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遠山正道×鈴木芳雄「今日もアートの話をしよう」

『ライフ・イズ・カラフル! 未来をデザインする男 ピエール・カルダン』

月2回連載

第47回

20/9/18(金)

鈴木 今回は、10月2日公開予定のドキュメンタリー映画『ライフ・イズ・カラフル! 未来をデザインする男 ピエール・カルダン』(ル・シネマほか全国にて公開)を紹介したいと思います。この映画は、98歳の今でも現役で活躍し、「モード界の革命児」として知られるピエール・カルダン(1922〜)に初密着したドキュメンタリー。カルダン自身の証言や、秘蔵映像、ゲストたちの証言からその活動に迫るものです。遠山さん、映画見てどうでした?

映画『ライフ・イズ・カラフル』(C)House of Cardin - The Ebersole Hugues Company

遠山 非常に好物なタイプの映画で、すごく楽しかったですね。私はモダニズム好きだから、カルダンが活躍しはじめた1950〜70年代の世界観が見られるのは面白かった。芳雄さんはどうだった?

鈴木 まだ現役だっていうのがすごいし、「偉大な実験者ピエール・カルダン」だなって思った。この人、フランスで活躍したデザイナーだけど、実はイタリア出身。まだ第一次世界大戦の痛手も残る、ファシズムが台頭するイタリアから2歳の時に家族とともにフランスへ移住して、はじめは建築家を目指してたんだけど、1945年にパリに移ってからは、マダム・パカンのアトリエに入って、ファッションの道に進む決意をしたという。で、コレクション・デビューして風雲児だなんだってもてはやされたけど、先鋭的すぎてファッション業界から敬遠されたりと、生まれからしてとにかくドラマチックな人。だからこの映画をdisってるわけじゃないけど、テレビ番組の『しくじり先生 俺みたいにはなるな!!』的なところもありつつ、それだけではまとめられない人だなと思いました。それに誰もやらなかったことをトライアルしていって、自分のものにしてるのもよくわかった。

遠山 しかもファッション業界だけにとどまらず、1970年には、アンバサドゥール劇場を買い取って、劇場や映画館、ギャラリーが併設された「エスパス・カルダン」を開いたり、1981年にはフランスの老舗高級レストラン「マキシム・ド・パリ」を完全買収、店舗の上をアール・ヌーヴォーの美術館に改造したりして。でもそれはちょっとやってみたいからとか、道楽とかじゃなくて、すべて真剣にやってるのがまたすごい。

鈴木 それとこの人は本当に出会う人に恵まれていたんだな、とも思ったんです。例えば1945年にアトリエに入ってすぐに、ジャン・コクトーの『美女と野獣』の衣装や仮面を担当するんだけど、それってなかなかありえないことじゃないですか。もちろん1939年から仕立て屋で働いて、技術はあっただろうけど、パリに来てすぐにコクトーの舞台で使ってもらえるというのは、やっぱりそれなりのセンスとかがないと無理。しかもその翌年の46年には、クリスチャン・ディオール(1905〜57)が独立するときのスタッフになって、アトリエで働くことになるし。で、1950年には独立して、演劇、バレエ、映画のコスチュームなどを手掛けて、1953年に初のオートクチュール・コレクションを発表したわけです。

遠山 やっぱりディオールとの出会いは重要だったんでしょうか。

鈴木 重要でしょう。あの時代の人物関係から考えると、もしかしたらコクトー経由でディオールと出会ったのかもしれない。実はディオールはクチュリエとして職を得る前は、ギャラリストだったんです。しかもパリでキュビスム、特にシュルレアリスムを広めた一人と言っても過言ではないぐらい重要な人。

遠山 え? そうなの?

