ)に向けて、義理の母・夏代(薬師丸ひろ子)はそう告げた。これはあくまで弁護士である夏代が職業人としての自身の挟持を語った台詞ではあるが、この一言に、脚本家・野木亜紀子が今、多くの視聴者から共感を得ている理由が集約されているように思う。

 野木亜紀子は、2010年、『さよならロビンソンクルーソー』で第22回フジテレビヤングシナリオ大賞の大賞を受賞。その後、『空飛ぶ広報室』(TBS系)、『掟上今日子の備忘録』(日本テレビ系)、『重版出来!』(TBS系)など多くの原作物の脚本を手がけ、16年、『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS系)の大ヒットで一気に知名度が向上。さらに、待望のオリジナル作品『アンナチュラル』で第55回ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞を受賞。今最も新作が期待される脚本家のひとりとしてシーンの先頭を走っている。

 なぜ今、野木亜紀子作品はこれほど愛されるのか。卓越した構成力、ユーモラスでありながら知性に富んだ会話の妙など、脚本術には称賛の言葉が尽きないのだが、その真髄にあるのは彼女の視線。野木亜紀子の社会に対する眼差しはとてもシビアでドライだ。その透徹な眼差しに、綺麗事は一切含まれていない。

 たとえば、『アンナチュラル』の第7話で、いじめ加害者への報復として自死を選ぼうとする少年に、ミコトはこう言い放つ。

「あなたが死んで何になるの? あなたを苦しめた人の名前を遺書に遺して、それが何? 彼らはきっと転校して名前を変えて新しい人生を生きていくの。あなたの人生を奪ったことなんてすっかり忘れて生きていくの。あなたが命を差し出しても、あなたの痛みは決して彼らに届かない」

 これほど現実に立脚した説得の言葉は、テレビドラマでなかなか聞けるものではなかった。実際、多くのいじめ加害者は一時的な私刑を受けても、やがて風化という名の無罪放免を受け、普通の生活に戻っていくことを、私たちは多くのいじめニュースを通じて知っている。野木亜紀子は決して安直な綺麗事に逃げ込みはしない。現実を厳しく見つめた上で、そんな不毛なもののために自分の人生を犠牲にする必要はない、と。悪を悪として厳しく断罪した上で、同じ次元に堕ちるな、と諭す。そんな、ある意味で非常に現実的かつ合理的な主張が、欺瞞と根拠なき精神論を嫌う現代人の心を突き刺した。

■世の不条理や理不尽にフラットにNOと突きつける

 だが、それだけが野木亜紀子の魅力ではない。眼差しはリアリスティックでありながら、その立場が決して既存のマスコミ的権威や固定観念にとらわれていないこと。むしろ長らく“いないもの”とされてきた“気が弱い人”や“声が小さい人”の視点からの発信であることに、野木作品が支持される最大の理由がある。

 たとえば『逃げ恥』で言えば、放送時は「ムズキュン」というワードが飛び交い、みくり(新垣結衣)と平匡(星野源)の関係性に話題が集中した。しかし、放送終了から2年を経て『逃げ恥』の功績として改めて挙げたいのは、「やりがい搾取」や「呪い」といった言葉を世に広めたことだ。どちらも多くの視聴者がうっすらと違和感や不満を抱きながら、どう言葉にして表明すれば良いのかわからず、あるいはこうしたモヤモヤを抱くこと自体が間違いなのかとさえ自身を責め、窮屈な想いを抱いていた。

 だからこそ、野木亜紀子がテレビドラマという影響力のある場でこれらを発信することで、多くの人が「そうそう!」と喝采の声をあげた。以来、ネットではこうした「やりがい搾取」や「呪い」に関する記事は頻繁にバズを起こし、「友人だからと無料で仕事を頼むのはおかしい」「ママだからオシャレはしちゃダメなんてことはない」といった意思表明のツイートは大量のいいねやリツイートを集めている。『逃げ恥』を潮目に、確実に現代人の価値観は一歩前進した。野木亜紀子は、決して権威や偏見に流されない。あくまでフラットに、世にはびこる不条理や理不尽にNOと突きつける。

 野木亜紀子が「いち脚本家」にとどまらず、「野木亜紀子の脚本だから観る」といった固定ファンを得ているのは、こうした「私たちの代弁者」としての共感があるからだろう。『アンナチュラル』でも法医学ドラマとしてのミステリー性、エンターテインメント性を驚くべきレベルでキープしながら、女性差別やブラック企業問題、いじめなど様々な社会問題を取り込んだ上で、胸のすくようなメッセージを込めた。第6話で、性暴力の被害者である東海林夕子(市川実日子)に対し落ち度を指摘する刑事に、「女性がどんな服を着ていようがお酒を飲んで酔っ払っていようが好きにしていい理由にはなりません。合意のない性行為は犯罪です」とミコトが一刀両断した場面も実に野木らしい。きっと痛快な想いをした視聴者も多いはずだ。

■野木亜紀子は、旧時代的な価値観をアップデートする

 野木亜紀子の言葉を借りるなら、彼女は「時代の気分」を捉える非凡な才がある。この秋から『獣になれない私たち』(日本テレビ系)と『フェイクニュース』(NHK)という2本のドラマがスタートするが、後者についてはその内容から「既存メディアがネット叩きをするのか」と一部ネットユーザーが危惧の声をあげた。しかし、野木はそれらの声を「もう2018年ですし」と一蹴。同じく『アンナチュラル』の企画当初も「事件を解決するときに、シンキングタイムのようなお約束があった方がいいんじゃないかという意見もあったんですけど、『もう2018年だしそういうのなくてもよくない?』」と不安視する声を退けたことをインタビューで明かしている(参考:野木亜紀子が振り返る、『アンナチュラル』の成功 「自分が面白いと思うものをつくっていくしかない」)。彼女には、世間の思い込みや固定観念に支配されず、古臭いものは古臭いと断じられる芯の強さがある。

 第6話でミコトと東海林が「友達じゃありません」「ただの同僚です」と言い切ったのも爽快だった。「私ら一生友達だよね」とベタベタしているのが女の友情という手垢まみれのイメージをスルーし、野木の考える女の友情を描いた。こうした感覚も非常に2018年的と言える。

 野木亜紀子のつくるドラマには、知らぬ間に植え付けられた勝手な偏見の数々から視聴者を救い、この国の旧時代的な価値観をアップデートしてくれる解放感がある。彼女のドラマを通じて広まった柔軟でのびやかな価値観が、“気が弱い人”も“声が小さい人”も生きやすい社会を築く礎となることを、いち視聴者として願っている。(文=横川良明)

新着エッセイ

新着クリエイター人生

水先案内

アプリで読む