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黒沢清、10人の映画監督を語る

リチャード・フライシャー

全11回

第5回

18/8/14(火)

映画を作るんだったらフライシャーを目指そうと思っていた

 リチャード・フライシャーは、あちこちで語ってきたんですが、分析的に作家論のように語ることがほとんど不可能と思われるぐらい、複雑で多様なフィルモグラフィーを持った人です。それこそ『海底二万哩』だの『ミクロの決死圏』を子供の頃既に見ていますが、別にフライシャーだと思って観ていたわけではなく、みんな観に行く大ヒット娯楽映画だから僕も観に行ったわけです。『海底二万哩』はリバイバルだったと思いますが、父親と2人で観に行ったのを覚えています。立っている人の間を縫って前の方に行って、通路にしゃがんで何とか観ることができました。それくらい大ヒットしていたんです。

 その後、映画好きの高校生になって、『センチュリアン』『ソイレント・グリーン』『ザ・ファミリー』と軒並み観ているんですが、ほぼ同じ頃、70年代前半にテレビで観た『絞殺魔』にものすごく衝撃を受けました。その時に『絞殺魔』の監督と、『トラ・トラ・トラ!』の監督が同じフライシャーだっていうのが信じられなかったですね。当時はまだビデオというものがないので、『絞殺魔』を再放送した時に、保存しておきたいと思って、テレビ画面のいくつかを8ミリフィルムで撮ったんです。全部は保存できないのでダイジェスト的に撮ったんですが、それほど熱狂していました。『絞殺魔』を観なかった人にとっては、70年代前半のフライシャーって典型的な二流監督だったと思いますね。今でも一般にはそういう扱いだと思います。

 それが大学に入って蓮實(重彦)さんがフライシャーは本当にすごいんですって言ってくれたので、腑に落ちたところが大きいです。蓮實さんに言われなければ『絞殺魔』以外は忘れ去っていたかも知れません。当時『映画芸術』のベストテンで、蓮實さんがフライシャーの『スパイクス・ギャング』を1位にしていたのが、もう衝撃的でした。

 少なくとも作る側にとっては、フライシャーは小津安二郎やペキンパーよりも重要なんです。小津は観るだけで十分、作る側にとっては下手したら危険な存在ですが、フライシャーは勇気付けられます。テオ・アンゲロプロスを目指すのも過酷そうだし、ジャン=リュック・ゴダールを目指すって言ってもどうしたらいいか分からない。フライシャーを目指せば何を撮っても許される。映画を作るんだったらフライシャーを目指そうというぐらい、僕の中では神格化されていきました。

 僕が商業映画で監督デビューしたのが『神田川淫乱戦争』というピンク映画ですけども、それを撮る前にディレクターズ・カンパニーの監督たちが集まって、僕がどうやってデビューすればいいのか会議が開かれたりしました。当時はATGで最初の映画を撮るというデビューの仕方があったんです。ATGでやりたいことをやって、自分はこういう作家なんだということを処女作で見せるのが正しいデビューだっていう意見。もうひとつが、とにかく何か撮れるものを撮った方がいいんじゃないのかっていう意見。高橋伴明さんがピンク映画だったらコネで直ぐにでも撮れると。ATGはまず脚本を書いて、それが良い脚本になれば撮れる。散々議論したあげく、「黒沢どっちがいい?」と振られて、僕は「ピンク映画を撮ります」と答えました。僕の中ではもう決まっていたんです。撮れるものを撮る。デビュー作であろうが何であろうが、撮れるものから撮っていく。何故ならフライシャーがそうだから。僕はそれで良かったと思います。自分の撮りたいものを素晴らしい脚本にして書き上げ、それをATGで作家の映画として実現していくなんて道を選んでいたら、僕は未だに1本も撮れていなかったかもしれないですね。

自分に望まれているもの、できることをやっていく

 ただ、ピンク映画に関しては、実はほとんど観たことがなかったので、自分に何が求められているのかよくわかっていませんでした。それに僕が知っていたのは、『太陽を盗んだ男』とか『セーラー服と機関銃』といった、かなりメジャーな現場でしたので。ピンクの現場がどういう風に動いていくのか正直全く知らないままでした。自分で撮る前に伴明さんの助監督で『ピンク、朱に染まれ!』というオムニバスに付きましたが、あれも普通のピンク映画とは違っていましたからね。それでも、伴明さん的なやれそうなものは何でもやるというのは、実にフライシャ―的だと思います。何でもと言っても、一種のジャンル映画というか、プログラムピクチャーですね。ピンク映画はそこに当てはまります。その後やったVシネマも一種のプログラムピクチャーでした。主演俳優も予算も大体決まっていて、予算にはまる脚本なら、それ以外のことは自由にやっていい。1カット5分ぐらいある長回しをやっても誰にも怒られないのです。

 そういったプログラムピクチャーの経験が、僕もギリギリ体験できたのは幸せだったと思います。今、テレビドラマだと、ちょっとそれに近いことができなくはないんですが、映画だと、結構大変です。漫画原作の高校生ラブストーリーのようなものは、一種のプログラムピクチャーだと規定して、上手いことやれば、その中でかなり大胆な実験をやれなくもないのにと、観ていると思うんですが、実際はああいうものはやっぱりヒットさせなければいけないという、ものすごい制約があって。逆にいうと一歩間違えるとヒットしなくなるんじゃないかという恐怖があって、作っている人は結構束縛されてしまうんでしょうね。Vシネマのように、自由なことがなかなかできないようですね。

 今はVシネマのようなプログラムピクチャーはもう出来る状況にないので、フライシャー的な発想というのも難しいと思います。ただ、自分がおかしいのか、僕こそがノーマルなのか今やわからないんですが、近年でも色々作っていますが、自分の中ではほとんど全作品、一種のプログラムピクチャーなんです。プロデューサーからこの原作でやれないだろうかとか、あるいは最新作がそうですけど、原作がなくてもウズベキスタンという国を使って大体これくらいの規模で何かできないだろうかと依頼されて、その中でやれるものは何か、自分が望まれているのは何なのか、それなら自分にもできるなと判断して、やれる範囲のものをやっています。結果としてこの歳になるまで、けっこうデタラメなフィルモグラフィーを続けることができているんだと思います。映画祭を目指すという依頼が来れば、「映画祭を目指しますか、わかりました。じゃあやりましょう」という、そういう職人ですね。

 フライシャーだって初期の『強迫/ロープ殺人事件』は、カンヌ映画祭で男優賞を獲っているんです。そんなことも、ちゃっかりやっている人なので、僕も映画祭を目指すもよし、フランスで何か撮ってと言われればそれもよし、全てフライシャーのように撮っていれば何も怖いものはないですね。そういう意味では色んな人の影響を間違いなく受けていますが、とりわけフライシャーは別格で、仕事のやり方、人生そのものまでフライシャーという人の在りように導かれ、そのおかげで作ってこられたというのは間違いないです。それぐらい僕にとってリチャード・フライシャーは偉大な人です。

(取材・構成:モルモット吉田/写真撮影:池村隆司)

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