鈴木 うん、ディオールはノルマンディーのグランヴィルの裕福な家庭に生まれて、15歳のときに家族とパリに移住。ここで芸術家の友人たちに恵まれて、23歳のときに友人らとギャラリー「ジャック・ボンジャン画廊」を開き、そこでピカソやダリなんかを紹介している。残念ながらこのギャラリーは閉鎖になっちゃうんだけど、そのあとピエール・コールによる「ピエール・コール画廊」を手伝うことになって、1933年までギャラリーを経営。そして35年に洋服のデザインを始め、1937年にロベール・ピゲに雇われ、ファッション業界で活躍するようになるんです。

遠山 美術業界からファッション業界に転身してきたんだ。確かにそう考えると、コクトーからディオールにつながった可能性は高いですね。いまは誰でも有名になれる世の中になったけど、あの当時、いまほど、世間を先んじているような役者は揃っていなかったと思うんです。でもそういう一握りの超有名人たちがカフェとかに集まって、時代の最先端を生み出し、成立させていたって思うとワクワクしますね。

鈴木 残念なことに、ディオールはたった11年しか活動できなかったけど、カルダンにとったら偉大な師匠であり、たくさんインスピレーションをもらったと思います。

映画『ライフ・イズ・カラフル』(C)House of Cardin - The Ebersole Hugues Company

遠山 Aラインのワンピースとかは、ディオールの影響を色濃く受けているかも。

鈴木 それにディオールの跡を継いだイヴ・サン=ローランは当時21歳という若さで、ディオール の後継者として成功したから、そういったのを横目で見つつ、おそらく刺激を受けながらも、カルダンは我が道を行ったんでしょうね。

遠山 そこら辺の歴史と文化の縦軸横軸とか、ファッションと美術や音楽業界がものすごく密接に関わっていた、ということをもっと知りながら見るともっと面白いかも。

ピエール・カルダンはとにかく「初めて」の人

鈴木 遠山さんは、カルダンにどんなイメージ持ってました?

映画『ライフ・イズ・カラフル』(C)House of Cardin - The Ebersole Hugues Company

遠山 私にとってのピエール・カルダンは、ライセンスビジネス的なブランドっていうイメージ。トイレカバーとタオルとスリッパと、みたいな。

鈴木 僕もそのイメージで、象印の魔法瓶とかのライセンスデザインをよく覚えています。そして「デザイナー」という職業があるんだ、ということを教えてくれた人の一人ですね。

遠山 やっぱりそういうイメージですよね。だから映画を見るまで、カルダンが「ピエール・カルダン」という帝国を築き、時代を席巻し、ファッション業界の功労者であり、みんながリスペクトしているすごい人、ということも、服がどういうのかも知らなかった。

鈴木 カルダンは服を民主化したんですよね。デザイナーが服を作るオートクチュールが全盛期だった1960年代前半に、彼は一般人の服を作ることが目標と言って、フランス オートクチュール組合会員として初めてプレタポルテ市場に参入した。そういう意味でも実験者であり、革命家だと思う。

遠山 「商品」を作った人ですね。

鈴木 それにライセンスビジネスをデザイナーで初めてやったのはカルダンだそうですよ。

遠山 え?! そうなの?

鈴木 うん、しかもタオルとか食器だけじゃなくて、インテリアから車、ユニフォーム、香水、ジェット機まで、あらゆる製品をデザインしてた。とにかくライセンスビジネスで成功して、110カ国で800ものライセンスを持ち、それによってブランドのロゴが世界中で認知。だからブランド名知らなくてもロゴは知ってるっていう人も多いんじゃないかな。さらに、モード界で自ら舞台や芝居をプロデュースするのも初めてだし、ファッションデザイナーとして初めてフランス学士院芸術アカデミー会員に選ばれた人でもあるらしいです。

遠山 本当に初めて尽くし。

鈴木 ちなみにカルダンは1958年に初来日、1970年の大阪万博ではファッションショーも開催してる。そのほか、日本とのつながりも強い人です。そのあたりは映画で確認していただければ。

遠山 でもこう言ったらダメかもしれないけど、さっき芳雄さんが言ったような「しくじり先生」的な、ある意味、やってはいけない例でもあると思うんです。ライセンスビジネスが世界を席巻してしまって、服が置いてきぼりになった感じがして。だからカルダンの生き方から学んだデザイナーも多いと思いますよ。私自身もとにかくカルダンのトイレカバーがイメージにこびりつきすぎていて、ブランドのやっちゃいけないこと、みたいなものとして刷り込みがありますから。

