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川本三郎の『映画のメリーゴーラウンド』

『12人の怒れる男』から陪審員制度の話へ。ワイルダーの『情事』…日本製『12人の優しい日本人』…最後は意外な映画につながりました。

隔週連載

第64回

20/11/24(火)

 日本では、1959年に公開された『12人の怒れる男』(57年)は、なんといっても日本人に、アメリカには陪審員制度というものがあることを教えくれたという意味で重要な映画。
 日本でも、昭和3年から昭和18年まで陪審制度があったが、この映画が公開された当時、そのことはほとんど語られなかった。日本ではうまく機能しなかったためかもしれない。だから、中学生の時に、『12人の怒れる男』を見てはじめて、アメリカでは普通の市民が人を裁くのだと知って驚いたものだった。
 また、イギリスでもやはり陪審員制度があることは、『12人の怒れる男』の1年前に日本公開されたビリー・ワイルダー監督の『情婦』(58年)で知った。いうまでもなく、アガサ・クリスティが自らの短篇『検事側の証人』を舞台用に脚色した作品をもとにしている。
 タイロン・パワー演じる仕事らしい仕事をしていない伊達男が、裕福な未亡人を殺害した容疑で逮捕される。法曹界の大者チャールズ・ロートンが弁護を引き受けることになり、みごと無罪を勝ち取る。
 『12人の怒れる男』では12人の陪審員の全員が男性だったが、『情婦』では3人ほど女性がいる。彼女たちが美男のタイロン・パワーに同情したのかもしれない。
 余談だが、この映画、ミステリとしてひとつ疑問がある。チャールズ・ロートンは、検事側の証人マレーネ・ディートリヒが、夫以外の男を愛している手紙をさるところから入手し、それが決定打となって、タイロン・パワーは無罪になるのだが、検事はなぜこの手紙の相手である男を探し出そうとしなかったのだろう。単に検事の怠慢か。

 陪審員制は、陪審員の構成メンバーによって、結果が大きく変ってくる。日本版『12人の怒れる男』といっていい、三谷幸喜と東京サンシャイン・ボーイズが脚本(中原俊監督の『12人の優しい日本人』(91年)では、被告が若く美しい女性、それも夫と別れ、女手でひとつで子供を育てているというので、まっさきに、独身の陪審員梶原善が「無罪」を主張する。
 まあ、この映画は、架空の話だから、陪審制の是非を論じても仕方がないが、陪審員制がいかに、陪審員のメンバーによって評決が変わるか、そのためには、陪審員の選任がどれだけ大事かを描いた重要な映画がある。
 ジョン・グリシャム原作、ゲイリー・フレダー監督の『ニューオリンズ・トライアル』(03年)。
 この映画、日本ではあまり話題にならなかったが、今日の陪審員制度のあり方を考えるうえできわめて面白い。
 ニューオリンズで銃乱射事件が起る(実際に1999年に起きた事件をモデルにしているという)。証券会社に勤務するディーラーが、会社に押し入り銃を乱射した元社員によって殺される。
 被害者の妻が、銃器会社を訴え、裁判を起こす。ダスティン・ホフマンが弁護することになる。
 相手は大きな銃器会社。とても勝ち目はない。その状況下でダスティン・ホフマンが奮闘する。裁判劇だが、この映画が面白いのは、ただの裁判劇になっていないこと。
 銃器会社には、陪審員のコンサルタントという特殊な仕事をするプロが付く。この映画ではじめて知ったが、評決に重要な影響を及ばす陪審員を一人一人、自分たちの側になるかそれとも敵に付くかを綿密にチェックしてゆく仕事をする。
 こんなコンサルタントが本当にいるのかどうか。不思議に思うが、この映画のDVDの特典映像として付されている監督のコメンタリーによれば、実在するのだという。
 演じているのはジーン・ハックマン。凄腕で、チームを組んで陪審員の個人情報を調べ上げる。
 制度上、陪審員を選ぶにはいきなり十二人を選ぶのではない。三十人ほど候補者を選び、それを告訴した女性側の弁護士ダスティン・ホフマンと、銃器会社の弁護士(ブルース・デイヴィソン)の双方が、まず、陪審員として認めるかどうか選定してゆく。
 その際、銃器会社側ではコンサルタントのジーン・ハックマンが指示を出す。弁護士より力を持っている。
 十二人の選任が決まると、今度はさらに徹底して十二人それぞれの思想、信条、家庭環境を調べ上げる。自分たちに不利な人間だとわかると、懐柔したり、弱みを握って脅したりと汚い手を使う。いわば、陪審員の評決を“買う”。
 『12人の怒れる男』の時代が、はるか昔の牧歌的な時代に思えてくる。現代はここまで進んできているのか。個人と大手企業の戦いは、これでは個人にはじめから勝ち目はない。
 この映画では、それでも、陪審員のなかに個人的に銃器会社に恨みを持つ男(ジョン・キューサック)がコンサルタントの目をかいくぐってひそかに入り込み、彼の活躍によってみごと悪徳コンサルタントの鼻を明かすことになる。
 蛇足を加えると。陪審員のなかの一人の女性が休憩時間に本を読んでいる。これが最近、映画にもなったイェジー・コジンスキーの『異端の鳥』。
 ゲイリー・フレダー監督の愛読書なのだという。