鈴木 しかもトイレカバーとかタオルっていうのは、ファッション、インテリアの隣接領域だからありえると思うんだけど、手を伸ばしすぎた感じもありますよね。でも、カルダンは頼まれたからなんでもそう簡単にライセンスをOKしてたわけではなかったそうですよ。それにこれまでドキュメンタリー作品や伝記のオファーを断り続けてきたというから、初密着したこの映画はものすごく価値があると思うんですよね。

遠山 いままで見えてこなかったカルダンの真の姿ってことですよね。確かに、映画を見たことで私の中でのイメージはガラッと変わりました。

映画『ライフ・イズ・カラフル』(C)House of Cardin - The Ebersole Hugues Company

遠山 ファッションでも、いろんな新しいスタイルを確立したわけじゃないですか。例えば未来的なコスモコール・ルックとか。だからイノベーターとしてのカルダンには尊敬の念を持ちましたね。

鈴木 ちなみに遠山さん、カルダンの服持ってたりする?

遠山 実はすっかり忘れていたんですが、持ってるんです(笑)。トイレカバーとかのイメージだったカルダンのロゴをまとったこのシャツを、ベルギーのアントワープかどこかの古着屋さんで発見して、私の天邪鬼が総動員されて、ウキウキしながら買いました(笑)。

遠山さんがベルギーで買ったというカルダンのシャツ

自分を重ねてみたくなる映画

鈴木 さっきも少しお話ありましたが、経営者であり、ご自身もクリエイティブな活動をされている遠山さんは、カルダンのデザイナーとして、実業家としての姿と何かご自身とつながる部分とかありました?

遠山 つながるというか、いろんな側面で羨ましいなっていうか、自分を重ねて見たくなる映画でした。カルダンは過去に忖度したりするんじゃなくて、常に未来を自分で作っていく人、そういうところはすごく刺激的なんだけど、生み出されたものが可愛いっていうのがいい。あと、カルダンっていう人は、文化を作りたかったんだと思う。本人も映画の中で「服を作っているより文化を作っているんだ」というようなことを言っていたから。伝統をリスペクトしながらも先鋭的なものを作り、演劇、食の業界にも参入していった。そうすることによって、人類の生活を豊かにするとか、彼自身の振り幅って言うのかな、そういう面を広げていこうとずっとしているのも興味深いなと。

鈴木 でもいつも服が中心にあるんですよね。それは絶対にブレない。しかも98歳のいまでも、イタリアにまた新しいお城のような建物を買って、演劇のための場所を作ろうとしていますしね。飽くなき探求心っていうのかな、常に前を向いている姿っていうのは、いまの人にも絶対刺激になると思いますね。

遠山 そうですよね。過去と未来を一体化させて、文化の面を広げる姿勢というのは、我々も見習わなければいけないなと思わされました。あと、歴史とビジネスと文化が合体した上で、自分の仕事が紆余曲折ありながらも成功し、コミュニティーが形成されていく様を見られて面白かったですね。

鈴木 もしかしたら仕事とか、生き方とか、そういうことの偉大なヒントであったり、考え方がここに収まっているのかもしれません。

遠山 そしておしゃれな人は見なきゃダメだと思います(笑)。

構成・文:糸瀬ふみ


プロフィール

遠山正道 

1962年東京都生まれ。株式会社スマイルズ代表取締役社長。現在、「Soup Stock Tokyo」のほか、ネクタイ専門店「giraffe」、セレクトリサイクルショップ「PASS THE BATON」、ファミリーレストラン「100本のスプーン」、コンテンポラリーフード&リカー「PAVILION」などを展開。近著に『成功することを決めた』(新潮文庫)、『やりたいことをやるビジネスモデル-PASS THE BATONの軌跡』(弘文堂)がある。


鈴木芳雄 

編集者/美術ジャーナリスト。雑誌ブルータス元・副編集長。明治学院大学非常勤講師。愛知県立芸術大学非常勤講師。共編著に『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』など。『ブルータス』『婦人画報』ほかの雑誌やいくつかのウェブマガジンに寄稿。

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