 

イラストレーション:高松啓二

紹介された映画


『12人の怒れる男』
1957年 アメリカ
監督:シドニー・ルメット 原案・脚本:レジナルド・ローズ
出演:ヘンリイ・フォンダ/リー・J・コッブ/エド・ベグリー/E・G・マーシャル/ジャック・ウォーデン/マーティン・バルサム/ジョン・フィードラー/ジャック・クラグマン/エドワード・ビンズ
DVD/ブルーレイ:ウォルト・ディズニー・ジャパン



『情婦』
1957年 アメリカ
監督:ビリー・ワイルダー 原作:アガサ・クリスティ
出演:タイロン・パワー/マレーネ・ディートリッヒ/チャールズ・ロートン
DVD:20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン



『12人の優しい日本人』
1991年 日本
監督:中原俊 脚本:三谷幸喜/東京サンシャインボーイズ
出演:塩見三省/相島一之/上田耕一/二瓶鮫一/中村まり子/大河内浩/梶原善
DVD/ブルーレイ:オデッサ・エンタテインメント



『ニューオリンズ・トライアル』
2003年 アメリカ
監督:ゲイリー・フレタ― 原作:ジョン・グリシャム
出演:ジョン・キューザック/ジーン・ハックマン/ダスティン・ホフマン/レイチェル・ワイズ/ブルース・デイビソン
DVD:ジェネオン エンタテインメント



『異端の鳥』
2020年 チェコ・スロバキア/ウクライナ
監督・脚本:バーツラフ・マルホウル 原作:イェジー・コシンスキ
出演:ペトル・コラール/ウド・キア/レフ・ディブリク/イトゥカ・ツバンツァロバー/ステラン・スカルスガルド/ハーベイ・カイテル



プロフィール

川本 三郎(かわもと・さぶろう)

1944年東京生まれ。映画評論家/文芸評論家。東京大学法学部を卒業後、朝日新聞社に入社。「週刊朝日」「朝日ジャーナル」の記者として活躍後、文芸・映画の評論、翻訳、エッセイなどの執筆活動を続けている。91年『大正幻影』でサントリー学芸賞、97年『荷風と東京』で読売文学賞、2003年『林芙美子の昭和』で毎日出版文化賞、2012年『白秋望景』で伊藤整文学賞を受賞。1970年前後の実体験を描いた著書『マイ・バック・ページ』は、2011年に妻夫木聡と松山ケンイチ主演で映画化もされた。近著は『あの映画に、この鉄道』(キネマ旬報社)。

出版:キネマ旬報社 2,700円(2,500円+税)

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